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プールサイドの人魚姫

うつ病回復のきっかけとなった詩集出版、うつ病、不登校、いじめ、引きこもり、虐待などを経験した著者が
迷える人達に心のメッセージを贈る、言葉のかけらを拾い集めてください。


プールサイドの人魚姫-藤田まこと

俳優の三田村邦彦さんが歌う、必殺仕事人のエンディングテーマ「思い出の糸車」をわたしは今でも口ずさむ時がある。

歌謡曲はさほど聴かないたちであったが、この曲は大変気に入っており、当時レコードを買って毎日聴いていたものである。

先日、フジテレビで放映された人気時代劇の「剣客商売(道場破り)」を見たばかりであったから藤田まことさんの訃報は、不意打ちを突かれた傭兵の面持ちでニュースを聞き入った。

藤田まことさんは確かに癌を患ってはいたが、死に至るほどの致命傷ではなかったと聞いている。

ならば藤田さんの身に一体何が起こったのか・・・疑問が駆け巡ったが、「大動脈瘤破裂」という、死因で頷けた。

この病気は致死率が最も高いし、気づいた時は手遅れという非常に恐い病である。

これでまた、昭和を背負った俳優が消えた・・・。

昭和の伝道師と言われた名司会者「玉置 宏さん」がつい最近逝ったばかりある。

昭和歌謡史を語る上で欠かす事の出来ない、玉置さんは多くの名台詞を遺言として残して行った。

「ロッテ・歌のアルバム」も昭和を代表する歌番組だった。

この番組に藤田まことさんが歌手として登場していた事は殆どの人が知らないか記憶にないかも知れない。

昭和30年代後半、テレビがまだ高級品として扱われていた時代、お茶の間を独占していたのは「てなもんや三度笠」「お笑い三人組」「ひょっこりひょうたん島」「三バカ大将」だったりした。

わたしが6歳を迎えた頃、昭和37年に放映開始された「てなもんや三度笠」はテレビの娯楽性を確実にする人気番組だったと思う。

もの心ついた時に非常に強いインパクトを与えてくれたこの番組は、当時まだ録画という技術が確立されていない中にあって、生放送のリアルさを視聴者に植えつけたのではないだろうか。

もちろん見る側から捉えれば、テレビそのものが珍しい存在であった訳だから、その放送が生か録画かなどという発想は全くなかった。

寺の鐘が「ゴーン」と響き、神社の扉が「キィィー」と金切り声のような音を上げながら開く。

その暗い中から、三度笠で顔を隠した藤田まこと扮する「あんかけの時次郎」が颯爽と登場し、あの決め台詞を吐く。

「俺がこんなに強いのも、あたり前田のクラッカー!」。

わずか30分という、短い時間に様々な個性を持った俳優や歌手、コメディアン達が登場しドタバタ劇を披露する。

「白木みのる」の余りの小ささに驚き、子どもなのかと疑問に包まれたことを思い出す。

藤田まことさんがこの番組で一躍人気者になった事は言うまでもないが、番組終了後、ブラウン管から姿を消してしまった。

1970年代に入り、人々の記憶から藤田まことの面影は消え始めていた。然し、その後彼は思いも寄らぬ復活劇を見せる事となる。

1973年に始まった痛快時代劇「必殺仕置人」。

彼が扮する「八丁堀同心・中村主水」はこれまでの彼のイメージを覆すものだった。

これによって藤田まことの時代劇が不動のものとなったのは確かであった。

藤田さんについて、この場で語るには時間が足りないし、言葉で表すことにも限界がある。

ただひとつ言えることは、もう「思い出の糸車は回ってくれない」と言う事。

藤田まことさんありがとう、そしてお疲れ様。

昭和の楽しい時代をありがとう。合掌。


プールサイドの人魚姫-スキー

バンクーバー五輪で日本に初のメダルを齎したのは、スピードスケート男子500mだった。

金メダル候補が次々と後退していく中、長島圭一郎、加藤条治の両選手は、持てる力を全て出し切り、堂々の銀と銅メダルに輝いた。

会場は途中、製氷作業のトラブルで一時間ほど競技が中断される等のアクシデントがあったが、彼らは落ち着いていた。

元々メダル獲得の候補であり、当然期待も高まっていたが、各国の強豪がメダルを狙って火花を散らしている中で、最後まで冷静さを失わず、自分の滑りに徹した結果がメダルへと結びついたのであろう。

歓喜渦巻く会場で、一人順位を確認する長島選手の姿が印象的であった。

それにしても、女子モーグルの余韻がまだ冷めやらぬ中で、上村愛子の4位入賞はいまだ信じられないファンもいるのではないだろうか。

最もメダルに近く、大きな期待を背負っていた選手もそうはいないだろうと思う。

一歩ずつではあったが、確実に進化する彼女のスキーには挑戦者の魂が熱く燃え、滑る度に厚い氷を溶かしてきた。

今度こそという想いは彼女自身を大きく成長させ、それを見る我々にも希望と勇気を与え続けてきた。

スポーツは諦めない人たちの集まりである。

目標を達成出来た時の充実感と達成感は、それを共有することで、更に大きな波動となり拡がって行く。

惨敗で終わったとしても、それは次の指標となって必ず自分の血や肉に変わる。

しかし、誰もが経験し大きな壁となるのが、体力と年齢だ。

オリンピックは4年に一度というルールがある。

選手によってはラストチャンスだったかも知れない。

彼女に4年後頑張れとは言えない。

だが、4位というメダルが彼女の心に光り輝いているではないか。

金銀銅だけがメダルではない。

目に見えないメダル、それは笑顔の奥に輝く金メダル。

上村愛子にそして全てのアスリートに惜しみない拍手を贈ろうではないか。

 

プールサイドの人魚姫-ハートのチョコ

 

 
 

来ないあなたを

待ちわびて

溶けてしまった

チョコレート

半年前から準備して

今度こそはと

心に決めた

届かぬハートは

片想い

泣くな

わたしのバレンタイン

返して

わたしのバレンタイン

ハートのチョコが

悲しげに

涙の海で

溺れてる

 


プールサイドの人魚姫-リコール

トヨタの安全神話が揺らぎ始めている。

トヨタ自動車が、満を持して世に投入した次世代のハイブリッドカー「プリウス」。

旧型プリウスに更に磨きを掛け、自信満々のトヨタを代表する新しい顔であった。

環境に配慮した「ECOカー」を前面に出し、低燃費ながらも且つパワフルなエネルギッシュを併せ持つこの未来追求型自動車の登場は同業他社の追随を許さず、自動車業界のトップを不動のものにした。

そこに人間の驕りが生まれたかは別にしても、トヨタのリコールは専門家も指摘しているように、製作者と利用者の安全基準に微妙な差がある事を表面化させた事例である。

わたしは医者から車の運転を止められている為、5年以上ハンドルを握っていないし、車に詳しい訳でもない。

「車の心臓部は何処だ」と訊ねられたら、おそらく「エンジン」とわたしは答えるだろう。

車に素人なわたしだから、その程度の回答しか出来ない。

しかし、車も人間と同じで各部のパーツで成り立っている。

それぞれに重要な役割があり、その一つでも欠けてしまえば、パーフェクトは達成出来ない。

完璧が全てではないし、頂点でもないだろうが、人命を預かる「物・者」は99.9%完璧で在るべきではないだろうか。

ブレーキの不具合による顧客からの苦情が殺到した時、トヨタはタイミングを間違えたようである。

迅速な対応と決断が企業の基盤を左右するのは、過去の例を省みても一目瞭然である。

ブレーキの利かない車ほど恐ろしい物はなく、それでなくとも高速で移動する鉄の塊は依然として凶器そのものである。

例え完璧な車が登場したとしても、人間がハンドルを握る以上リスクは付いて回る。

不完全な人間だからこそ、完全なる安全を追求しなくてはならない。

このリコール問題はトヨタ自動車に留まらず、波状的に拡がり始めている。

自分の車は大丈夫だろうか?と疑問が脳裏を過ぎる。

不安を抱えたままハンドルを握れば、交通事故のリスクも高まる。

景気にブレーキが掛かっては困るが、人間も含め、全ての乗り物を総点検する必要があるのではないだろうか。


プールサイドの人魚姫-エイリアン

角界の問題児、朝青龍涙の引退表明。

場所中に起こった知人への暴行問題は、マスコミの報道が先走り二転三転。

実際にその暴行現場にいた訳ではないから、事の真相については横綱本人とマネージャー、知人の三人が知るのみ。

この暴行問題を耳にした時、脳裏を掠めたのは「命拾いしたのは朝青龍・・・」だとわたしは思った。

もし、知人が赤の他人で極道だったら、あの「力道山」と同じ運命を辿ったかも知れない。

酒は時に、人生を大きく狂わせる。

わたしの父もかつてそうであったように、酒によって人生を棒に振った。

命を落として引退より、生きて引退出来るだけ増しだろうとも思う。

朝青龍を敢えて肯定するならば、彼は相撲界の枠に収まり切らない、良くも悪くも型破りの横綱と言うことになるだろう。

心技体と品格を問う前に、古臭い体質を引き摺り続ける相撲界と、台頭する外国人力士の矛盾した国技が最早国際相撲へと変貌している事実を真摯に受け止めるべきである。

朝青龍一人の問題ではなく、結果的に真の相撲道を土俵の外にも伝えられなかった相撲関係者にも責任はある。

横綱は完璧でなければ務まらない。

朝青龍を横綱にした角界が生み出した怪物、それが朝青龍だったのである。

 

プールサイドの人魚姫-tara

 

 
 

猫が

わたしに

ぴったり寄り添っている

指で

数えるほど

重くもない

わずかな圧力が

わたしには

耐えられない

まぁるくなった

こいつは

わたしにお構いなく

夢うつつ

この

元気な

命の塊が

うらやましい

わたしより

活き活きと

生きている

こいつが

うらやましい

 


プールサイドの人魚姫-心電図

2010120 (安静時心電図所見)。

心室性期外収縮

心房細動・粗動

0.2V以上のST低下

深い陰性T波(0.4V

左室駆出率:EF22%)

年齢を重ねる度に悪化していくわたしの心臓である。

入院しても、薬を飲んでも良くはならない。

EF22%という数字を今回初めて知ったが、左室収縮障害は重症であった。

普段、わたしは病気について気にしない性質だったが、この心臓で後何年生きられるだろうと考えるようになった。

働くことが自分の寿命を縮めるとしたら…。

遣り残している事はまだ多くあるのにと思うと悔しい。

 

プールサイドの人魚姫-くちびる

 

 
 

くちびるを重ね合わせると

あなたの

嘘が見えて来た

あなたのくちびるは

いつもの

わたしの味でなく

知らない人の

味だった

嫉妬の色を隠すため

今日もわたしは

口紅着けて

あなたの嘘を塗りつぶす

わたしの味が戻るまで

何度も 何度も

塗り返す

 


プールサイドの人魚姫-小沢一郎

政治家はある意味、暴力団より始末が悪い。

彼ら(極道)は、悪いことは悪いと素直に認め潔く刑に服する。

政治家全員がそうではないにしても、過去の例を見ても分かるように、清廉潔白を強く訴え自分は悪くないの一点張り。

本人の口からは絶対に罪を示唆するような言葉は聞こえず、大方秘書やサポート人たちから崩れて行く。

鳩山政権総崩れに発展するであろう、今回の小沢幹事長土地取引による裏金問題については、民主党VS東京地検の前面戦争へと発展した。

特捜部もただやみくもに捜査を進め、(元秘書)石川議員や他者の逮捕に踏み切った訳ではないだろうし、小沢逮捕への第一歩として城壁から攻めるのは正攻法だと言える。

捜査の手が入る事を事前に察知した小沢幹事長の取り巻きたちは、その証拠隠滅に奔走する。

小沢幹事長の資金管理団体「陸山会」は故田中角栄「越山会」の発展系であり、ゼネコンとの深い繋がりが指摘されている。

小沢氏は壇上で身の潔白を「法に触れるような事はしていない」とアピールしているが、法に触れさえしなければ何をやってもよいのかという疑問に突き当たる。

疑惑を抱かせた時点で、政治家としての資質を問われるのは当然であり、国民に不信感を植え付けるような行為そのものが罪だとも言えるのではないだろうか。

民間企業であれば、重大なコンプライアンス違反は厳重注意では済まされず、即刻解雇に値する。

政治家のモラル低下が日本全体のモラル低下を招き、益々混乱の渦が拡大するだけだ。

幹事長というポストは謂わば「影の総理」。

鳩山首相が具の無いうす味の味噌汁に思えるのはわたしだけではないだろう。


プールサイドの人魚姫-派遣

今更遅いと思うが、派遣村は人助けではない事を明確化して置くべきだったと思う。

困っている人を助ける行為は美談になり易いが、助ける行動には責任が生じる事を忘れてはならない。

一時しのぎに助けて途中で放り出す事は無責任であり「情けは人のためならず」と言う言葉通りの結果を招く事になりかねない。

親切と人助けを混同してしまっては、本来の「人助け」は完結しない。

都の進めて来た「公設派遣村」で起きた一コマは「火事場の大泥棒」を産み落とす結果となったが、それは想定外ではなかっただろう。

役人の考えていた内容がそれこそ「その場しのぎ」だった事を裏付けることとなったからである。

高給弁当を与える事はよいとしても、就職活動費として現金を与えた事が、結果的に人間の甘えの構図を浮き彫りにしたようなものである。

2万円を手にしてそのまま「パチンコ屋」にしけこみ、遊興費に当てる者もいれば、酒・タバコといった嗜好品の足しにして「してやったり・・・」とほくそ笑む者が続出する。

本当に困り果てている者からみれば腹が煮えくり返るような事態だが、国費の無駄使いがこんな情けない形で露呈した事は残念でならない。

人生の設計図を持たない人、或いは持てない人が多く存在するが、自ら生き方を放棄している者も少なからず見受けられる。

希望の職種が見つからないのは、選択肢を己が狭くしているからであり、仕事そのものは石ころのように転がっている。

五体満足で健康に生きているのなら、命を懸けて仕事を探せとわたしは言いたい。

重篤な心臓疾患を抱えるわたしでも、不整脈の心臓に鞭打って死ぬ気で就職活動をし、最後まで諦めなかったからこそ希望を見出したのである。

人に、世間に、自分に甘え過ぎた者に明るい未来の光は射さないのである。