今更遅いと思うが、派遣村は人助けではない事を明確化して置くべきだったと思う。
困っている人を助ける行為は美談になり易いが、助ける行動には責任が生じる事を忘れてはならない。
一時しのぎに助けて途中で放り出す事は無責任であり「情けは人のためならず」と言う言葉通りの結果を招く事になりかねない。
親切と人助けを混同してしまっては、本来の「人助け」は完結しない。
都の進めて来た「公設派遣村」で起きた一コマは「火事場の大泥棒」を産み落とす結果となったが、それは想定外ではなかっただろう。
役人の考えていた内容がそれこそ「その場しのぎ」だった事を裏付けることとなったからである。
高給弁当を与える事はよいとしても、就職活動費として現金を与えた事が、結果的に人間の甘えの構図を浮き彫りにしたようなものである。
2万円を手にしてそのまま「パチンコ屋」にしけこみ、遊興費に当てる者もいれば、酒・タバコといった嗜好品の足しにして「してやったり・・・」とほくそ笑む者が続出する。
本当に困り果てている者からみれば腹が煮えくり返るような事態だが、国費の無駄使いがこんな情けない形で露呈した事は残念でならない。
人生の設計図を持たない人、或いは持てない人が多く存在するが、自ら生き方を放棄している者も少なからず見受けられる。
希望の職種が見つからないのは、選択肢を己が狭くしているからであり、仕事そのものは石ころのように転がっている。
五体満足で健康に生きているのなら、命を懸けて仕事を探せとわたしは言いたい。
重篤な心臓疾患を抱えるわたしでも、不整脈の心臓に鞭打って死ぬ気で就職活動をし、最後まで諦めなかったからこそ希望を見出したのである。
人に、世間に、自分に甘え過ぎた者に明るい未来の光は射さないのである。