プールサイドの人魚姫 -101ページ目

プールサイドの人魚姫

うつ病回復のきっかけとなった詩集出版、うつ病、不登校、いじめ、引きこもり、虐待などを経験した著者が
迷える人達に心のメッセージを贈る、言葉のかけらを拾い集めてください。


ロケット 鉄砲伝来の地で有名な種子島、その島に宇宙開発施設が多く建てられたのは偶然ではないのかも知れない。火縄銃がもたらした影響は日本の戦国を大きく変え、その鉄砲が今やロケットと形を変化させ活躍の舞台を宇宙へと導いて来た。
天候不良の為打ち上げが延期されていたH2Aロケット11号機(きく8号)が12月18日種子島宇宙センターから打ち上げられた。過去に何度も失敗を繰り返した教訓は5機連続の打ち上げ成功に活かされおり、関係者の胸を安堵の色に染めた。日本に於けるロケット開発は先進国の中で他の国に大きくリードされているものの、日本人の職人技と言える優れた技術力は各国から高い評価を得ている。平和利用の為の宇宙開発、ロケット打ち上げ、技術の進歩であれば大いに予算をアップして税金を有効に使って然るべきではあるが、この膨大な費用がかかる宇宙開発、ロケット開発については何処の国も国家予算の赤字に苦しみ、経済利益を優先する現実の前では予算を削減せざるを得ない状況に陥っているのも事実である。しかしながらこれが軍事兵器に結び付くとなれば、眼の色を変えて巨額の費用を投資するだろう。皮肉にもまるで何処かの将軍様と同じである。日本の現状は税金の使い道が庶民にとってみれば信じ難い方向に向かい、無駄使いが眼にあまる。正しい使い道の分からない政治家や役人が多すぎるのも困った問題で、私利私欲の為に国民の血税を自分の金であると勘違いしている状況下では生きた政治は愚かしく、借金だけが増えて行き、そのつけは結局国民に跳ねかって来るのである。ロケットの打ち上げ成功で来年の道が大きく開いてくれれば良いのだが…。



昔そんな名曲があったような気がする。確か原曲はカントリー&ウエスタンだったかも知れない。人類が最初に手にした楽器は太鼓ではないだろうか。つまり叩くという行為には音が発生する。自分の身体を叩けば色んな音が聞こえてくる。タップダンスは足で操るし、もっと単純なものは手拍子である。人間そのものが楽器として成り立つわけだ。さて以前にも紹介した和太鼓。私の母校である天竜養護学校50周年記念を飾ってくれた遠州天竜和太鼓龍勢組みの皆さんによる和太鼓ライブのパート2である。和太鼓は母親の心臓の鼓動と同じリズムを持っている為、赤ん坊は太鼓の響きが子守唄になってすやすやと眠ってしまうという。楽器にはそれぞれ歴史があり、長い年月を経て現在の形になったものもあれば古来の伝統を守っている楽器たちもある。人間にとって音楽は欠かせない。どんな人でも口ずさむ曲はあるはずだし、最も身近な存在でもある。私はギターを弾いたりハーモニカを吹く事が得意だ。近所の子どもたちからは相変わらずハーモニカおじさんと呼ばれている。たった10個の穴から無限のメロディが流れ出る。手の中にすっぽり収まるブルースハープを持ち歩き好きな場所で吹いていると心が穏やかになっていく。楽器とは実に素晴らしく不思議な生き物でもある。

寿司 日本人の好物と言えばおそらく誰もが一番に上げるのが寿司。回転寿司が日本にオープンしてから40年以上も経つが、家族で手軽に食せるようになったのはこの回転寿司のお陰だろう。私が時々利用するかっぱ寿司などはどれも一品105円(税込み)それほど高級な具を求めないのであれば充分楽しめ、10皿も食べればお腹も満腹になる。さて寿司と言えばやはり一番人気はまぐろ。人の食欲を充分そそるたっぷり脂の乗った大とろ、ここまでくるとやはり100円では食べることは難しい。懐を気にしながらでもここはケチらずぱくっと行きたいものである。が、問題はこのまぐろが値上がり。水産業界のみならず、すし店やスーパーまでもこの値上がりに戸惑いを隠せない。もちろん庶民の口からも愚痴がこぼれる。寿司は今や日本だけでなく世界中の国でも人気があり、日本食ブームも手伝ってまぐろが世界の人々の口へと運ばれて行くようになった。海は広く資源も豊富ではあるが、あまり極端に採り過ぎればその量は減る。漁獲量の制限は仕方のないこと。乱獲が招いた結果でもある。その対策として日本ではまぐろの養殖が始まったばかりである。大切な命を頂くのであるから、自然破壊を招かないよう気を付けたい。

ドッグ あなたは犬派?それとも猫派?などと言われるほど、ペットとして人気の高い犬や猫。愛くるしいその仕草に思わず顔がほころび、家庭に癒しの空間を与えてくれるペット達。彼らを家族の一員として迎えいれ、自分の子どもと同じようにかわいがっている人は多いはず。犬は飼い主に従順で人との関わりについても歴史が古く、人を助ける介護犬もいる。猫はどちらかと言えば、人に媚を売る事なく常に自分が中心でマイペース。そんな所に魅力を感じたりするもの。ペットブームが長く続く中で、人に愛され育って行く動物が人間との関わりの中で幸せかどうかそれは分からない部分でもあるが、心を持った動物にはもちろん飼いかた次第で心の絆は人間同様培われていくもの。まだ記憶に新しく残っているニュース、ペットブームに便乗し、犬を利用して一儲けを企てたものの、運営が思い通りに進まず大量の犬を放置したまま逃げ出した広島ドッグパークの事件。その惨状は誰もが自分の眼を疑うほど凄まじいものであった。人間に例えるならば、孤立した戦場の最前線で補給と援護を待つ兵士かも知れない。ボランティア団体が犬の救出に乗り出したものの、500頭を超える犬たちの悲鳴の前でなす術もなくただ呆然と目の前の生き地獄を見つめる人たち。人間不信に陥った犬もいれば、尾っぽを精一杯振って助けを請う犬たちもいる。勝手極まりない人間の犠牲になる動物たちは後を絶たず、毎年数十万匹の犬や猫が処分されている。処分方法はガス室行きで窒息死とう極めて残酷な方法。せめて安楽死をと思うのは私だけではないだろう。生き物との関わりの中でお互いが上手に生きて行ける環境作りが大切であるとつくづく思う。

ウイルス 毎日のように新種が発生するコンピューターウイルスも厄介であるが、人間の身体に直接ダメージを与えるウイルスの存在は実に怖い。毎年流行るインフルエンザ等は今頃の季節からウイルスの活動が活発になる為、その予防としてワクチンを打つ人は多い。12月上旬に起きた東京・池袋のホテルメトロポリタンでの被害はノロウイルスによる感染性胃腸炎の集団感染であった事が分かっている。ノロウイルス、名前だけ聞くとのろまでひ弱な印象を受けるが、このウイルスの怖さはその対処方が確立していない事にある。大抵のウイルスには必ずワクチンが処方されており、国や保健所も万全の体制を取る事が出来、それほど心配する必要はない。しかし、今回のノロウイルス(非細菌性急性胃腸炎を引き起こすウイルスの一種)については手も足も出ない状況。予防するには手を良く洗うことだけであろうか。媒介が空気感染と言うのもこのウイルス被害が増幅した切っ掛けにもなっている。食中毒は毎年起こっており、代表的な物はサルモネラ菌、病原性大腸菌(O-157)等。O-157に汚染されていたカイワレ大根で被害が広がり、大騒ぎした事故を思い出す。現代人は清潔である事を求め、不潔な物は全て排除して来た。CMは除菌除菌とアピールし、不潔でいる事が悪でもあるかのように清潔感=健全であると思っているようだ。誰でも汚い物は避けたい。綺麗な物の方が良いに越した事はないが、それが余りに過剰反応し過ぎる傾向がある。人間は本来、菌と共存してきた歴史がある。排除しなくても良い菌まで自分の身体から追い出し、清潔を求める。その結果抵抗力や免疫力が低下し、病気にかかりやすくなる身体になってしまった。このまま清潔である事を病的に追い求めて行くと、単なる風邪で命を落とす結果になるだろう。ノロウイルスは人間に警告を発する人間事態が生み出したウイルスなのかも知れない。

命 今年一年を表す漢字が「命」と決まった。個人的には「悠」が選ばれて欲しかったと思う。自分の息子には悠が付いている事もあるが、命については人間に課せられた永遠のテーマでもあるし、今年に限った事ではない。ただ今年が余りにも暗いニュースが多く、無造作に命が奪われる事件、事故が多発したため、改めて命の尊さを振り返る意味でこの漢字が選ばれたのであろう。人の命だけではなくこの宇宙も含めて命の数は無限であるし、どんな生き物にも限られた寿命がある。0から始まる命の長さは誰にも分からない。最終地点に到達して人生を真っ当出来れば納得も行くだろうが、予想も付かない突然の死は人を悲しみの海に深く沈めてしまう。命があまりにも軽んじられている昨今、その重さと大切さが希薄になり、取り返しのつかない過ちに手を染めてしまう者、或いは自ら死の淵に立って人生を終えてしまう者。生きる為の選択肢を諦めてしまってはこの世に生を受けた意味が報われない。全ての命には必ず役割が与えられており、自分を必要とする世界が必ず存在する。だから命を諦めないで欲しい、生きる事の意味をもう一度見つめ直して欲しいと思う。

サムライ 名役者に台詞は無用、その圧倒的な存在感だけで充分だろう。ハリウッドスターの仲間入りを果し、今や最も注目されている「渡辺k謙」ラストサムライではトムクルーズがかわいい子ども役にも見えてしまうほどの演技を見せてくれた。ストーリーは至って単純ではあるが、二人に共通することは戦国の時代を生き抜き、己の正体に疑問を持つファイターと言ったところだろう。男同士の友情を描いた作品は多くあるが、1971年に公開された映画「レッドサン」を思い出す。世界三代スターが競演することで話題になった。アランドロン、チャールズブロンソン、そして三船敏郎。日本の時代劇、特に黒澤明監督作品には欠かせない役者でもあった。彼の出演している作品で一番印象深いのはやはり「七人の侍」この映画には仲代達也が通行人として登場しているがそれに気付いた人は殆どいないのではないだろうか。時代劇のもう一つの重要な役者は「馬」である。馬を如何に美しく見せられるかによって、映画の持つ魅力は大きく変わってくる。黒澤明はそれを見事にスクリーンの全てを使って表現してくれた。ラストサムライにも多くの馬が登場する。相手はロボットではない自然の生き物であるから、その一瞬を捉える手腕は監督次第でもある。トムクルーズが日本人以上に甲冑の似合う作品だったと日曜洋画劇場を見て思った。

シャトル 2003年2月に起きた大惨事は、多くの観衆が見守る真っ青な空を赤い炎が焼き尽くし、地上は悲鳴と共に想像を遥かに超えた打ち上げ失敗に誰もが自分の目を疑った。あの悲劇から約4年の歳月が流れ、人類は再び宇宙の扉をノックしたのである。スペースシャトル・ディスカバリーは夢と期待そして人類の希望を乗せて大きな宇宙に翼を広げ、多くの成果をお土産に持ちかえってくれることだろう。日本は宇宙開発について先進国の中では若干遅れをとってはいるものの、乗務員として過去に数名が参加し、貢献してきた。人類が宇宙に飛び立ってから45年の月日が経ち、その間にはアポロ計画があり月に足跡を残した。互いが馬鹿らしい争いを止めて宇宙に目を向ければ、映画2001年宇宙の旅は今頃実現していたのかも知れない。ディスカバリーという名前は映画に登場する木星探査船と同じである。「発見する」と言う意味を持っている為、大航海時代から使われている。人類は開拓者でもあり未知の扉を広げて行く。その歴史には戦争という避けて通る事が出来なかった悲劇もあった。今人類に求められているものは「共存」地球は誰のものでもなく、この星で生きている生物全てに与えられた宿である。隣の家に火を付けるような行為は避けて通らなければ人類の未来は宇宙の塵となって砕け散ることだろう。

老人 少子化と高齢化社会。この問題は二つセットになっており、日本の経済に暗い影を落としている。財政の赤字は大きく膨らみ続け、福祉制度の持続性を揺るがし年金制度への不信が高まって行く。行政はその対策として定年の延長、安定した雇用環境の構築、失業率の改善などを実施しているが、抜本的な解決策はいまだ見出されていないのが現状。少子化によるもう一つの問題が医療費の増大。それを食い止める為に高齢者に対する自己負担の割合を増加させ、制度の維持を保持する努力が行われている。人は誰でもいずれは老いて、自分たちの築き上げて来た社会を次の世代にバトンタッチするわけだが、団塊の世代が退職し日本の経済を支えてきた柱の数が減少し、明るい未来とは程遠い希望の持てない国の姿が浮き彫りになる。元小泉総理からその政権を丸ごと受け継いだ安部内閣に「美しい国」の本当の意味を理解している政治家はいない。エリートで坊ちゃん育ちの総理大臣に庶民の気持ちなど分かるはずもない。子どもの姿が公園から消え、過疎地では学校閉鎖或いは統合が進み、益々少子化は進み人口の減少に歯止めはかからない。子育てに悩む親が増え、子どもを産みたくない女性たちが持つ不安はそのまま現代社会の歪んだ構図を写す鏡でもある。完備されない保育園、学校への不信、男性の子育て参加。仕事に忙しい男性はそれを理由に子育てを母親に任せきりで、一番身近にいながら自分の家庭がどの様な状態かそれさえも理解していない。明るい老後は誰もが望んでいるはず。健康で長生き出来れば、仕事を続けたいと願っているだろう。老人が活躍する場の提供を促進し、知恵とスキルの塊である老人こそが日本の将来を牽引するのではないだろうか。

フランキー 皆さんに吉報をお届けする事が出来なくて、大変残念に思います。面接の結果は七敗一分けと言う事になり面接の達人が初めて味わう屈辱感でありました。7通の不採用通知が届き希望は砕け散ったわけです。一分けと言うのは妥協点を見出すことが出来ず、私の方からお断りした次第であります。一家4人が生活するには贅沢をしないとしてもある程度予測は付くと思います。100時間も残業すれば別ですが、そんなにやったら過労死してしまいますから。心臓病の私にそんな体力もありませんし、やはり年齢の壁は高かったという事でしょうか。日比谷の高いビルから公園を眺めながら仕事をするのも悪くはないですが、ビルの高さと反比例するような賃金では諦めざるを得ませんでした。それにしても納得の行かないのは○○生命…。3次面接までして最後には常務取締役という偉いお方とも面接したにも関わらず、結果は不採用。3次面接の連絡を受けた時点で私の気持ち(経験)からして確信があったのですが一体何の為に3度も足を運んだのかいまだに疑問です。それだけ世の中は厳しく、思ったようには行かないものなのだと改めて痛感した次第です。しかし私は今回の教訓を活かし、次の面接で会話の方法を変えて見ることにします。正攻法で駄目なら別の角度でチャレンジするまでのこと。基本スタンスは変えないにしても、自分をあまりアピールし過ぎると相手が引いてしまうので、所々ブレーキをかけつつも好印象を与えることです。目の前に立ちはだかる障壁が高ければ高いほどそれを登り切った時の達成感は自分への自信となって身についてくるもの。本当に生きるというのは目の前の障害物或いは敵から逃れず、立ち向かう勇気なのではないでしょうか。生きていれば必ずや希望の光が差す時は来るものです。死に急ぐようなことはしていけません。救われたら、次は貴方が救ってやればいい。人生とはその繰り返しなのだと思います。