ブログにお越しくださって
ありがとうございます
前回の続きです
週に一度
京都へ仕事に行く日
今週も
バスに乗って
下鴨神社へ
本殿周りの
参拝を終え
糺の森へ
穏やかな中にも
ずっしりとした
重みを感じる
古代からの
森です
縄文時代からの
森だそうです
奈良の小川などを
眺めつつ
歩いていきます
森の中の
すがすがしい空気を
味わいながら
しばらく
歩いてゆくと
河合神社に
着きます
神社へは
橋を渡っていきます
橋の下を
流れているのは
瀬見(せみ)の小川
鴨長明が
和歌を詠んだことで
有名です
ちなみに
鴨長明が詠んだ和歌は
石河の せみの小川の 清ければ
月もながれを尋ねてぞすむ
(『新古今集』に載せられている和歌です
現代語訳:
石河の瀬見の小川が清らかなので、賀茂の神はこの地に鎮座されたのだが、月もまた、その流れを尋ねて澄んで宿っている
(新日本古典文学大系『新古今和歌集』より))
ここで
ひさびさの
Teacher's Time
方丈記を書いた
ことで有名な
ゆく川の流れは
たえずして
っていう始まり部分
学生の頃に
暗記しませんでしたか?
鴨長明は
下鴨神社の神官の
息子として生まれ
ここで
育ちました
しかし
父親が亡くなってから
神社からは
離れます
長明は
和歌が上手で
四十代後半になった頃
時の
後鳥羽上皇に
和歌の実力を
認められて
気に入られます
長明を
厚遇しようとした
後鳥羽上皇は
長明を
下鴨神社の
末社である
河合神社の
神職に
任命しようとしました
ですが
下鴨神社の
神職さんから
猛抗議を受けます
結局
長明を神職にする
話は
なくなりました
この事件をきっかけに
ショックを受けた
長明は
都を離れて
隠居します
その後
大原などを経て
京都のはずれ
日野に
方丈の庵(いおり)を
建てて
そこで暮らし
方丈記を
書くことになるんです
Teacher's Time
ココまで
その方丈の庵が
河合神社境内に
復元されている
とのことでしたので
それを
見るのを
楽しみにしていました
鳥居をくぐって
手水舎で
手と口を浄め
水の勢いがすごかった
神門をくぐると…
あり?
方丈の庵が
ありません
前に来たときには
拝殿の
右に
建物があったのですが
拝殿の右側に
空間があります
いつの間にか
撤去されたようです
木造だったから
傷んで
しまったのでしょうか
河合神社の
境内図でも
下鴨神社のHPに
載っている
境内図にも
方丈の庵が
載っているので
最近
撤去されたのかな
ちなみに
以前
建物が建っていた
場所には
何かが
建っていたらしい
跡が
残っていました
ちなみに
これは
以前に撮った写真
もう見られないと思うと
貴重ですね~
ご本殿で
ご挨拶
御祭神は
神武天皇のお母様
玉依姫命(たまよりひめのみこと)さま
玉のように美しい方だったとのことで
女性守護の神さま
美麗の神さまとして信仰を集めているそうです
どうりで
若い女性の参拝者が多かったな
末社の
貴布禰(きふね)神社
* かなまろんに
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ということがある方は
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