昨日、我が家に約1ヶ月半いたカブトムシが死んでしまいました。



野外のカブトムシは、8月下旬から9月頃には姿を消すことが多いので、秋まで長生きしてくれ、大往生でした。



このブログを書いた時は、元気で、11月までもしかして生きてくれるかな?と話したりしていました。『カブトムシのお世話』8月中旬ごろから、我が家に来たカブトムシ。今も元気に毎日、昆虫ゼリーを食べて、ガサゴソと動いています。子どもたちも可愛いねーと言って触ったり、ゼリーを交換する…リンクameblo.jp



変化は突然でした。

カブトムシが死ぬ3日前ごろから、ひっくり返っても起き上がれなくなりました。



何度も起こしてあげるけど、すぐにひっくり返ってしまいます。



夜の間は、ひっくり返っても誰も起こさないので、ジタバタせず体力を温存させているようでした。



朝になり、私が寝室からリビングに虫かごを移動させると、手足をばたつかせて生きているよと動いてアピールをしていました。



すごく賢いカブトムシだったなと思います。



死ぬ2日前になると、足の関節の1本が外れてしまいましたが、一生懸命歩いていました。



死ぬ前日は、歩こうとしても、他の足も力がうまく入らないのか、二、三歩でもひっくり返ってしまうようになりました。



私だけでも1日50回以上は、体勢を元に戻してあげていました。



子どもたちも、カブトムシがひっくり返っていると、すぐに起こしてあげていました。



二日前は、足が取れても、ひっくり返っても、たくさん歩いてるし、まだまだ長生きするかなぁと思っていましたが、日に日に弱っていきました。



死ぬ日の朝も、ひっくり返っていましたが、私が起きてケースを移動させると、ゆっくり足を動かしたので、まだ生きてると喜んでいました。



でも、起こしても、あまり動こうとはせず、ゼリーの上に置いてあげていましたが、いつの間にか死んでいました。



我が家のカブトムシは、最後まで懸命に生きようと頑張っている姿を見せてくれました。



長男が学校から帰ってきてすぐに「カブトムシが死んでしまったよ」と伝えたら、真っ先にケースのところに行って、動いているかを確かめました。



足も関節のところからぶらんとなってしまっているところがあり、死んでいるのを確認した長男は、すぐ庭に行きました。



シャベルで土を掘って、「バイバイ」と言いながら、土をかけて埋めていました。



双子は、その様子をじっと見ていました。



「お母さんがやって」とか、「後でやる」とか言うかなぁと思っていたのに、おやつも食べずにすぐに行動に移したことに対し、私が「なんでそんなに早く埋めたの?」と聞いたら、「早く土に返してあげたいから」と言う長男。



カブトムシの命に対して、しっかり責任を持って関わってくれていたんだなと、頼もしく感じました。



長男が「前のカブトムシも、ここに埋めたよね」と言いながら埋めていましたが、3年前のカブトムシの時は、私はほとんど関わっていなかった気がします。



その時は、夫が中心となって関わっていました。

暑さのせいで、その時のカブトムシは突然死んでしまい、お別れはあっけなくきました。



今回は、私がカブトムシのお世話をしていたせいか、カブトムシがいなくなってから、寂しさを感じます。



長男にそれを伝えると、長男も「見るものがなくなったよね」と言っていました。



カブトムシに名前をつけていたので、毎日、名前を呼んでケースを開けていた子ども達。



長男はもちろんですが、双子にとっても今回のカブトムシの飼育の経験は心に残るものだっただろうと思います。



カブトムシの死と共に、秋が深まっているのを感じます。やはり寒さには弱かったのか。



カブトムシと楽しい夏を過ごせたことに感謝です。


割り箸を掴んで、懸命に生きようとしていた頃のカブトムシ




8月中旬ごろから、我が家に来たカブトムシ。


今も元気に毎日、昆虫ゼリーを食べて、ガサゴソと動いています。



子どもたちも可愛いねーと言って触ったり、ゼリーを交換するお世話をしてくれています。



我が家に来たときに、10月まで長生きするかなぁって思っていたら、10月になっても、頑張って生きてくれています。



以前、カブトムシを飼った時は、暑い家に半日ほど置いたままにしておいたら、ひっくり返ったまま死んでしまったことがありました。



その経験から、今年はカブトムシが暑くないように、なるべく冷房を効かせた部屋に毎回移動させたり、すごく気にかけて育てています。



カブトムシを飼ってよかったことは、命の大切さや終わりを子どもたちが理解できるようになったと思うからです。



以前、カブトムシを育てたのは3年前。



カブトムシが動かなくなり、死んでしまったこと、子ども達は不思議に思っていたかもしれません。



庭に埋め、生き物は死ぬということを伝えました。



その年、祖父が亡くなり、6歳だった長男は、はっきりと死ぬことがどういうことかを理解しているようでした。



人間も死んでしまったら、動かなくなり、骨になり、お墓に入ることを、その時伝えました。



長男は、亡くなった祖父の顔を、怖がることもなくじっと見ていました。



2歳だった双子は、まだ理解できていませんでしたが、長男が死を理解できたのは、カブトムシのおかげもあるかなと私は思っています。



今、5歳の双子は、死ぬことの意味を徐々にわかっていると思っています。



10月になっても、長生きしてくれている我が家のカブトムシを大切に育てながら、子どもたちに命の大切さを伝えていきたいと思います、





私は以前、自分のことを次元上昇したと思っていた時期がありました。



物事の捉え方や価値観が180度変わったからです。



でも、その後、自分に起きた出来事を振り返ってみると、他人軸から自分軸への転換でもあったな、と思います。



私は、いつも人の顔色を伺い、他人にどう思われるかばかり気にして自己犠牲するような他人軸で生きていたので、心をすり減らしていました。



そして、ついに限界が来て、自分のことを大事にしないと、このままでは自分の体がおかしくなってしまうと思い、自分を大事にするためにはどう行動したらいいかを考える自分軸に変わりました。



内面に変化が起きると、物事の捉え方も変わり、人間の心理行動、社会の仕組みなどがどんどんわかるようになり、日々新しい発見をして楽しんでいます。



そしてそれを、「また新しい発見したよ。面白いこと気づいたよ。聞きたい?」と夫に言っています。



ある日のこと、いつものように、夫に新しい発見を話そうとすると、長男の方が「聞きたい、聞きたい、話すの待って」といってきました。



「お母さんセミナー」と書いた紙を壁に貼って、私が話す席を作ってくれました。



長男は本当に私の話を楽しみにしてくれているんだなぁと思います。



長男も私が変わったことで、他人軸から自分軸になっていて、学校での友達付き合いがずいぶん楽になっているような印象を受けます。



夫も私が話す内容を、自分の職場の人間関係に当てはめてみたり、参考にしてくれている感じがします。



自分軸で生きることは、これだけネットが発達し、情報が溢れた社会なので、自分の心を正気に保つためにも、本当に大切なことだと思います。



自分軸=わがままで生きることではありません。



自分軸で生きることは、自分の生き方に責任を取るという覚悟が必要なので、他人軸で生きている方が楽です。

日本人のほとんどが、他人軸で生きているから。



でも、他人軸にどっぷりはまってしまうと、自分の心を壊してしまう可能性もある。



だからこそ、自分軸に変われたこと、その生き方を子どもたちに背中で語れることがうれしいです。




収穫した辛くない唐辛子を使って、夫が肉巻きを作ってくれました✨



我が家は双子含む3人の子ども達がいるので、家の中は片付けても、あっという間に散らかるし、喧嘩は日常茶飯事です。



毎日のように、誰かが「〇〇くんが叩いたー」などと私のところへきて、泣く子がいます。



そんな中では、何かしようとしても、はかどらずに中断されてイライラしてしまいます。



なので、最近は、子ども達が家で遊んでる時に手が空いた時は、ビーズアートをするようになりました。




これが黙々と集中できて、周りの喧騒が気になりません。



誰かが喧嘩していても、あらあらという感じで、気にもとめないので、私をあてにするのは諦めて、子ども達同士で解決するようなこともあります。



一日にまとめて終わらせるとかとはしてなくて、途中で中断されれば、その日は終わりという感じで、無理なく続けられているなと思います。



子どもたちも私がやっていると一緒にやったり、シールタイプもあるので、五歳の双子は特に気に入って集中して作っています。



出来上がると、達成感もあるし、部屋に飾ったり、シール帳などに貼ったりしています。



季節によって、デザインがいろいろ新しく出たり、百均なので、ついつい可愛いものは買ってしまい、いつか作ろうとストックが増えています。



子育て中でも手軽に集中できる趣味ができて良かったです。



子どもたちの成長のおかげでもあります。

今よりも小さければ、ビーズはひっくり返されるだろうし、こんなに落ち着いてできなかったと思います。



最近の百均はクオリティーもすごいし、シールにもはまってしまいました。



シールにはまってしまったことは、いつかまた書こうかなぁと思います。



大人になってビーズアートやシールに夢中になるとは思っていなくて、新たな自分を発見した感じがして、嬉しいです。







少し前のこと、仏陀と同じような境地になったかも、悟ったかもしれないと心が浮かれていました。



今でも、同じ心境のままで、特に変わりはありませんが、日常に浸透したかなと思っています。



どんな感じかというと、「今ここ」の状態にすぐなり、今この瞬間が満たされているなという感覚です。



この前、自分で驚いたのは、ある神社に家族で行った時のこと。



風鈴がたくさんある神社でしたが、風がなく、風鈴が鳴っていませんでした。



風鈴の音が聞きたくて、いつ鳴るだろうかとずっと耳をすませていました。



ふわっと風が吹いたときに、風鈴が一斉に鳴り出しました。



私が「風鈴の音がすごいよ」と長男に伝えると、長男が「セミと風鈴の音がすごいね」と言いました。



私はその時、はじめてセミが鳴いていたのだと気づきました。



風鈴に耳を澄ませすぎて、他の音がシャットダウンされていたみたいです。



「今ここ」を存分に味わっていたなぁ、と思いました。



昔と比べて、世間体や他人の目に対しての思考がだいぶなくなったので、感性が研ぎ澄まされているのだろうなと思います。




また、別の日のこと。

夏休みなので、家族でプールに行きました。



浮き輪に乗ってぷかぷかと浮かんで空を見上げていると、とても気持ちが良くて、眠ってしまいそうになるほど。



空と一体化しているようで、とてもリラックスできました。



周りは、たくさんの家族連れで、楽しそうに過ごしていましたが、浮かんでいるときは、その声も聞こえないくらい、ぼーっとしていました。



長男は、私に「何を考えているの」と聞いてきたので、「空を見てるよ。気持ちいいよ」と伝えると、私の足を持って浮かぶアシストをしてくれました。


次男は、私のお腹の上に仰向けで乗っかり、同じように空を見てリラックスしていました。



今の自分は、すごく地球を楽しんでいるなと思います。



時間も忘れ、今に没頭できる自分が嬉しいし、一緒に楽しんでくれる家族に感謝です。









お出かけの帰り、車の中の会話です。



双子男子が、窓の外を見ながら、

「月がついてきてるね」と言いました。



長男が小さい時も似たようなこと言ってたなぁ、と思い出しました。



すると、今度は、双子女子が車が止まったときに、

「〇〇達がとまったら、月もとまるんだね」と。



この子たちは、自分を中心に世界が動いていると感じているんだなぁ、と思いました。



まだ思考よりも感情優先の、右脳優位な頭。



今ここを楽しんでいるのが、いろんな場面で伝わります。



美術館や博物館、静かなレストランであろうが、おかまいなしに、「静かにしたくない」と騒ぐ。



行きたいところは限られてしまいますが、できる範囲でいろんなことも経験させてあげたい。



でも、まだ自分中心に世界が回っていて、世間体や周りの目なんて考えない、自分の感情優先な子どもに我慢を強いるのは可哀想です。



静かにしないといけない場所なんだと本人が納得できるように伝えながらも、子どもの感情も守っていきたいなと、脳の仕組みから思った出来事でした。



最近、5歳の娘が、自分でノリツッコミをしていて面白いなと思うことがあったので、残しておこう思います。



ある日のこと、双子と私で昼ごはんを家で食べていました。



ひよこの絵が書いてあるふりかけを双子男子が選びました。



双子女子

「ひよこの味のふりかけにしたんだねひらめき

えっやばっ!!あんぐり」



私「ひよこ味じゃないよ。たまご味だね」



このふりかけを見て出た言葉です。

可愛い日常の一コマです。



別の日のこと、子ども達からの風邪がうつってしまい、私は早く寝ようとしていました。



娘は、私の側で、頭をなでながら、「大丈夫?」と言ってくれていました。



「あたまが重たい」と私が言うと、

娘が「ちょっと運んでみよう!」と私の頭を持ち上げようとして、「うわっ、重たっ!!」と言ってました。



重たいの意味が違うんだけどな、と思いながらも可愛いなと思う出来事でした。




子ども達はいよいよ夏休み☀️

楽しい夏が始まります🌻



一緒にいる時間が増えるので、いつもに増してドタバタすると思いますが、何気ない日常も楽しみながら、たくさん思い出をつくろうと思います。



子どもに負けず、私も思いっきり夏を満喫します✨












以前行った場所の写真をパソコンで私が見ていると、長男が「この写真綺麗だから印刷して」と言ってきました。



長男は、印刷した写真をジェミニを使って油絵にしていました。



できたのが、こちらの絵。



真ん中にいるのが夫。

すごくきれいな夕日で、ウユニ塩湖のように反射していて綺麗だなと思った写真です。



ジェミニは、写真を油絵やスケッチの絵など、いろんな絵に加工してくれ、本当に凄い時代だなと思います。



そして、長男は、AIを面白がって使っています。



どんどん進化していくAIを、子どもたちも当たり前のように吸収して、一緒に成長していくんだろうなと思います。



学校でも授業でプログラミング?を学んでいるらしく、家でも自分で簡単な動きを作ってゲームのようなことをして遊んでいます。



今の小学生はすごいです。



授業参観で、自分のことについて発表する授業がありました。子ども達が一人ずつ前に出て、スライドを使って説明していました。



私が大学生の時にしていたことです。

しかも、一人で前に立ち発表するなんて、いろんな面で自分の小学生の時とは大違い。



今の小学生は、英語やタブレットの授業をこなしています。どんな大人になっているのか。日本の将来は明るいのか。



子ども達の成長が楽しみです。

サカナクションさんの「夜の踊り子」は、今、小学生の間でものすごく流行ってるみたいですね。



我が家でも、よく聞くようになり、ノリノリで歌えるいい曲だなと思っています。



この曲が流行ったのは、インドネシアで高速の船の先頭で立って踊るボート少年の映像に、「夜の踊り子」の曲のリズムがピッタリ一致してるから。



ショート動画を見ると、CG映像かと思うほど高速で、命がけだし、とても勇敢な少年だなと感動します。






色んな動画で、男の子の素顔や練習風景を見ると、こんなに可愛い男の子が頑張っていたんだなと、ウルウルしてしまいます。





調べてみると、インドネシアのスマトラ島内陸部の地域の伝統的なボートレース「パチュ•ジャルール」とのこと。



村同士の誇りや結束を高めるボートレースであり、船造りは、森から木を運搬することから始まり、村の長老が指揮をとり、儀式を行う、スピリチュアルな意味も込められてるそう。



船体にはワニや虎、サソリなど村の誇りをかけた華やかな彫刻が施されます。

日本の神輿と似たような側面を感じます。



先頭で、「踊り手」を務めるのは、主に子どもたちで「チアリーダー」的存在として漕ぎ手を鼓舞し、彼らの踊りは、チームに精神的な力を与えると信じられています。



先頭で自分の役目を果たす男の子や、その男の子を支えるボートの漕ぎ手である大人達。



この世界を全力で生きてるな、素敵だなと勇気をもらえました。



また、このサカナクションさんの「夜の踊り子」の歌詞も素敵だなと思います。



「イメージしよう。イメージしよう。自分が思うほうへ」という歌詞。



引き寄せの法則みたいだなと思いました。



最近は歌詞とかを聞くと、引き寄せの法則のほうに結びつけてしまっている自分がいます。



なので、私の頭の中は、当たり前のように引き寄せの法則が入っているのかなと思っています。



この素晴らしい動画に出会えたことに感謝です。



ある日のこと、お出かけ先で、以前好きだった曲が流れているのに気づきました。



この歌なんの曲だろうと思って調べて、宇多田ヒカルさんの「道」という曲だと分かりました。



サントリーの天然水のCMにも使われていた曲です。



この曲がまた好きになり、リピート再生するほど聞くようになりました。



この曲の歌詞に「あなた」というワードが何度も出てきます。



「あなた」は誰のことを指しているのだろうと考えるようになりました。



歌詞の解釈は、聞く人によって違うと思うし、宇多田ヒカルさんも、聞き手によって自由に解釈できるように曲を作られてるとは思います。



でも、私の中で、これだ!!と思うものが見つかったときは、「お母さんわかったよ!!」と長男の肩を掴み、体を揺らして、興奮してしまうほど嬉しかったです。



長男は、「あっ、よかったね」と苦笑いでしたが。





宇多田ヒカルさんの「道」の歌詞はこちらです。



黒い波の向こうに朝の気配がする
消えない星が私の胸に輝き出す
悲しい歌もいつか懐かしい歌になる
見えない傷が私の魂彩る

転んでも起き上がる
迷ったら立ち止まる
そして問う あなたなら
こんな時どうする

私の心の中にあなたがいる
いつ如何なる時も
一人で歩いたつもりの道でも
始まりはあなただった
It's a lonely road
But I'm not alone
そんな気分

調子に乗ってた時期もあると思います
人は皆生きてるんじゃなく生かされてる

目に見えるものだけを
信じてはいけないよ
人生の岐路に立つ標識は
在りゃせぬ

どんなことをして誰といても
この身はあなたと共にある
一人で歩まねばならぬ道でも
あなたの声が聞こえる
It's a lonely road
You are every song
これは事実

私の心の中にあなたがいる
いつ如何なる時も
どこへ続くかまだ分からぬ道でも
きっとそこにあなたがいる
It's a lonely road
But I'm not alone
そんな気分



「あなた」は誰のことを、思い浮かべましたか??



私の歌詞の解釈を少しだけ記録しようと思います。



この曲の歌詞は、私のために書かれた歌詞かと思うほど、今の自分の気持ちにしっくりきています。



最初の歌詞の「悲しい歌もいつか懐かしい歌になる。見えない傷が私の魂彩る」というところ。



今までブログで、次元上昇した、や変わったと書いてきましたが、本来の自分を思いだすと、悲しくて辛かったことも忘れるわけじゃないけど、懐かしいと思えるくらいの出来事に変わっています。 



見えないほどに染み付いている心の奥の傷は、変われたきっかけ。

過去の経験があったからこそ、今の変われた、元の自分に戻れたという魂の喜びにつながっているのを感じます。



「調子にのってた時期もあると思います」という歌詞。

私の全能感だったときの状態に似ています。



「人は皆生きてるんじゃなく生かされてる」という歌詞は、まさにワンネス。

自分を生かしてくれている源である宇宙のこと。



「人生の岐路に立つ標識は在りゃせぬ」という歌詞は、人生に別れ道などない。自分が選んだ選択がベストであるということ。




そして、私が考えた末にたどり着いた「あなた」は、宇宙や神のような存在という名の私自身のこと。



私は、半年前、絶望の末、次元上昇したと考えています。そして全能感を感じました。

また絶望し、その後悟りの境地にたどり着いたと思っています。



すると、ワンネスを体感できたというか、いつでも思い出せる状態になりました。



ワンネスとは、この世の全ては1つであるという概念。私が宇宙であり、宇宙は私。私は宇宙の1部で、山や川の自然も私。



でも、いつもワンネスの気持ちでいるわけではありません。いつもワンネスの状態だと、山にこもって生活しなければいけなかったり、廃人になってしまうようです。



私はワンネスの土台を持った状態で、このドタバタの現実世界を生きるということに着地できたようです。



自然などを見ると、すぐにワンネスの感覚になれます。



どういうことかというと、この海や川は私であり、この素晴らしい私を体験するために今地球にいるんだなと感じている状態。



意味不明かもしれませんが、変な宗教に入ったわけではありません。




「心の中にあなたがいる

いつ如何なる時も一人で歩いたつもりの道でも

始まりはあなただった」という歌詞。



「心の中にあなたがいる」というのは、あなたは宇宙のことなので、宇宙といつも一緒だということ。



「始まりはあなただった」は、始まりは宇宙のことだと捉えたら、理解できます。



「一人で歩まねばならぬ道でも

あなたの声が聞こえる」という歌詞は、

現実世界を生きる上で、肉体を持っている以上、究極的には、誰しも1人で生きていかなければいけません。



そんな時でも、自分という存在は、宇宙そのものであるから、全てとつながっている。

だから1人ではない。目には見えないけれど、ずっと宇宙は支えてくれているということ。



「どこへ続くかまだわからぬ道でも

きっとそこにあなたがいる」



私は宇宙そのものなので、どこにいっても、どんな時でも、大いなる存在の宇宙に守られています。



英語で、孤独だけど、孤独じゃないという歌詞も、私は宇宙そのものなので、一人と感じる時も、孤独ではないということ。



文章で書くとよくわからない感じになってしまいますが、私が思う「あなた」は、この世界を作った神や宇宙という存在のことを表しているのではないかと考えています。



もしそうだとしたら、宇多田ヒカルさんも、私と同じような視点でいろんな景色が見えているのかなあと感じました。



私の解釈であって、宇多田ヒカルさんがどう考えているか分かりませんが、このことに気づいた時は、飛び上がるほど嬉しかったです。



これほどまでに、私の人生の歩みとシンクロしている曲に出会えたことに感謝です。



宇多田ヒカルさんに届くといいな✨