バーニング 劇場版(ネタバレ) | 三角絞めでつかまえて2

バーニング 劇場版(ネタバレ)

バーニング 劇場版※ムービーウォッチメンのリンクなどを追記しました(6/4)



原題:Burning
2018/韓国 上映時間148分
監督・製作・脚本:イ・チャンドン
製作:イ・ジュンドン
原作:村上春樹
脚本:オ・ジョンミ
撮影:ホン・ギョンピョ
美術:シン・ジョムヒ
衣装:イ・チュンヨン
音楽:モグ
出演:ユ・アイン、スティーブン・ユァン、チョン・ジョンソ
パンフレット:★★★☆(800円/コラムが3本収録。監督インタビューなども良し)
(あらすじ)
アルバイトで生計を立てる小説家志望の青年ジョンスは、幼なじみの女性ヘミと偶然再会し、彼女がアフリカ旅行へ行く間の飼い猫の世話を頼まれる。旅行から戻ったヘミは、アフリカで知り合ったという謎めいた金持ちの男ベンをジョンスに紹介する。ある日、ベンはヘミと一緒にジョンスの自宅を訪れ、「僕は時々ビニールハウスを燃やしています」という秘密を打ち明ける。そして、その日を境にヘミが忽然と姿を消してしまう。ヘミに強く惹かれていたジュンスは、必死で彼女の行方を捜すが……。(以上、映画.comより)

予告編はこんな感じ↓




90点


本作を観たのは、愛聴しているラジオ番組「アフター6ジャンクション(略称:アトロク)」の週刊映画時評コーナー「ムービーウォッチメン」の課題映画になったから…というだけではなく。僕的にイ・チャンドン監督の前作「ポエトリー アグネスの詩」が、鑑賞後に1年間、別のブログ(※現在は削除済み♪ (o^-')b クロレキシ)で詩を書くようになったほどに衝撃を受けた生涯ベスト級の作品だったから。当然ながらその次回作は観る気マンマンであり、前売り券を購入。年末にNHKで放送されたドラマ版「バーニング」(90分)を観る→「アトロク」のイ・チャンドン監督インタビューを聴いてから(こちらの文字起こしをチェックしてみて!)、2月頭、TOHOシネマズシャンテで鑑賞しましてね。で、原作となった“30ページ程度の短編小説”「納屋を焼く」を読む→あらためて監督インタビューを4回聴き直してから、昨日、TOHOシネマズシャンテで2回目を観て来ました。「イ・チャンドン監督、恐るべし… (`Δ´;) ヌゥ」と思ったり。


前売り特典は「オリジナル・ポストカード」でしたよ。


1回目を観た後は「サスペリア」をハシゴ。こんなツイートをしてみたりしてね。


そして原作小説を購入→「納屋を焼く」だけ読破→監督インタビューを聴き直しまして。


さらに2回目を鑑賞。「ライ麦畑の反逆児」をハシゴしてみたら、期せずして小説家映画2本立てになったのでした。



ううむ、率直に書くと、不穏な映画だなぁと。「恋をした女性が謎の失踪をする」という展開と、作品全体の雰囲気は「アンダー・ザ・シルバーレイク」を連想したんですが、あっちにはそれほど乗れなかったのに本作にはグッときたのは、主人公ジョンスのキャラ造形が感情移入しやすかったから…なんでしょうな。何はともあれ、バージョン別にあらすじを簡単かつ雑にまとめておくと、こんな感じでしたよ↓



<原作小説>
舞台は1980年代の日本。主人公は妻帯者の小説家の“僕”(34歳)。達観したムードであり、23歳の“彼女”とよろしくやっていたら、“彼女”が北アフリカに行くことになって。帰国した時は、新しいボーイフレンド“彼”が一緒だった。“彼”は貿易関係の仕事をしていて、20代後半なのに金持ち。やれやれ顔で一緒に飲んだり、大麻を吸ったりしていたら、「時々納屋を焼くんです ( ´_ゝ`)」なんて告白をしてきた。「もうそろそろ焼く」「場所はこの近所」というので、ジョギングがてら、近所の納屋を毎日チェックしてみたものの、燃やされた気配はない。そして、その日からなぜか“彼女”とは連絡が取れなくなってしまった。偶然、“彼”と再会した時、近所に焼かれた納屋は見つからなかったことを伝えると、「焼きましたよ ( ´_ゝ`)」とすまし顔。僕は今も納屋のことを考えている ┐(´ー`)┌ ヤレヤレ


<ドラマ版(日本語吹替)>
舞台は現在の韓国。主人公は作家志望のフリーター、ジョンス(20代)。偶然、幼なじみのヘミと再会したら、向こうが勝手に好意を寄せてくれてセックス!ヘ(゚∀゚*)ノ ヤッタァ! すっかり彼氏気分で、ヘミがアフリカに旅行している間は部屋に出入りして、“姿の見えない猫”ボイルにエサをやったりするジョンス。帰国の時、ヘミが「迎えに来て」と電話してきたので空港まで行ってみれば、ベンという彼氏を連れてきた。20代後半か30代前半くらいなのに金持ちで、仕事を聞くと「いろいろ遊んでます ( ´_ゝ`)」とすまし顔。酪農家の父親が暴行事件を起こして逮捕されたので、実家に戻って牛の面倒を看ていると、ヘミが電話で誘ってきたから、「すわ、デートか!Σ(°д° ) クワッ!」と思って足を運べば、そこにはベンもいて、妙に居心地の悪い思いをする。ある日、2人が家に尋ねてきたので、一緒に飲んだり、大麻を吸ったりしていたら、「時々ビニールハウスを焼くんです ( ´_ゝ`)」なんて告白をしてきた。「もうそろそろ焼く」「場所はこの近所」というので、ジョギングがてら、近所の納屋を毎日チェックしてみたものの、燃やされた気配はない。そして、その日からなぜかヘミとは連絡が取れなくなってしまった。ベンと再会した時、近所に焼かれたビニールハウスは見つからなかったことを伝えると、「焼きましたよ ( ´_ゝ`)」とすまし顔。なんだか釈然としないジョンスは、ヘミの部屋で原稿を書き始めるのだった… \_ヘ(Д´;) カタカタカタカタ...


<劇場版>
舞台は現在の韓国。主人公は作家志望のフリーター、ジョンス(20代)。偶然、幼なじみのヘミと再会したら、向こうが勝手に好意を寄せてくれてセックス!ヘ(゚∀゚*)ノ ヤッタァ! すっかり彼氏気分で、ヘミがアフリカに旅行している間は部屋に出入りして、“姿の見えない猫”ボイルにエサをやったりするジョンス。帰国の時、ヘミが「迎えに来て」と電話してきたので空港まで行ってみれば、ベンという彼氏を連れてきた。20代後半か30代前半くらいなのに金持ちで、仕事を聞くと「いろいろ遊んでます ( ´_ゝ`)」とすまし顔。酪農家の父親が暴行事件を起こして逮捕されたので、実家に戻って牛の面倒を看ていると、ヘミが電話で誘ってきたから、「すわ、デートか!Σ(°д° ) クワッ!」と思って足を運べば、そこにはベンもいて、妙に居心地の悪い思いをする。ある日、2人が家に尋ねてきたので、やれやれ顔で一緒に飲んだり、大麻を吸ったりしていたら、「時々ビニールハウスを焼くんです ( ´_ゝ`)」なんて告白をしてきた。「もうそろそろ焼く」「場所はこの近所」というので、ジョギングがてら、近所の納屋を毎日チェックしてみたものの、燃やされた気配はない。そして、その日からなぜかヘミとは連絡が取れなくなってしまった。しかも「ヘミからの電話がかかってくるも少し揉めているような音がして、切れる」なんてことがあったので、ジョンスはすっかり「ヘミの失踪」に取り憑かれてしまって、オレ流捜査をスタートだッ!m9`Д´) ビシッ 地道な聞き込み調査によって、ヘミが職場や習い事に顔を出さなくなっていたり、借金を抱えていたりすることが明らかになる中、偶然を装ってベンと会い、近所に焼かれたビニールハウスは見つからなかったことを伝えると、「焼きましたよ ( ´_ゝ`)」とすまし顔。父親に実刑が下ったり、幼いころに離婚した母親と再会したりしつつ、張り込み&尾行を続けていたら、ベンに見つかってしまい、家に招待されるジョンス。「①トイレにヘミの時計があった」「②ベンが飼っている猫を『ボイル』と呼びかけたら寄ってきた」「③新しい彼女に対するベンのアクビがヘミの時と一緒だった」といった状況証拠を掴むと、ヘミの部屋で原稿を書き始めるんですけれども。場面が変わって、ジョンスったら地元っぽい場所にベンを呼び出すと、刺殺→車ごと燃やしてやったぜ!ヽ(`Д´)ノ クソガ!



まず、僕が一番感心したのは脚色と脚本でしたよ。ドラマ版→劇場版を観てから原作小説を読んだら、映像ではあれほど焦りまくっていた主人公が超然としていたからスゲー驚いて(この世で一番嫌いなタイプの人類であり、特に大麻を勧める場面では、僕は「てめえが勝手に吸うのは知らねーけど、他人を巻き込むなよ ( ゚д゚) クソガ!」派なので、相当イラッとしたことは置いとくとして)。よくぞこの原作を選んで、韓国の若者の貧困事情や貧富の差、“ああいう奴ら”の「(指摘されたらいくらでも弁明できるレベルの)うっすら見下しているムード」といった要素をプラスして、違う味わいの映画にしたなぁと(でも、作品から感じる「世界の捉えどころのなさ」は共通している感じ)。最初に飲み代を払う時のジョンスの心許なさとベンにご馳走になる時の“若干の”卑屈さを対比させたり、「ビニールハウスを焼いている」という告白のシーンで、ジョンスがすでにその意味を予感しているような台詞(「ちくしょう、ヘミを愛しているんだ」)を吐かせて「後の出来事」を示唆したりとか、細部もよく考えられていて。ドラマ版も劇場版もとても面白かったです。


役者さんたちの演技も100点で、ヘミ役のチョン・ジョンソは本作がデビューだとは!Σ(゚д゚;) マジカ!


ベン役のスティーブン・ユァンも「良い奴なんだか悪い奴なんだか」感が最高でした。


ただ、一番素晴らしかったのがユ・アイン。心底垢抜けない主人公でしたが…。


「ベテラン」で“最凶の御曹司テオ”を演じた人と同一人物だとは思えなかったです (`Δ´;) スゲェ
最凶の御曹司テオ(ユ・アイン)


まぁ、本作を観て感じたことはいろいろあって。本作はノワール映画だと思うんですが(ヘミがファムファタール)、まず、パンフで法政大学の越智啓太先生が似たことを書かれていましたけど、僕的には「犯罪に巻き込まれた当事者気分が味わえるミステリーサスペンス」だと思いました。原作やドラマ版は「断定はしていない」ものの、劇場版では「高確率でベンがヘミの失踪に絡んでいる」ように描いていて。疑心暗鬼になる材料が次々と提示されてくるけど、いくらでも言い逃れができる決定打のない状況。許せないけど、どうしようもない…。ああいうことって、大なり小なりあるじゃないですか。そのモヤモヤ感が堪能できたのは面白かったし、最後の「ジョンスがベンをぶっ殺して全裸になるワンカット長回し」は、その凄惨で寒々とした光景がスゴかっただけでなく、ごめんなさい、品性が疑われる文章を書きますが(汗)、いけ好かない金持ちが死んでざまぁと思わなくもなかったというね (´∀`=) セマイココロ


ベンったら、微妙に“善意だけの人”にも思えたりするから、タチが悪いんだよなぁ。



とは言え、ラストはいろいろな解釈ができましてね。僕は「ジョンスが書いた小説の中の出来事」だと思いました。要は、若松孝二監督が「映画の中なら警官をぶっ殺しても罪にならない!( ▼д▼) クソガ!」と映画監督になったような。だから、「世の中の理不尽に創作で抗う映画」とも感じたりして(イ・チャンドン監督が本作を撮ったことと通じるのでは?)。劇中で、単に空腹の「リトルハンガー」と人生の意味を知りたくて飢えている「グレートハンガー」なんて言葉が出てきますが、「最後にやっとジョンスは『グレートハンガー』になった→本気で人生に向き合ったから書けるようになった」ということなのかなぁと。そう考えると、ヘミは「グレートハンガー」に憧れつつもなれなかった人間であり、ベンはすでに「グレートハンガー」だったのではないか。ベンが刺殺される際、少しだけホッとしたような奇妙な表情を見せるのは、人生に飽いていた哀れな男が解放されたという意味があるような気がするし(「十三人の刺客」の稲垣吾郎さんを連想した)、わざわざあんな場所まで出向いたのも、そういうことじゃないのかな…って、ううむ、慣れないことを考えすぎて知恵熱が出てきたのでね、ここら辺でやめておきますよ(微笑)。


ベンはこんな加藤清澄気分だったのではないか。そんなことはないのか(「バキ」より)。



何はともあれ、「ポエトリー アグネスの詩」のような感動するタイプの作品ではないものの、その不穏なムードに心惹かれてしまうような、いつまでも余韻を引きずってしまうような、不思議な魅力の映画でしたねぇ…(しみじみ)。原作小説とドラマと映画を比較するのも楽しかったし、こんな映画を撮るなんて、あらためて「イ・チャンドン監督、恐るべし… (`Δ´;) ヌゥ」と思ったり。なんとなく、今、「アンダー・ザ・シルバーレイク」を観直したら、前よりも楽しめるような気がします。おしまい。

※本作については、「古川耕さんによるイ・チャンドン監督インタビュー(良い仕事!)」を読んでから、宇多丸師匠の的確な時評をチェックして、最後に町山智浩さんの映画ムダ話(216円)を聴けば大丈夫だッ!m9`Д´) ビシッ




村上春樹先生による短編集。「納屋を焼く」以外は読んでません。



イ・チャンドン監督の前作。傑作だけど、辛くてもう観られませぬ。僕の感想はこんな感じ



村上春樹先生の小説の映画化作品。僕の感想はこんな感じ



ユ・アインが超イヤな金持ち野郎を演じた「はみだし刑事」ムービー。僕の感想はこんな感じ