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母についてシリーズ、今回で最終章、

母が亡くなった後のことを書こうと思います。

前回までのブログは、こちらです。
母について1(お盆に思う)
母について2(母娘関係)
母について3(最初の試練)
母について4(自宅介護)
 ↑アメトピに掲載されました!
母について5(第2の試練)
母について6(旅立ちの日)

母が亡くなり後、悲しみにくれる間もなく、

翌日に通夜、更にその翌日には葬儀と、

慌ただしく過ぎていきました。
身内の葬儀は、決めるべきことが多く、

いろんなことが流れ作業のように

進んでいったような感じでした。
よく葬儀が終わるまで悲しむ暇がないと

聞きますが、本当にそんな感じでした。

母が亡くなったのが木曜日だったため、

通夜は金曜日、葬儀は土曜日に行い、

翌週の月曜日には出社しました。


東京出張は、代わってもらう方向で

調整していたのですが、

出張は火曜日からだったため、

月曜日に出社して準備をし、

予定通り東京に行きました。

12月の東京出張は恒例になっており、

夜はクリスマスイルミネーションを

見に行くのが、唯一の楽しみでした。
この時も表参道に出向いたのですが、

歩きながら涙がとめどなく流れ、

人目も憚らず号泣してしまいました。

 

母が亡くなった直後の東京出張行きの新幹線から

撮った富士山

 

 

母が亡くなった後、不思議に思ったこと。
それは・・・

もしかして母は、私のために、

7日に亡くなったのではないかと。

12月に入った頃に、

日に日に弱っていく母を見て、

私は東京出張を止めたほうがいいと

思いつつも、諦めきれずにいました。

そして、7日に東京出張の打ち合わせを

予定していたため、この直前に結論を

出そうと決めたのでした。

 

が、その7日に母の容体が急変し、

あっという間に帰らぬ人となったのです。
そして、葬儀まで終えて何の心配もなく

東京に行くことができたのです。

 

このことは、今でも本当に

不思議でならないのです。

 

不思議な出来事として、お金のこと。

施設、病院など全ての支払いを済ませ、

手元に残った額を計算したところ、

お小遣い程度でした。

 

仮に母がもう1ヶ月長く生きていたら、

マイナスになったところです。

もちろん、そうなったらなったで

私が出すつもりでいたので良いのですが、

お金のことは、きっちりしていたし、

いつも気にかけていたので、

いかにも母らしいなと思いました。

 

 

母が亡くなってしばらくした後、

夢に母がでてきました。


夢の中の母は、楽しそうに笑いながら

軽快に歩いているのです。
私は、歩いている母に向かって、

「お母さん、歩けるようになったの?」と、

声をかけるのですが、

母は私の声が聞こえていないのか、

気づかず歩いていってしまいました。
ほんの数分間?の短い夢でした。
私は嬉しくて嬉しくて、

目が覚めた後、号泣してしまいました。

不思議なことに、この私が見た夢、

その後に、妹も娘も同じ夢を見たのです。

妹と娘は、1回限りですが、

私は、その後2回同じ夢を見ました。

 

あれは、母からの

「私は元気だから安心して」

のメッセージだと思いました。



母が亡くなってから4ヶ月ほど経った頃、
私は、交通事故に遭いました。


私が青信号で交差点に進入した時、

右側から信号無視した車とぶつかり、

その反動で私の車は、歩道のフェンスに

後方がぶつかり、大破したのですが、

私は全身打撲と、左膝を7針ほど

縫うだけの軽傷だったのです。


車だけを見ると誰もが、

「この車の人、大丈夫だったの?」と、

生死を確認したくなるような状態なのに、

1週間程度の自宅安静という、

軽傷で済んだのです。
乗っていた車は、母のために買った

車椅子ごと乗れる車で、

母との大切な思い出のため、

本当に残念でならなかったけど、

私は、母に守ってもらったと、

確信しました。

 

それは、私を守ったのは、

物理的にはエアバッグなのですが、

ぶつかった瞬間の感覚は、

体ごと抱きしめられたような、

そんな感じだったのです。

今でもあの感覚は忘れられません。


夫からも、

「ばあば(母)に守ってもらったね」

と言われました。

 

 

私が子供に対して思うことは、

迷惑かけたくない

元気でいてほしい
笑顔でいてほしい

そして、命の危険が迫ってきたら、

全力で守りたい

 

たとえ死んでしまっても、

この思いは変わらないでしょう。
きっと母も同じなのかなと思いました。


母が元気な頃は、喧嘩ばかりして

仲が悪い母と娘だったし、

正直、母のことは好きではなかったけど、

今は、母が生きていた時以上に、

母を近くに感じるのです。


母のことは、以上となります。

毎回、読んで下さった方、

ありがとうございました。
 

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