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自宅介護から5年経った後、

母は施設で生活することになりました。
今日は、母の約3年半の施設での生活と、

母を襲った病気との闘いから亡くなるまでを

書こうと思います。


前回までのブログは、こちらです。
母について1(お盆に思う)
母について2(母娘関係)
母について3(最初の試練)
母について4(自宅介護)

施設の職員さんは本当に良い方ばかりで、

母の施設での生活は、

まあまあ良かったと思います。
私は毎週欠かさず日曜日には、

おやつを持って母のもとに出向き、

部屋で一緒に食べたり、

お天気が良い日は、ドライブや買い物に

行ったり外食も楽しみました。
外食と言っても、母が好きなものは、

ケンタッキー、スガキヤのラーメン、

マックポテト、ほとんどジャンクフード爆  笑
母は、体こそ不自由でしたが、

内臓系は至って健康でした。

施設に入って1年3ヶ月ほど経った

2015年9月。
足のちょっとした傷口から菌が体に入り、

高熱を出して3週間ほど入院しました。
この病気自体、大したことではなかったのですが、

この入院時に行った血液検査で、

ある病気になっていることが分かりました。
病名は、骨髄異形性症候群(MDS)、

血液の癌の一種です。
この病気は高齢者に多いのが特徴で、

すぐに命を落とすとか、余命○ヶ月という

緊迫したものではないようですが、

急性白血病に移行することもあるそうです。
月に1度、検査と診察のために

通院することになりました。


それから1年ほど経った2016年秋。

貧血が進んだため、

月に1回輸血をするようになりました。
 

2017年2月。

月1回の通常の輸血に加えて、

月2回の血小板輸血もするようになりました。
母は、この頃から体力が衰え、

食も細くなり痩せていきました。


2017年夏。

背中やお尻に褥瘡ができてしまい、

車椅子に座っていることが辛くなり、

横になっていることが多くなりました。
そのような状況の中で、輸血のための

片道30分の通院は本当に辛いもので、

痛みで顔を歪めて車椅子に座っている母を

バックミラー越しに見ながら運転したことは、

私の中で辛い思い出となりましたえーん
今でも当時通った道の近くまで行くと、

胸が張り裂けそうになります。


2017年11月初旬

この日の診察で、

白血球の数が10万を超えたことと、

その他の数値も悪くなってきているため、

もって余命3ヶ月、

もしかしたら1ヶ月持たないかもしれない、

万が一の覚悟をして欲しいと言われました。

それまでは、通院以外には週末しか

母の元に行かなかったのですが、

この時からほぼ毎日、仕事帰りに母に会いに行きました。
お笑い番組を見て、ゲラゲラ声を出して

笑っている母を見ていると、

とても1ヶ月後には亡くなってしまう

かもしれないようには見えませんでした。


2017年11月中旬
この時、私は4日間の福岡出張を

予定していました。

会社には母のことは伝えてあったので

出張を取り止めることもできましたが、
褥瘡で痛がる以外は変わりなかったため、

予定通り出張しました。

福岡がとてつもなく遠く、地球の裏側に

あるように感じました。
出張中は昼食を抜き、

ホテルに戻った後は深夜まで仕事をして、

それこそ死に物狂い?火事場の馬鹿力?

で取り組み、1日早めて帰ってきました。
出張中、携帯電話が鳴ると、

心臓が止まりそうな思いでした。


11月下旬
全身の倦怠感がひどくなって、

定期的な体位変更が必要だったため、

私は、毎日深夜まで施設にいました。
母は食欲もほとんどなく、

口当たりの良いゼリーや、

アイスクリームを食べさせていました。

もう1日1日が命。

祈る思いで過ごしました。


12月。

主治医の先生に、あと1ヶ月もつかと、

g言われて、ちょうど1ヶ月。
母は、この1ヶ月でぐっと悪くなりました。

夜あまり寝られないのか、

昼間もうつらうつらしていましたし、

声も弱々しくなっていました。
そんな母を見つつ、私はまたもや

第2週めに予定していた4日間の

東京出張をどうしようか悩んでいました。
止める(代わってもらう)ことは、

全く問題ないのですが、

行きたい気持ちが強かったのです。
東京出張が終わったら会社を休んで

看病に専念するつもりでいたので、

何とかそれまでは持ち堪えて欲しいと、

願うばかりでした。

勝手な娘だと自分でも思いました。

悩みつつも淡々と出張の準備を進め、

同時に引き継ぎ書も作っていました。


今思うと、福岡出張もそうですが、

何でこんなに仕事に固執したのか・・・

全くもって分かりません。
 

母直伝のぜんざい。施設によく差し入れしました。

 

 

そして、12月7日。

とうとうその日がやってきました。

続く

 

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