お忙しい個人事業主の皆様の事務管理をサポートいたします。

 

右矢印事務作業よりも本業に専念したい
右矢印事務に掛かる人件費を削減したい
右矢印イベント、セミナーを開催したい


このような方は、一度お問い合わせ下さい。

 

宝石赤宝石赤宝石赤宝石赤宝石赤宝石赤宝石赤宝石赤宝石赤宝石赤宝石赤宝石赤宝石赤宝石赤宝石赤宝石赤宝石赤宝石赤宝石赤宝石赤

およそ半年間に及ぶ入院生活を経て、

母は自宅に戻ってきました。
今日は、母の介護について書こうと思います。
前回までのブログは、こちらです。


母について1(お盆に思う)
母について2(母娘関係)
母について3(最初の試練)

手術直後、首から下が動かなくなった

母の体は、リハビリの甲斐があって、

スプーンでご飯粒や小さい固形物なら

何とか自力で食べられるまでに回復しました。

母の努力も相当なものでしたが、

リハビリの先生方の一生懸命な姿勢に

頭が下がる思いでした。


母は入院中から退院後は、

施設に入ることを強く希望していましたが、

私は家に連れて帰ることに

何の迷いもありませんでした。
既に手術前に要介護状態だったため、

介護の大変さは分かっていましたが、

母をこのような体にしてしまったことへの

罪の意識と、子供としての責任を

放棄するように思えたからです。
幸い、夫も子供たちも妹も、

私の意思を尊重してくれたし、

全面的に協力すると言ってくれて

本当に嬉しかったです。


母の介護度は、

最も重い要介護5(全介助)でしたので、

平日はデイサービスに訪問介護、

週末は月1~2回ショートステイと、

かなりの介護サービスを

受けることができたのですが、

それでもフルタイムで働く私には

対応できない部分があり、

例えば、朝のデイサービスの見送りには、

近所の母の友達にアルバイトを

お願いしたりしました。


とにかく、やれることは全てやろう、

でも無理をするのは止めようと

思っていたので、

介護保険の限度額を超えてしまった部分は、

自費でヘルパーを使ったりしました。

また、通院や息抜きのドライブのために、

車椅子ごと乗れる車も購入しました。


健康な時には喧嘩が絶えなかった

私たち親子でしたが、

自宅に戻った母の口から出る言葉は、

いつも「悪いね」「ごめんね」ばかりでした。
全介助の介護は大変でしたが、

穏やかな日々を過ごしました。


母が退院した当時、

私の家族4人揃っていたのですが、

1年後に息子が大学進学のため家を出て、

その2年後には夫の大阪転勤が決まり、

単身大阪に。
母と高校生になった娘と私だけになり、

介護の負担が、私に重くのしかかってきました。

 

そんな中、母はある決断をしていました。
担当のケアマネージャーさんに、

どこか施設を紹介してほしいと、

お願いしていたのです。
母は私にこれ以上迷惑かけたくないと、

言っていたと聞かされました。


「やっぱり母親だ・・・

私のこと見抜いている・・・」


実際、その頃の私は、

態度にこそ出さなかったけど、

相当疲れていました。


子育てと比較して良く言われるのが、

 

同じ大変でも子育ては先が見えているが、

介護は先が見えない。

むしろどんどん大変になっていく


私が母の施設入りを決心したのは、

娘の何気ない

「家にいても私はいつも一人」

の言葉でした。


朝は、娘の朝食とお弁当を作り終えたら、

母のオムツ交換と着替えと食事介助。
夜も夕食を作った後は、

食事介助、歯磨き、オムツ交換などで、

母の部屋にいることが多く、
娘のことは、食事のこと以外、

放置状態だったのです。
娘も大学進学を希望していたため、

そのうち家を出ていく。
娘と親子水入らずの時間を持ちたい!

と、願うようになりました。

自宅介護から5年、母は施設に入りました。
そして、施設では亡くなるまで

4年半ほど生活しました。

 

施設のイベントに参加

母のこの笑顔に救われました。

ダメだ、泣けちゃう・・・えーん

 

次回は母の最期を綴ろうと思います。
 

宝石赤宝石赤宝石赤宝石赤宝石赤宝石赤宝石赤宝石赤宝石赤宝石赤宝石赤宝石赤宝石赤宝石赤宝石赤宝石赤宝石赤宝石赤宝石赤宝石赤

お問い合わせはこちらから

お問い合わせ

 

ご提供中のサービスは右矢印こちら

 

インスタグラム

Mitsue kamimura