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母の余命があと1ヶ月程度と言われてから、
本当に1ヶ月後、その日がやってきました。
今日は、母が旅立った日のことを書こうと思います。

前回までのブログは、こちらです。
母について1(お盆に思う)
母について2(母娘関係)
母について3(最初の試練)
母について4(自宅介護)
↑なんと、アメトピに掲載されました!
母について5(第2の試練)

12月7日朝8時頃
出勤の支度をしていると、
携帯電話が鳴りました。
画面を見ると施設からでした。


私は、瞬時にその時がきたのだと悟りました。
母の容体が急変したと、慌てた声で話す
職員さんの声を他人事のように冷静に
聞いていました。

施設に駆けつけると、
昨日までは、うつらうつらしていた
母とは打って変わって、呼吸が荒く、
目の焦点が合っていない母がいました。
その姿は、まるで毒でも飲まされたような
感じでした。

「お母さん、分かる?」と、
何度も何度も問い掛けましたが、
母は私と目を合わせられませんでした。
ただ、私の呼び掛けは聞こえるようで、
僅かに首を縦に振ってくれました。

しばらくすると、ハァハァと激しかった
呼吸が落ち着いてきました。
母は意識はあるのですが、
もう話すことはできませんでした。


「行かないで、目を開けて」
「お願いだから行かないで」
 

私は、泣きながら何度も何度も言いました。
怖くて体が震えが止まりませんでした。
そう、怖かった・・・
母との今生の別れがとても怖かったです。

時計の針が10時を回った頃になると、
呼吸の間隔が長くなっていきました。
血圧も下がっていきました。
私は、もう母の命が消えかかっているのだ
と思いました。

薄れていく意識の中、
母はどんな思いでいるのか・・・
 

「ずっといるからね」
「大丈夫だからね」

私は、母の手を握って体をさすりながら
ずっと話しかけていました。
私もだいぶ落ち着いてきて、
というか、落ち着いてきたというより、
もはや母の死は避けられないことに
観念したというほうが適切かもしれない。
うまく表現できませんが、
母を安心させてあげたいと思いました。

ほどなくして、母の呼吸は、

まるで音楽がフェードアウトしていく

そんな感じで閉じました。
とても穏やかな静かな最期でした。

2017年12月7日、
肌寒い初冬の晴れの日
母は帰らぬ人になりました。



 
次回は、母が亡くなった後のこと、
偶然とは思えない出来事を綴ろうと思います。

 

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