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湘南陽光電しゃ館 神仏と自然館+精進落としと飯

ヤフーブログから引っ越してきました!。
鉄道館とは別に、神さま仏さまの居られる景色、
花/木、そしてその場所の空気感をお伝えいたしたく、
撮影した写真を掲載しています。
そして、お詣りの後は精進落としを。
「気」がピュアのままだと、疲れちゃいますからね!。

笠間のお稲荷さまの初午祭は新暦の2/3ではなく、旧暦での3/4

だそうです。なので、二の午は今年はないそうで、今年までそのことを存じませんでした小生は、新暦2/3の初午祭にご挨拶にお伺いできなかったので、二の午の2/23にお伺いできればと思いつつ、結局2/18にお伺い致しまして、新年のご挨拶を申し上げて参りました。

道理で、昨年、二の午(新暦の)にお伺いしたときには、どういうわけか朝一の朝拝時に祈祷者は小生一人だったわけです。

今年も朝拝には間に合いませんでしたが、8時半にはお社に到着、9時のご祈祷に間に合うように授与所で申し込み、9時ちょうどからご祈祷に参加致して参りました。

内容は「本厄厄除け」でございます。

二組のご家族様と一緒にご祈祷を受けまして、昨年同様、ご祈祷後のなおらいは省略でしたが、しっかりと神さまにご挨拶とお導きをお願い申し上げて参りました。以下、同日撮影した写真です。

 

2021/02/18撮影 笠間稲荷神社、一の鳥居

2016年に再建された大鳥居です。いつ見ても威風堂々、清々しい印象を与えてくれます。

晩春、藤の花が咲き乱れる季節までは残念ながら、境内にはあまり彩りがありません。

朝日に輝く拝殿です。昭和35年10月竣工ですから、小生と学年は同じ年齢ですね。去年還暦を迎えたとは思えない、どっしりとした笠間稲荷さまを象徴するお社です。

拝殿回廊には古い彫刻で表された四神像もございます。

いずれも色合いは褪せてはいますが、本殿の壁面彫刻とともになかなか、迫力のあるお姿をなさっておられます。

まずは、東の青龍さま。

ちょっと強面のお顔ですが、少し笑っておられる?。春の神。

南の朱雀さま。

朱雀というよりは、お稲荷さまのお使い、眷属さまの鳩?のお姿。でも顔つきはやはり強面であられます。火の神、夏の神さまです。

西の白虎さま。

悪しきものに対して、飛びかからんばかり。吠えておられるかのよう。ものすごく動的な印象を受けますよね!。秋の神です。

北の玄武さま。

亀の胴体と蛇の頭をもつ、霊獣出あられます。水神様です。冬の神。

お稲荷さまの神殿の四方を守護なされ、なおかつ、農耕ににとって不可欠の春夏秋冬を代表される四神さまの御像、多くの年月を経て愚直お社をご守護なされておられます姿。

修復されまして元の色合いの鮮やかなお姿にならないものでしょうかね。

そして、笠間稲荷さまの御神域にはもう一つ、聖獣さまが居られます。

こちらです。お社裏側にございます美術館敷地にございます。

花頭窓風な意匠をもつ寺院風ですが、古風だがモダンな建物の頂部に御座します。建物は公開されて居らないようで、名称もわかりません。神仏習合時代を懐かしんで建てられた建物でしょうかね。

鳳凰らしい堂々とした威厳あるお姿です。今にも飛び立たれようとして居られるかのような印象です。

かなり、腕のある職人さんによって製作されたようにも見えます。

由緒が明らかにされていないためか、あまりメディアにも取り上げられて居らないようです。意匠が素晴らしいのに残念です。

お稲荷さま境内に戻り再度外へ出ますと、すぐに別のお稲荷さまのお社がございます。

元、笠間城内の城山に「城山出世稲荷大明神」さまとしてお祀りされておられたお稲荷さまで、元はこの地に居られて、ご領主となられたお殿様により御城内へ移され、国替えでご領主様が移られたあと、元の場所へ戻された、という由来をお持ちの笠間三大稲荷さまのお一つと言われているお社だそうです。

鞘社に納められておりますご本殿は、元は八幡宮お社として江戸初期1654年創建の古いお社で、370年の年月を経たとは思えない往事の色彩が残る流麗で優美なお社でございます。

参道には多くの奉納旗がたなびく事から、相当な御利益を頂戴できるお稲荷さまだと。惜しむらくは、先般の震災で鳥居が倒壊してしまったまま、未だに復興されておられないところが、笠間のお稲荷さまにしてもお苦しい懐事情である事を示しておられるようです。

一昨年の大谷寺以来、2年ぶりの33観音巡りです。

今回、出向いたのは独鈷山西明寺さまでした。

初午でお伺いできなかった、笠間のお稲荷さまですが、二の午でもお伺いできないことがわかりまして、誠に申し訳なく少し早めでしたが13日にお伺い致しまして、本厄のご祈祷をお願い致して参りました。

そのあとは予定を決めておらなんだのですが、同じ栃木県と言うことで、3寺残っておりました、独鈷山西明寺さまと出流山満願寺さまへとお伺い致すつもりで笠間を出発。

最初の独鈷山西明寺さまへは下道で笠間から20キロ弱でした。

笠間方面から益子へ抜ける峠道のサミットにあるお寺さまです。

峠までくねくねと多分昔は街道だったであろう山道を登り切ったところで分岐してすぐにお寺さまへと到着。

行基菩薩開山の古いお寺様で、昔のお寺様にありがちな救済所としての機能を21世紀の現代まで、持ち続けておられるありがたいお寺様でございます。

益子を治められた代々のご領主様方からのご寄進とご加護で、境内山上にございます本堂を含め国指定重文建造物が3つもございます。

ご住職様が現役の医師さんでございまして、お寺が有床診療所と介護事業所を経営されておられる、現代の救済所としても機能され地域医療の一翼を担っておられるお寺さま、ありがたいことです。

山内は北関東の植生が昔のまま残る自然林が広がり、冬枯れの今の季節でも、常緑広葉樹と葉を落とした落葉樹が入り交じる景色でちょっと印象的でした。

西明寺さまでは「笑い閻魔」さまがとても有名で、ガハハっと笑っておられるようなお顔には癒やされます。

ご真言ではお地蔵様ではオンカカピ・・・、でカカはハハハ、の笑い声だそうですから、お地蔵様の化身である閻魔さまもお笑いになってるという次第、でございました。

※益子町のHPより拝借。

閻魔様というとこわーいイメージがございますが、本当はとてもお優しい慈悲深い仏様で、あえて罪を犯したその「魂」にではなく、罪にあがらえない、やり場の無い怒り、をぶつけられておられるだけなのです。

カルマを裁いていて、あまりにもつらく悲しいシチュエーションでそれを犯した「魂」を裁かねばならない場面では、涙を流される事もあると。

脇に控えられておられる脇持の方々は、個々の「魂」が現世で犯した罪=カルマを生誕以来、洗いざらい大きなモノから極小さな事まで、細大漏らさず全て記録されている文書で、大王様にその詳細を報告なされる仏様で、ある意味、大王様よりドライで冷静で居られますから、こちらの方々のほうが現世の「魂」を持つ小生ら人間には怖い存在でございますね。

で、このあと、境内の授与所兼休憩所の独鈷所(ドッコイショと読む)でお昼を頂きまして、出流観音様へ向かったのですが、小生としたことが走り慣れているはずの北関東道を岩舟JCで間違って東北道下りへ乗ってしまい、ああコレは今日はお前さんの来る日では無いから来ずとも良い、という仏様の思し召しと感じまして、鹿沼でUターンして帰って参りました。