かねてより初参りは懸案でございましたが、このコロナ禍で伸び伸びとなっておりましてね。
やっと昨17日に、身延山のお上人さまへのご挨拶にお伺いいたして参りました。
偶然、同行人が同日、小松美羽さんのライブが開催されると言う記事を見つけまして「 どうしても見てみたい!」と言うものですから、小生もライブと言うものは始めてでしたので、興味津々で出向きましたです。
ライブ自体は10時からでございましたが、土曜日でもあり斜行エレベータ下の駐車場の混雑を見越して8時には現地へ到着。
ですが、コレは取り越し苦労・・・。
あいにくの雨模様でございましたが、ライブは決行とのこと。
後を見越して早々に「ご開帳」の申し込みを報恩閣にて申し込み、同行人を案内しつつ堂宇を一通り巡りまして、一息ついておりますと会場に関係者の方々やプレスの方、ライブ配信作業に従事される方々が集まり始め、そうこうするうちに10時少し前、今回のライブのメインペインターであられる小松美羽さんが登場。
10時きっかりに大本堂に上堂なされた久遠寺僧侶の方々の読経が始まると共にライブが開始されました。
作画なされる前の美羽さんの静謐で凜とした後ろ姿。
会場には読経が朗々と重奏するほかは、ギャラリーには咳きすらありません。
作画が始まりますと、すぐに作品のキャンバスとなる画板上へご自身のイメージを塗り込む力強いアクションが開始されます。
そのうち、描画が熱を帯びてきますと、あらかじめセッティングされた絵の具を拾い、キャップを手で開ける間も惜しくなったかのように、描着の懐いっぱいに絵の具を抱え、口で開封されて描画なされはじめました。
テンションがMAXに近づいてきたのか、使い終わった絵の具チューブが投げ捨てられるたびに、画板に正対する小松さんの動きが明確に自身の意思を持った動きから、何かに突き動かされているような、一種操り人形のような動きへと変化が生じました。
一瞬垣間見える表情もなにか意識の飛んでしまったような「虚ろ」な感じをうけました。
描着はこの時点で、すでに飛び散った絵の具に塗れていますが、この描着に付着した色彩や投げ捨てられた絵の具のチューブの散らばり具合、さらに美羽さん本人の動きさえも、描画の一パーツと思えるような不思議な感覚がステージ全体に漂っていることに気づきました。
そして作画も終盤に近づきます。
三枚の丸い画板には、いつの間にか「三頭の龍」が姿を現していました。
それら三頭の龍に美羽さんの手になる絵の具によって、直接、次々と表情が描き出されて行きます。
最後の一連のアクションで、龍特有の髭や鋭い爪が描き加えられ、画竜点睛となる神眼に色が施されると作画は終了。
ライブに引き込まれて、撮影に夢中になるうちに何時しか耳から消えてうせていた、僧侶の方々の唱える読経の重奏がやがて耳に戻って来て間もなくそれらが終わりを迎えると、美羽さんも描き終えた画板のイメージを俯瞰なさるように動きを止め、やがて、ゆっくりと胡座なされて自らが紡ぎ出した「作品」に魂を込めるように、静かに合掌なさいました。
ライブの終了イベントのあと、インタビューを受ける美羽さんの足下です。
ライビング、の証である投げ捨てられた絵の具チューブが散らばる中、描着そのものにも多彩な色彩が施され、裸足の氏の両の足にはあの凄まじくアグレッシブでエネルギッシュに満ちた描画アクションの証かハッキリと残されていました。
円空さんの彫られた仏様のように、小松美羽さんの描かれた今回の「三頭の仏龍」は絵の具という彫り具で画板から「彫りあげられた」のではないか、と思えるほど立体感がありました。
一時間強という短時間ながら、見事に紡ぎ出された仏龍三体。
センターの龍頭に描かれた緋色は、身延山に宿る黒龍の迸るエネルギーか、この混乱の世に対する慈悲深い浄化のための祈りの発露か。
はたまた、コロナによって広漠とした旱天へ注がれようとする、黒龍の降らす慈雨か・・・。
※今回は全て、iphon12pro MAX、で撮影したものにレタッチを加えて掲載しました。なお、画像は動画からの切り出しではなく、全て単写での撮影です。
小松美羽さんオフィシャルサイト