湘南陽光電しゃ館 神仏と自然館+精進落としと飯 -27ページ目

湘南陽光電しゃ館 神仏と自然館+精進落としと飯

ヤフーブログから引っ越してきました!。
鉄道館とは別に、神さま仏さまの居られる景色、
花/木、そしてその場所の空気感をお伝えいたしたく、
撮影した写真を掲載しています。
そして、お詣りの後は精進落としを。
「気」がピュアのままだと、疲れちゃいますからね!。

鉄道館でも書きましたが、持病の糖尿数値の悪化を抑えかつ平癒していくように、とのお願いをできる神様が関東にはいらさないかと探しましたら、年末の酉の市「お酉さま」で有名な目黒の大鳥神社さまがヒットいたしました。

大鳥神社さまはずいぶんと昔から存じ上げております神さまでございまして、お社の横を通りましたのはそれこそ数えるのも難しいくらいでございます。ですが、お詣りをさせていただいたことはございませんでした。で、はじめて昨日、お伺いいたしてまいりました。

行きはチョイと鉄要素を入れまして、藤沢から大和へ出まして、相鉄新線で新鶴見機関区を眺めながら目黒へ。ちなみに開通後二回目の乗車です。

目黒駅からはバスでと思ったのですが、そうだ、権之助坂を下っていけばすぐだっけ・・と思い出しまして歩いて行きました。目黒川の桜は流石にまだ開花にはしばらくかかりそうな感じです。橋を渡るとすぐに大鳥神社前の交差点、山手通りと目黒通りの交わる角に神社はございます。

車から見た印象ではこんもりと茂った樹木から大きなお社だなあ、と感じたのですが実際には、ええっ!ここであの大きな酉の市が開かれるの??、と言う感じでございます。

 

2020/03/06撮影 東京目黒、大鳥神社大鳥居

ですが、あの都会の幹線道路の交点にあるにもかかわらず大鳥居をくぐりました境内は、スッキリ清々しくホッコリとする静かで落ち着いた空間が広がっておりました。

 

〃 拝殿と社務所/ご神木

ご祭神はご存知、ヤマトタケル尊様でございます。なので、ご神紋は「おおとり」がどちらにも形作られておられます。

 

〃 拝殿大賽銭箱のご神紋

拝殿の軒や正面にはもっと緻密な意匠のご神紋が施されておられるのですが、小生はこの賽銭箱に施されているご神紋に妙に惹かれまして、こちらの写真を撮らせていただきました!。生命感が感じられるからです。姿態も他のものと比べると柔らかいですし。

拝殿で祝詞を奏上させていただきまして、諸々の願掛けをお願いいたしました。拝/本殿の左側には摂末社のお社がございまして、こちらにもご挨拶を申し上げ稲荷祝詞を奏上させていただきました。

昨日はお天気も良く気候もちょうどよい塩梅で、大変心地よい参拝日和にしていただけましたので、有り難かったです。境内でしばらく心地よく過ごさせていただきましてね。

さて社務所で縁起物を頂戴しようと腰を上げましたら、拝殿右脇に「櫛塚」の石碑がございました。

「筆塚」の櫛版?かと思いまして傍らにありました「櫛塚」の由緒書を読みましたら・・・。

社史のご由緒によれば尊様がお見えになった時は、部下の目を直してくれた神、と言うことで「盲神」という目の神様だったそうでございます。そして、東征成功を祈ってご自身が帯びていた「天武雲剣」を奉納されて祈られたことがお社の始まりだそうです。

その後、大鳥神社さまが糖尿病平癒の神さま、と言われるようにもなられた一端が書かれておりました!。

「櫛塚」の「くし」は、人生の歩む道を照らし身代わりとなる力をもっている、とあります。「くし塚」こそは今の小生にとって、ぴったりとした存在なのでした。

さらに、この塚は美容週間実行委員会奉納となっています。奇しくも小生の母親は美容師でございまして美容院を経営して生計を立てておりました。その遺徳を偲んで戒名にもその故が入っておるほどです。縁を感じさせられます。

新たに建立なされた「櫛塚」の存在をご存知ない参拝者の方々が拝/本殿でご祈祷/お祈りされても一向に問題はございませんが、神さまに深く関係のある「櫛塚」が境内にあり、その意味を知ることで神様の持たれるお力のなかでもお得意の一つ※小生にとっては糖尿平癒、を気づかせていただけるのは何ともありがたいことですよね。

ヤマトタケル尊さまは古代のヒーローでありながら、その偉業を時の権力者であり実父でもあられる天皇さまに正しく理解されず、最後故郷を目前にして病を得、御父上にも看取られず深い悲しみをもって亡くなられたとのことですから、病気平癒は神様ご自身が望まれた大きなご利益だと思います。そこのところがネットの紹介では入っておりませんでしたので、なぜ大鳥神社さまが糖尿病平癒!?と思いましたので、この説明文ですこし納得できました。

この目黒の地にもう1200年余も鎮座され多くの人の子の方々に崇拝されておられる神さまてあられますので、何をお願いいたしましても叶えていただける戴ける神さまでございましょう。

小生も何かのご縁を神さまから頂戴いたしましていたからこそ、今回のお詣りが叶いました!。有り難いことでございます、ホントに!。ちなみに今年は三の酉まであります。火事が多い年と聞きます。くれぐれもご注意を。

さて、大鳥神社さまをお暇しまして次は・・・。

目黒通り側至近にバス停がございまして、そこから目黒不動尊さまへ直行できるバス※渋谷72系統、がございましたので目黒のお不動さまへお伺いいたすことに致しました。バスで15分位でしたか。

 

2020/03/06撮影 東京目黒 泰叡山護國院瀧泉寺※目黒不動尊

小高い丘の上にございます本堂への階段下に、山号の由縁となった泉がございます。

水かけ不動さま、と呼ばれておるそうです。開山慈覚大師さまが投じた法具「独鈷」によって湧き出した泉だそうで、以来千二百有余年、滾々と湧き出している聖水だと。狛犬様がとても可愛くて。

そうそう、目黒不動尊さまは小生が普段お世話になっております成田のお不動さま、熊本の木原不動尊様とともに日本三大不動尊の一つであらせられるそうです。

神仏習合時代の名残が珍しく今でもしっかりと残されておりまして、天台宗のお寺様でございますが、境内には山王鳥居↓がございます。

お不動さまの御像に水をかけさせていただき※外してしまいうまくかかりませんでしたが、ご真言を唱えさせていただきまして階段を上がって大本堂を参拝させていただきました。

お燈明とお線香を大本堂内で購入いたしまして上げさせていただき、般若心経をお不動様※秘仏様でございますのでお前立様に、唱えさせていただきました。

唱えました後で外陣に入らせていただくことに気づき、再度仏様にご挨拶させていただきました。この時、何処からか喘息の方の喘ぎがずっと響いておりまして、?となりましたが、外陣の端から端まで動きつつずっとお念仏を唱えておられる信者様がおられましたです。

こうやって、日々足しげく仏様に正対してお祈りされることで、きっとこの方は仏様から計り知れない慈しみを頂戴なされて、さらにご自身は気づかずともご自身の功徳を増やされておるのだろうな~、と感じました。

識子様によれば仏様は唯一つ、神さまと違い全て魂の入っている仏像は仏様ひとりに道が繋がっていているそうです。ですが、仏像を開眼した方、仏像を造られた方の性格とお持ちのお力によって、仏像性格というか「色」が変わるそうです。

ですから、小生がいろいろな場所でお不動さまへお詣りしたことも、お願いいたしことやお話申し上げたことは全て、どちらのお不動さまも御存じだそうですから、そのあたりご存知である目黒不動尊のお不動様は小生にはちょっとクールに接しられたように感じました。

ただ、この大ぼとけ様の大日如来さまに会わせていただきましたから、あながち、そうそうクールではなかったようです。

実はこの大鳥神社さま/目黒不動尊さま参拝の前に、何処かのテレビ番組で見た都南にあるお寺の大ぼとけ様にお会いしたいなぁ、と探して負ったからです。ですが、結局分からずじまいでした。

多分、お不動さまはそれをご存知で「ワシの背後にも大ぼとけが居るぞ」と導いてくださったのだと思います。

大本堂を辞しまして人へ出たところで「大日如来→」、という表示が目に入りまして、それに従って歩いて行きましたら、大本堂の裏手にこちらの↑大日如来さまがおわしました。

写真では伝わらないかもしれませんが、御像だけでも4m弱もある実に大きな仏様です。もう、400年近くもこちらにおわさせている古い仏さまですが、きっちりとお手入れがなされておられまして、とてもそんなに古い仏さまとは思えないです。小生は最初見た時、ああね最近造られた仏様だなぁ、と思ったくらいです。

大日如来さまはお不動さまの本自仏であられますから、成田山でも普段は公開されておらない「奥の院」に居られます。こちら目黒不動尊さまではこんなに大きな大日如来さまを普段から拝めます。仏さまの居られる寺域外はすぐに住宅地でございますから、普段生活の片隅にこの仏さまが目に入りつつ日々過ごされておられる地元の方々は、きっと知らず知らずのうちに心強さを頂戴いたしておられるのだろうと思いますと羨ましくもあります。

参拝を終えて、階段を降りましてお暇致します。

バス停脇の楼門には正面には仁王様?が居られまして、裏側にはおおきな狛犬様が入られておられました。ここにも神仏習合の名残がありましたです。

帰りはご門前の中華屋さんでお昼を食させていただいて、東急目黒線不動前駅から横浜へと向かいました。相鉄/東急新横浜線が開通すれば大和まで直通電車で乗り換えなしに帰れるのかとなると、ちょっとビックリです。きっと身近なお不動さまになるだろうなぁとも思いましたが、その頃はもう小生は湘南に居らないでしょうと思うと残念にも感じました。

ちなみに駅は不動前駅がありますが、駅からはかなり歩きますので、歩かれるのが苦手な方は目黒駅から渋谷72系統のバスに乗られれば、ものの10分そこらでご門前まで運んでもらえます。

春のお彼岸には「彼岸会」も開かれるみたいですから、お出かけになられてもいかがでしょうか。

 

大鳥神社ウェブサイト↓

http://www.ootorijinja.or.jp/

目黒不動尊ウェブサイト↓

http://park6.wakwak.com/~megurofudou/

 

 

笠間の大神さまを辞させていただきました後は、一路、鹿島の大神さまへと向かいます。

今日は金曜日、平日の日中でございますので笠間からは高速には乗らず、一路、下道走行です。

水戸へ出て、暫くは街中を走りますが、しばらくして太平洋岸沿いに南下していきます。

途中の行路には大洗磯前神社さまや酒列磯前神社さまなど初参りにお伺いいたしたいお社がございますが、今回は鹿島の大社へお伺いいたす、という目的がございましたので涙を呑んで通過させていただきました。

鹿島スタジアムを横目に見ても、大洗鹿島線が目に入っても、鹿島神宮駅のそばを通っても、引っかかることなく大社へ、です。

到着はちょうどお昼前に到着しました。

多分ですが、神さまもお昼のお時間でしょうから※神職の方々も、まず参拝の前に小生も腹ごしらえです。

ご門前の至近のお土産やさん兼業の食堂で、あおさそばとカレーライス、を食しました。これが両方とも、何とも美味!で・・・。満腹です。

1時少し前に参拝開始でございます。

楼門のご隋神さまへご挨拶しつつ境内へ入らせていただき、真新しく?近代和的なご祈祷殿/ご祈祷受付へ直行。

ここでも、グッドタイミングに調整していただきまして、13時のご祈祷まであと10分。

ああ、こちらのお社でも大神さまにご配慮いただいているなぁ、と思いつつご祈祷のご案内を待っていましたら・・・。

ご案内の方がいらして、後について行こうとしましたら、ちょっとビックリ。なんと、13時のご祈祷は小生一人だったのです。ヒョエ~!!。

そうです、大神さまが小生一人にしてくださったとしか思えないのです。

実は小生がご祈祷の申し込みを致しております時に、数分して何人かの方が申込をなされておられたのです。これはもう・・・。

で、ご祈祷所の扉が開けられ、案内された場所に二度ビックリいたしたのです。

鹿島の大神さまでは、本殿拝殿でご祈祷がなされておるのを見たことがございませんでした。

拝殿での結婚式を拝見させてはいただきましたが、前回の参拝時はご祈祷をお願いいたしておりませんでしたので、あまり気にはならなかったのです。

今回の参拝で初めて、ご祈祷殿/ご祈祷受付へ足を踏み入れさせていただいたのです。そこは・・・。

まるで学校の体育館ほどの大きなホールに胡床※神社での折り畳み椅子、がずらっと並んでおりまして、その空間の広さと言ったら!。

「一番前の真ん中に座ってお待ちください」と案内されまして、その広大な空間に小生ただ一人座りましたです。

で、正面を見て、これまた三度ビックリ。

なんと、ホールであれば舞台に当たるところに「みごとな神社造の古風な拝殿が屋根ごと」収まっておるのです。

いゃ~、コレには本当に度肝を抜かれましたです。

暫く、ず~と、スゲ~~~~~~っとボーっと見惚れておりました。

そのうち神職の方が二人お見えになりまして、外建てまんまの!拝殿に着座されまして、小生一人のために神さまへ祝詞をあげられ始めます。

広大な空間に、神職様の祝詞が響き、神気を帯びた響きとなって小生の体全体を包み込みました。こんな体験は初めてです!!!。

身の引き締まるような厳粛な気分にだんだんとなっていきます。ゾワッっとしました。

ご祈祷が終わり、退席を促されて授与品を受け取りまして祈祷殿の廊下を歩いたときは、これはしっかり神さまにお願いを聞き届けていただけたなぁ、と流石にハッキリと自覚できました!。

そして、少し疲れを感じましたが、それは大きな達成感と心地よい満足感からくるものだと、後でわかりました。

祈祷殿を辞しました後は、しばらく境内を散策させていただきました。

広大なご神域は伊勢の神宮とはちょっと違った自然樹鬱が広がっていますが、ご眷属さまと思しき巨樹があちこちにございますのは、神宮さまと同じでございます。

奥宮参道を歩いて行きますと、有名な要石がございます。はじめの一歩をしるす日として要といたしたい、と祝詞を上げさせていただきました。

要石へ向かう分岐点には、家康公が寄進された奥宮がございます。かつての本殿とのことですが、小生には神さまは何時もこちらに居られるのでは、と感じました。

さらに奥宮参道を歩いて行くと、御手洗池に行きつきます。

昔はこの池で禊をしてから、お社を参拝いたしたとのことでして、神水の湧き出す神聖な場所であることが感じられます。

池の先には、古の神社神域の入口を仕切っていたであろう、大きな鳥居の跡が残っています。

確かに、こちらから順に参道をたどっていった方が、境内の偉物やお社がしっくりと参拝ができるような気もしました

それにしても、鹿島の大神さま、小生が申し上げるまでもないですが、国内最古級のお社としての存在感と、神さまのとても大きな慈しみの御心と、とてつもなく大きく包み込んでいただける神さまのお力、を体感できる稀有なお社、と小生は感じます。

鹿島の大神さまへ、しっかりと真摯にお願いすることは、自身の願掛けに対して責任を持つという事であり、神さまに対して手を合わせてお願いするという行為においても、そうすることによって神さまにしっかりと聞き届けていただける※た、という充足感と満足感の両方を、その場で得れる、実感/体感できると思います。

そして、満たされた清々しい気持ちとなって一歩を踏み出すことができる。これが「鹿島立ち」ではないのか!と、感じさせられる、実に有意義な参拝でございました。

鹿島の大神さまを辞しましたら、後はもう・・。

本当は拙宅の神棚をお守りいただいているミニ狛犬さまの故郷、香取神宮さまと神栖神社の三社をお詣りいたそうと思っておったのですが、疲労感が出てしまい、直帰と相成りました~。

追伸:識子様によれば清冽で神気溢れた場所に人の子が足を踏み入れると、悪いものすべでが浄化されてしまうのは良いですが、神域を出たとたん現世に足を踏み入れ元の世界の諸々の空気が体に入り、疲れとなって出てくるものだそうです。精進落とし、とはそういった状況に体を慣らす、と言う意味で必要な事ではないか、とおっしゃられております。神仏詣でをなされた時は、精進落とし、は小生には必須のようです。

初午祭には残念ながら距離の関係でお伺いできずにおりました、いつも、大変お世話をいただいております笠間の大神さまと、小生にとって今年は大変重要な始まりの年と言うことで、これからの人生の新たな一歩を踏み出すため「鹿島立ち」、すなわち、道開きの大神さまとしてつとに有名な鹿島大神さまへ参拝に伺わさせていただきました。

白笹のお稲荷さまに、出向くなら二の午に出かければ良いのでは、とポスターで御啓示いただいておりましたので、笠間の大神さまへは当初から今年は二の午の日にお伺いいたすことに決めておりました。

特に今年は2/21金曜日が「二の午」に当たっておりましたので、公休日と重なっていて大変ありがたかったです。

笠間ですと流石に前日前乗りするほどの距離ではありませんので、当日2時半に自宅を出発、高速の深夜早朝割引にうまく引っかかるようにスタートしました。

首都高/常磐道は至極順調で5時前には友部JC手前の友部SAに到着してしまいました。多分、笠間稲荷さまの朝のご祈祷初回は8時頃からと予測しまして、ならと2時間ほどSAで仮眠、7時に目覚めてSAで開いたばかりの食堂で「納豆朝食」※とても美味しかった!、を食し北関東道へ乗り入れ、一路お稲荷さまへ。

8時前には到着して門前の駐車場へ車を入れて、まだ、両側のお店も開いていない参道を写真を撮りつつ楼門から境内へと入らせていただきました。二の午なので朝から混雑しているのではと思い、朝一での参拝を企画したのでしたがちょっと拍子抜けでした。

祈祷申し込み受付へお伺いいたし、ご祈祷をお願いするために申込書を書こうとすると、「以前参拝されたことはございますか?」と聞かれましたので、ハイ、と申し上げますと巫女さんがキーボードをたたきPCで検索いただきまして、申込書は書かずに結構です、とのこと。

ご祈祷内容を申し上げましたら、8時のご祈祷ですので少々参拝者控え所でお待ちくださいと案内されました。ふと、時間を確認しますとちょうど7時55分!。

おお、なんというタイミングの良さ!!、しかも、行路の時間配分も仮眠時間まで戴くご配慮。とても偶然の賜物とは思えない流れでございます。

昨年、大神さまをお伺いいたしました時も、参拝前からものすご~く良くしていただきました記憶がございますので、大神さまのお気遣いに今更ながら感謝でございますとともに、とても有り難く嬉しかったです。

8時のご祈祷は朝のおつとめ?と重複いたしておりますので、ご祈祷前に行われますおつとめの様子もシッカリと体感させていただけました。

ご祈祷が終了しますと、笠間のお稲荷さまでは授与品を授かります前に、ご祈祷をお願いいたしました参拝者に漏れなく「なおらい」を受けさせていただけます。神さまのお食事のおすそ分けをいただけるのです。

参拝者控え所に一人一人用意されたお膳に用意された小皿の、寒天寄せ/するめ/豆の煮つけ、をいただき終わりますと「なおらい」が終わります。そのあと授与品をいただくことになります。ここで、特に笠間のお稲荷さまにご祈祷をお願い致します時に、とても嬉しゅうございますのは、ご祈祷授与品をお受けする時に「お稲荷さまの御姿、をお持ちになられますか」と聞かれます。小さなお軸に大神さまのお姿を写したもの、をご祈祷札とは別に頂戴することができるのです!。小生は前回の参拝時、頂戴いたしておりましたので、今回はご遠慮させていただきましたが、実は今年のお軸は赤色※昨年は青色、でして、ひょっとしたらいただいてきた方が良かったかな?と後で思いました。

授与品を頂戴し、控え所を出て改めて外にございます授与所で「御神札」をいただきました。今回も前回に引き続き、こんなにも大神さまの御心遣いを頂戴いたしてしまいしたら、これはもう、「御札」を頂戴いたして帰るしかないと感じましたので。

再度、拝殿へ参りまして大神様にしっかりと御礼申し上げ、境内でまた写真を撮影させていただいくことをお許し願い、お社を辞させていただきました。

ここでもう一つ、大神さまから有り難い「気づき」を頂戴いたしました。実は小生の田舎の屋敷神さまのお社の中にお狐さまの御像の他に馬の御像が入っておりまして、この御像ってこの地方※岩手県北地域、の習俗、例えば岩手では有名な馬の神様、なのかな?と勝手に想像いたしておりましたが、実は「馬」も「狐」とともにお稲荷さまの眷属であらせられる、と東門のところにありました解説版に記されておりました。この案内板が偶然目に入り、おお、そうか!それで・・・、と納得です。

本当に心底から笠間の大神さまは、お優しく、面倒見良く、慈しみ深い大神さま、と感じます。

お稲荷様は怖い神様、厳しい神様、という通説を信じて、何の根拠もない「怖れ」を抱いて遠ざかっていた小生の今までの概念の間違いを正し、誤った思いを根本から綺麗さっぱり無くして戴けたのは、この笠間の大神さまでございます。さらに田舎の屋敷神さまを再興/崇敬させていただかねばならない、という気持ちにさせていただいたきっかけも、実は笠間の大神さまからいただきました。

真摯に素直に神さまを信じること=古代の人々が抱いていた「神」さまへの親愛の情、人の世が時を重ねるにつれて個々人から、少しづつ失われていった純粋でピュアな心根、をできうる限り思い出すように努力して接すれば、神さまにとっては現代人も一人の人の子です。だから願掛けが適えられるものであれば、できうる限り「神様」は適えてくださる、なにより願掛けをしなくとも心地よく包み込んでいただける、と言うことを身をもって実感させていただける笠間のお稲荷さま参拝、小生の大好きな神さま詣での一つでございます。