鉄道館でも書きましたが、持病の糖尿数値の悪化を抑えかつ平癒していくように、とのお願いをできる神様が関東にはいらさないかと探しましたら、年末の酉の市「お酉さま」で有名な目黒の大鳥神社さまがヒットいたしました。
大鳥神社さまはずいぶんと昔から存じ上げております神さまでございまして、お社の横を通りましたのはそれこそ数えるのも難しいくらいでございます。ですが、お詣りをさせていただいたことはございませんでした。で、はじめて昨日、お伺いいたしてまいりました。
行きはチョイと鉄要素を入れまして、藤沢から大和へ出まして、相鉄新線で新鶴見機関区を眺めながら目黒へ。ちなみに開通後二回目の乗車です。
目黒駅からはバスでと思ったのですが、そうだ、権之助坂を下っていけばすぐだっけ・・と思い出しまして歩いて行きました。目黒川の桜は流石にまだ開花にはしばらくかかりそうな感じです。橋を渡るとすぐに大鳥神社前の交差点、山手通りと目黒通りの交わる角に神社はございます。
車から見た印象ではこんもりと茂った樹木から大きなお社だなあ、と感じたのですが実際には、ええっ!ここであの大きな酉の市が開かれるの??、と言う感じでございます。
2020/03/06撮影 東京目黒、大鳥神社大鳥居
ですが、あの都会の幹線道路の交点にあるにもかかわらず大鳥居をくぐりました境内は、スッキリ清々しくホッコリとする静かで落ち着いた空間が広がっておりました。
〃 拝殿と社務所/ご神木
ご祭神はご存知、ヤマトタケル尊様でございます。なので、ご神紋は「おおとり」がどちらにも形作られておられます。
〃 拝殿大賽銭箱のご神紋
拝殿の軒や正面にはもっと緻密な意匠のご神紋が施されておられるのですが、小生はこの賽銭箱に施されているご神紋に妙に惹かれまして、こちらの写真を撮らせていただきました!。生命感が感じられるからです。姿態も他のものと比べると柔らかいですし。
拝殿で祝詞を奏上させていただきまして、諸々の願掛けをお願いいたしました。拝/本殿の左側には摂末社のお社がございまして、こちらにもご挨拶を申し上げ稲荷祝詞を奏上させていただきました。
昨日はお天気も良く気候もちょうどよい塩梅で、大変心地よい参拝日和にしていただけましたので、有り難かったです。境内でしばらく心地よく過ごさせていただきましてね。
さて社務所で縁起物を頂戴しようと腰を上げましたら、拝殿右脇に「櫛塚」の石碑がございました。
「筆塚」の櫛版?かと思いまして傍らにありました「櫛塚」の由緒書を読みましたら・・・。
社史のご由緒によれば尊様がお見えになった時は、部下の目を直してくれた神、と言うことで「盲神」という目の神様だったそうでございます。そして、東征成功を祈ってご自身が帯びていた「天武雲剣」を奉納されて祈られたことがお社の始まりだそうです。
その後、大鳥神社さまが糖尿病平癒の神さま、と言われるようにもなられた一端が書かれておりました!。
「櫛塚」の「くし」は、人生の歩む道を照らし身代わりとなる力をもっている、とあります。「くし塚」こそは今の小生にとって、ぴったりとした存在なのでした。
さらに、この塚は美容週間実行委員会奉納となっています。奇しくも小生の母親は美容師でございまして美容院を経営して生計を立てておりました。その遺徳を偲んで戒名にもその故が入っておるほどです。縁を感じさせられます。
新たに建立なされた「櫛塚」の存在をご存知ない参拝者の方々が拝/本殿でご祈祷/お祈りされても一向に問題はございませんが、神さまに深く関係のある「櫛塚」が境内にあり、その意味を知ることで神様の持たれるお力のなかでもお得意の一つ※小生にとっては糖尿平癒、を気づかせていただけるのは何ともありがたいことですよね。
ヤマトタケル尊さまは古代のヒーローでありながら、その偉業を時の権力者であり実父でもあられる天皇さまに正しく理解されず、最後故郷を目前にして病を得、御父上にも看取られず深い悲しみをもって亡くなられたとのことですから、病気平癒は神様ご自身が望まれた大きなご利益だと思います。そこのところがネットの紹介では入っておりませんでしたので、なぜ大鳥神社さまが糖尿病平癒!?と思いましたので、この説明文ですこし納得できました。
この目黒の地にもう1200年余も鎮座され多くの人の子の方々に崇拝されておられる神さまてあられますので、何をお願いいたしましても叶えていただける戴ける神さまでございましょう。
小生も何かのご縁を神さまから頂戴いたしましていたからこそ、今回のお詣りが叶いました!。有り難いことでございます、ホントに!。ちなみに今年は三の酉まであります。火事が多い年と聞きます。くれぐれもご注意を。
さて、大鳥神社さまをお暇しまして次は・・・。
目黒通り側至近にバス停がございまして、そこから目黒不動尊さまへ直行できるバス※渋谷72系統、がございましたので目黒のお不動さまへお伺いいたすことに致しました。バスで15分位でしたか。
2020/03/06撮影 東京目黒 泰叡山護國院瀧泉寺※目黒不動尊
小高い丘の上にございます本堂への階段下に、山号の由縁となった泉がございます。
水かけ不動さま、と呼ばれておるそうです。開山慈覚大師さまが投じた法具「独鈷」によって湧き出した泉だそうで、以来千二百有余年、滾々と湧き出している聖水だと。狛犬様がとても可愛くて。
そうそう、目黒不動尊さまは小生が普段お世話になっております成田のお不動さま、熊本の木原不動尊様とともに日本三大不動尊の一つであらせられるそうです。
神仏習合時代の名残が珍しく今でもしっかりと残されておりまして、天台宗のお寺様でございますが、境内には山王鳥居↓がございます。
お不動さまの御像に水をかけさせていただき※外してしまいうまくかかりませんでしたが、ご真言を唱えさせていただきまして階段を上がって大本堂を参拝させていただきました。
お燈明とお線香を大本堂内で購入いたしまして上げさせていただき、般若心経をお不動様※秘仏様でございますのでお前立様に、唱えさせていただきました。
唱えました後で外陣に入らせていただくことに気づき、再度仏様にご挨拶させていただきました。この時、何処からか喘息の方の喘ぎがずっと響いておりまして、?となりましたが、外陣の端から端まで動きつつずっとお念仏を唱えておられる信者様がおられましたです。
こうやって、日々足しげく仏様に正対してお祈りされることで、きっとこの方は仏様から計り知れない慈しみを頂戴なされて、さらにご自身は気づかずともご自身の功徳を増やされておるのだろうな~、と感じました。
識子様によれば仏様は唯一つ、神さまと違い全て魂の入っている仏像は仏様ひとりに道が繋がっていているそうです。ですが、仏像を開眼した方、仏像を造られた方の性格とお持ちのお力によって、仏像性格というか「色」が変わるそうです。
ですから、小生がいろいろな場所でお不動さまへお詣りしたことも、お願いいたしことやお話申し上げたことは全て、どちらのお不動さまも御存じだそうですから、そのあたりご存知である目黒不動尊のお不動様は小生にはちょっとクールに接しられたように感じました。
ただ、この大ぼとけ様の大日如来さまに会わせていただきましたから、あながち、そうそうクールではなかったようです。
実はこの大鳥神社さま/目黒不動尊さま参拝の前に、何処かのテレビ番組で見た都南にあるお寺の大ぼとけ様にお会いしたいなぁ、と探して負ったからです。ですが、結局分からずじまいでした。
多分、お不動さまはそれをご存知で「ワシの背後にも大ぼとけが居るぞ」と導いてくださったのだと思います。
大本堂を辞しまして人へ出たところで「大日如来→」、という表示が目に入りまして、それに従って歩いて行きましたら、大本堂の裏手にこちらの↑大日如来さまがおわしました。
写真では伝わらないかもしれませんが、御像だけでも4m弱もある実に大きな仏様です。もう、400年近くもこちらにおわさせている古い仏さまですが、きっちりとお手入れがなされておられまして、とてもそんなに古い仏さまとは思えないです。小生は最初見た時、ああね最近造られた仏様だなぁ、と思ったくらいです。
大日如来さまはお不動さまの本自仏であられますから、成田山でも普段は公開されておらない「奥の院」に居られます。こちら目黒不動尊さまではこんなに大きな大日如来さまを普段から拝めます。仏さまの居られる寺域外はすぐに住宅地でございますから、普段生活の片隅にこの仏さまが目に入りつつ日々過ごされておられる地元の方々は、きっと知らず知らずのうちに心強さを頂戴いたしておられるのだろうと思いますと羨ましくもあります。
参拝を終えて、階段を降りましてお暇致します。
バス停脇の楼門には正面には仁王様?が居られまして、裏側にはおおきな狛犬様が入られておられました。ここにも神仏習合の名残がありましたです。
帰りはご門前の中華屋さんでお昼を食させていただいて、東急目黒線不動前駅から横浜へと向かいました。相鉄/東急新横浜線が開通すれば大和まで直通電車で乗り換えなしに帰れるのかとなると、ちょっとビックリです。きっと身近なお不動さまになるだろうなぁとも思いましたが、その頃はもう小生は湘南に居らないでしょうと思うと残念にも感じました。
ちなみに駅は不動前駅がありますが、駅からはかなり歩きますので、歩かれるのが苦手な方は目黒駅から渋谷72系統のバスに乗られれば、ものの10分そこらでご門前まで運んでもらえます。
春のお彼岸には「彼岸会」も開かれるみたいですから、お出かけになられてもいかがでしょうか。
大鳥神社ウェブサイト↓
目黒不動尊ウェブサイト↓
http://park6.wakwak.com/~megurofudou/