笠間の大神さまを辞させていただきました後は、一路、鹿島の大神さまへと向かいます。
今日は金曜日、平日の日中でございますので笠間からは高速には乗らず、一路、下道走行です。
水戸へ出て、暫くは街中を走りますが、しばらくして太平洋岸沿いに南下していきます。
途中の行路には大洗磯前神社さまや酒列磯前神社さまなど初参りにお伺いいたしたいお社がございますが、今回は鹿島の大社へお伺いいたす、という目的がございましたので涙を呑んで通過させていただきました。
鹿島スタジアムを横目に見ても、大洗鹿島線が目に入っても、鹿島神宮駅のそばを通っても、引っかかることなく大社へ、です。
到着はちょうどお昼前に到着しました。
多分ですが、神さまもお昼のお時間でしょうから※神職の方々も、まず参拝の前に小生も腹ごしらえです。
ご門前の至近のお土産やさん兼業の食堂で、あおさそばとカレーライス、を食しました。これが両方とも、何とも美味!で・・・。満腹です。
1時少し前に参拝開始でございます。
楼門のご隋神さまへご挨拶しつつ境内へ入らせていただき、真新しく?近代和的なご祈祷殿/ご祈祷受付へ直行。
ここでも、グッドタイミングに調整していただきまして、13時のご祈祷まであと10分。
ああ、こちらのお社でも大神さまにご配慮いただいているなぁ、と思いつつご祈祷のご案内を待っていましたら・・・。
ご案内の方がいらして、後について行こうとしましたら、ちょっとビックリ。なんと、13時のご祈祷は小生一人だったのです。ヒョエ~!!。
そうです、大神さまが小生一人にしてくださったとしか思えないのです。
実は小生がご祈祷の申し込みを致しております時に、数分して何人かの方が申込をなされておられたのです。これはもう・・・。
で、ご祈祷所の扉が開けられ、案内された場所に二度ビックリいたしたのです。
鹿島の大神さまでは、本殿拝殿でご祈祷がなされておるのを見たことがございませんでした。
拝殿での結婚式を拝見させてはいただきましたが、前回の参拝時はご祈祷をお願いいたしておりませんでしたので、あまり気にはならなかったのです。
今回の参拝で初めて、ご祈祷殿/ご祈祷受付へ足を踏み入れさせていただいたのです。そこは・・・。
まるで学校の体育館ほどの大きなホールに胡床※神社での折り畳み椅子、がずらっと並んでおりまして、その空間の広さと言ったら!。
「一番前の真ん中に座ってお待ちください」と案内されまして、その広大な空間に小生ただ一人座りましたです。
で、正面を見て、これまた三度ビックリ。
なんと、ホールであれば舞台に当たるところに「みごとな神社造の古風な拝殿が屋根ごと」収まっておるのです。
いゃ~、コレには本当に度肝を抜かれましたです。
暫く、ず~と、スゲ~~~~~~っとボーっと見惚れておりました。
そのうち神職の方が二人お見えになりまして、外建てまんまの!拝殿に着座されまして、小生一人のために神さまへ祝詞をあげられ始めます。
広大な空間に、神職様の祝詞が響き、神気を帯びた響きとなって小生の体全体を包み込みました。こんな体験は初めてです!!!。
身の引き締まるような厳粛な気分にだんだんとなっていきます。ゾワッっとしました。
ご祈祷が終わり、退席を促されて授与品を受け取りまして祈祷殿の廊下を歩いたときは、これはしっかり神さまにお願いを聞き届けていただけたなぁ、と流石にハッキリと自覚できました!。
そして、少し疲れを感じましたが、それは大きな達成感と心地よい満足感からくるものだと、後でわかりました。
祈祷殿を辞しました後は、しばらく境内を散策させていただきました。
広大なご神域は伊勢の神宮とはちょっと違った自然樹鬱が広がっていますが、ご眷属さまと思しき巨樹があちこちにございますのは、神宮さまと同じでございます。
奥宮参道を歩いて行きますと、有名な要石がございます。はじめの一歩をしるす日として要といたしたい、と祝詞を上げさせていただきました。
要石へ向かう分岐点には、家康公が寄進された奥宮がございます。かつての本殿とのことですが、小生には神さまは何時もこちらに居られるのでは、と感じました。
さらに奥宮参道を歩いて行くと、御手洗池に行きつきます。
昔はこの池で禊をしてから、お社を参拝いたしたとのことでして、神水の湧き出す神聖な場所であることが感じられます。
池の先には、古の神社神域の入口を仕切っていたであろう、大きな鳥居の跡が残っています。
確かに、こちらから順に参道をたどっていった方が、境内の偉物やお社がしっくりと参拝ができるような気もしました
それにしても、鹿島の大神さま、小生が申し上げるまでもないですが、国内最古級のお社としての存在感と、神さまのとても大きな慈しみの御心と、とてつもなく大きく包み込んでいただける神さまのお力、を体感できる稀有なお社、と小生は感じます。
鹿島の大神さまへ、しっかりと真摯にお願いすることは、自身の願掛けに対して責任を持つという事であり、神さまに対して手を合わせてお願いするという行為においても、そうすることによって神さまにしっかりと聞き届けていただける※た、という充足感と満足感の両方を、その場で得れる、実感/体感できると思います。
そして、満たされた清々しい気持ちとなって一歩を踏み出すことができる。これが「鹿島立ち」ではないのか!と、感じさせられる、実に有意義な参拝でございました。
鹿島の大神さまを辞しましたら、後はもう・・。
本当は拙宅の神棚をお守りいただいているミニ狛犬さまの故郷、香取神宮さまと神栖神社の三社をお詣りいたそうと思っておったのですが、疲労感が出てしまい、直帰と相成りました~。
追伸:識子様によれば清冽で神気溢れた場所に人の子が足を踏み入れると、悪いものすべでが浄化されてしまうのは良いですが、神域を出たとたん現世に足を踏み入れ元の世界の諸々の空気が体に入り、疲れとなって出てくるものだそうです。精進落とし、とはそういった状況に体を慣らす、と言う意味で必要な事ではないか、とおっしゃられております。神仏詣でをなされた時は、精進落とし、は小生には必須のようです。