なおひとずの哲学カフェと観光日記

なおひとずの哲学カフェと観光日記

哲学カフェの開催記録と日帰り一人旅の記録をするブログ。

18歳でキックボクシングを始め、その後20年かけて色々な武道格闘技をやってきたら40歳過ぎに空手の研究と哲学に辿り着きましたとさ。

 

音声de対話#19 終了しました。

 

テーマ「人に迷惑をかけるのはそんなに悪い事か?」

参加者 20人くらい

 

 

そもそも迷惑とは何か?という定義するあたりから始まり

受け手の感情の問題である、受け手の解釈の問題である、

受け手が迷惑と感じたらそれだけで迷惑なのか、

みたいな話が進んでいきました。

 

電車で泣いている子供を迷惑と思うか

それは泣いている子供ではなく親の管理責任が監視されているのではないか、

泣いているのが大人だったらどうなのか、

 

 

悪と判断するため妥当性のある迷惑とは?

迷惑の判断基準は時代、社会、文化によって変わる、

 

個人主義が台頭した現代ではどうなのか?

今は昔に比べて迷惑のハードルが上がっているのか下がっているのか、

などなど色々でました。

 

飛び込み自殺で電車が止まったとき「迷惑だ」と言うのは命の重さが・・とか

子供に「迷惑をかけるな」と教えて育てると困ったときに「助けて」と言えない

子になってしまうんじゃないか、

 

万札を払って参加した劇場の席のとなりでうるさい客は迷惑千万である、

みたいな話もでました。

 

 

人間関係の濃い、薄いは迷惑感にどう影響するか、

SNSで迷惑だー!と騒いでる人たちは何なのか、

 

無関心と迷惑の関係、

ありがた迷惑とは?

迷惑はお互い様である、

 

などなど様々な話がなされました。

 

 

 

 

前から行こうと思っていたが先延ばしになっていた高松山に

行ってきた。

 

   

 

丹沢の山塊。

 

山頂はのどかで温かかった。

 

海側の景色。

 

期待の富士山はなんかぼんやりしていた。

 

 

同じ晴れでもくっきり見えるときとぼんやり見えるときが

あるみたい。

 

 

 

 

 

 

オンライン哲学対話#60 終了しました。

 

テーマ「安楽死についてどう思うか?」

参加者 7名

 

テレビ番組の日本からオランダへ安楽死しに行った人の話から始まり

 

自分の命の決定権は自分にあるのか、

本人の意思とは関係ないところで決められてしまわないか、

 

死を選択するには本人の決定が最優先されるべきだが

本人の意思はどこまで本人の意思なのか、

 

医者には死にたいと言いつつも家族には生きたいと言ってた人もいた、

人の意志というのは常に揺れ動いているものだ、

 

安楽死の決定権を任されるドクターにも苦悩がある、

 

国や宗教は「自殺はするな」と言いつつも責任はとらないじゃないか、

最終的には自分が決める問題だ、

 

などなど出ました。

 

日本で安楽死を導入すべきかということに関しては

 

国民全体に問うべきだ、法整備が必要、

日本では自己決定権が普及しておらず家族任せにする傾向があるので

導入には自分は慎重派だ、

 

などなどの意見もありました。

 

 

安楽死に関してはは神父に聞いたことがあるが神父はしゃべるだけで相手の

話を聞かない、

 

家族に対する申し訳なさから安楽死を望む人もいるだろう、

生産性のない人に税金を使うのはどうなのか、という考えもあれば

 

いやいやあなたも多くの人の世話になって生きてますでしょ?とか

 

「自分は障害者になったら死んでもいい」と言い張る人もいますよ、

という意見には

 

そんなの実際障害者になってみなけりゃ分かりませんよね、

というツッコミもあり

対話も進んでいきました。

 

 

責任ということにも言及があり

障害者になったり老衰するのは本人の責任なのか、

 

暖和ケア・ホスピスが充実すれば安楽死はなくなるのではないか

人間らしく生きられることが大事、

 

生きる意味とは何か、それがわからないから安楽死の是非もわからない、

などなど多くの意見が出ました。