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なおひとずの哲学カフェと観光日記

哲学カフェの開催記録と日帰り一人旅の記録をするブログ。

登戸駅で降りて二ヶ領せせらぎ館を見てきた。

 

多摩川の魚などが色々展示されていた。

 

  

  

 

 

せせらぎ館の近くにあるのが二ヶ領宿河原堰(しゅくかわらぜき)。

 

二ヶ領用水は関ヶ原の戦いの3年前にあたる1597年慶長2年)に測量が始まり、14年の歳月をかけて完成。

上河原堰堤の名は、江戸時代の川崎領と稲毛領にまたがって流れていたことに由来する。

 

関東六ヶ国に転封となった徳川家康は、江戸近郊の治水と新田開発に取り組み、用水奉行小泉次大夫に命じて、稲毛から川崎領六郷に至る本用水路を造らせた。(wikiより)

 

 

宿河原堰は二ヶ領用水の入り口にあたる場所。

ここで多摩川の水をせき止めて二ヶ領に流し込む。

  

 

二ケ領用水ができて水田に水が引けて米の生産量が増えたが今度は

水争いや水不足などの問題もでてきたという。

 

昭和24年(1949年)の戦争直後にコンクリート堰として完成

昭和49年9月台風により左岸側の狛江市で迂回流による侵食破堤が発生し爆破された。

平成7年に堰改築工事を着工し、平成11年(1999年)に現在の堰が完成した。

 

 

多摩川の横に緑色の池みたいのがあった。

これが二ケ領用水だったのかと今になって思った。

 

  

 

 

 

 

音声de対話*9 終了しました。

 

テーマ 「やまゆり園事件を語ろう」

参加者 13人くらい

 

 

人の存在を役に立つ、生産性、などの価値で見られるのかという

あたりから始まり

障害者がいるから福祉施設ができ、そこで働く従業員が必要となり雇用が

生まれる

だから障害者は無価値ではない、という話があり

 

それに対して福祉産業のために障害者がいるのか?

障害者は福祉産業のためにいるわけではない、

という意見もあり

 

役に立つ、利益になるかならないか目線で人を見るのは違和感がある、

学生時代はその人の価値とか考えずにつき合えたから社会人より

学生時代の人間関係の方が良かったなど。

 

また人には成長したいという本能みたいなものがあり

それがなくなってしまったら生きる価値を見いだせないのではないか?

 

植松死刑囚が犯行に及んだのは

人の価値とか仕事の意味とかを考えすぎてしまったからではないか、

ただのバイトや仕事と割り切って働いていればああいう事件にはならなかった

のではないか。

 

植松氏は政治家に手紙なども送っており

まじめで理想的すぎたのでその反動でおかしくなったのではないか。

 

自分はむかし施設で働いたことがあるがその福祉施設は利用者のことなど

人間扱いしてなかった、

ほんとうにひどい場所でそれは行政のあり方に問題があるのだ、

とか色々ありました。

 

 

植松死刑囚はちゃんと自分の行動を言葉で説明することができ、

他者からある程度は共感されるところがある

 

恨みや金銭目的で犯行に及んでいるわけではないので何か考えさせられる、

社会に何かを訴えたかったのではないか

 

植松氏は突然変異で現れたモンスターではなく誰もが彼のように

なる可能性はある、

 

あの事件は社会の歪みが起こさせたものかもしれない、

浅間山荘事件、オウム真理教、やまゆり園事件、

重大事件は社会情勢や時代を映す鏡なのかもしれない

 

などなど。