多摩川決壊の碑と久地円筒分水 | なおひとずの哲学カフェと観光日記

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せせらぎ館の対岸には多摩川決壊の碑がある。

 

昭和49年台風16号による激しい降雨の影響により、多摩川の堤防は決壊し、

家屋19棟を失うなど狛江市に大きな傷跡を残した。

 

 

当時の様子はこんな感じで

 

  

 

その様子が全国にテレビ中継されたのだという。

 

二ヶ領宿河原堰が洪水の流れを阻害し、せき止められた河川が左岸河川敷の小堤防を破壊したのだ。

 

なので最終的には二ヶ領宿河原堰を自衛隊が爆破して迂回路をなくさせた。

 

今から50年前の出来事である。

 

それからさらに海のほうへと歩くと

二ケ領本川。

 

江戸時代に川崎南部までの地域に水を引き入れた農業用水。

今は用水としての役割は終えている。

 

  

 

古くて緑に濁ったさまが歴史を感じさせる。

これは確かに農業用水だったんだなと。

 

そしてその先に久地円筒分水(くじえんとうぶんすい)。

 

この地点で流れてきた水を四つの堀(久地堀、六ヶ村堀、川崎堀、根方堀)に分水していたが

水量をめぐる争いが絶えなかった。

 

そこで、昭和16(1941)年に「久地円筒分水」が造られた。

 

  

 

要は水を正確に4分割する装置なのだが当時としては画期的だったそうです。