尾張藩二代藩主光友が作った「建築物」 | 「洋ちゃん」のひとりごと

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光友は、

初代藩主義直の長男として生まれ、

1650年、義直の死去とともに25歳で家督を継ぐ。

 

尾張初代の義直は名古屋の骨格をつくり、

二代の光友はそれに肉付けをしたと云われている。

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尾張藩二代藩主光友が作った「建築物」について調べました。

1.定光寺…瀬戸市定光寺町

  父の義直廟(びょう・みょう・たまや・みたまや)墓を1650年に造営した。

2.建中寺…名古屋市東区

  父の義直の菩提を弔うために1651年に建立。

 ※

徳興山・建中寺…東区筒井1(名古屋市教育委員会設置の標札巡り…東区№30)

3.西浜御殿…名古屋市熱田区

  1654年光友が造営

  (注)東浜御殿は初代藩主義直が造営。

 ※

西浜御殿跡」の名勝標札…熱田区神戸町802(白鳥消防団詰所)(熱田区名勝標札№15)

4.大森寺…名古屋市守山区

  1661年に生母(乾の方)の菩提を弔うため建立。

 ※

大森寺」の名勝標札…守山区大森字弁天が丘808(守山区名勝標札 №9)

5.大縣神社(尾張二の宮)…犬山市

  1661年に火災で焼失した本殿を再建。

 ※

大縣神社で参拝…犬山市字宮山三(旧…楽田)

6.観福寺…東海市(知多四国八十八霊場第八十二番札所)

  1665年に光友が中興した。

 ※

知多新四国霊場八十八ヶ所「第82番 観福寺」「第83番 弥勒寺」で参拝

7.栄国寺…名古屋市中区

  敷地に処刑場があり200名の及ぶキリシタンが処刑されたという。

  その跡地に1665年光友が清涼庵を建てる…のちに栄国寺と改称。

 ※

「栄国寺」「切支丹処刑地跡・無縁仏埋葬地」の名勝標札…中区橘1-21-38(№54・55))

8.横須賀御殿…東海市

  1666年に潮湯治をおこなうため横須賀御殿を造営。

  (注)明治になると、跡地に1889年に坂角総本舗が設立。

9.御下屋敷…名古屋市東区

  1679年に光友が別邸として造営。

 ※

御下屋敷跡…東区葵一丁目3-21(名古屋市教育委員会設置の標札巡り…東区№1)

10.興正寺(「尾張高野」)…名古屋市昭和区

  1688年、光友の帰依を受け、尾張徳川家の祈願寺として建立。

  (注)帰依(きえ)とは

     仏教用語において、拠り所にするという意味。

 ※

「興正寺五重塔」の名勝標札…昭和区八事本町78(昭和区名勝標札 №13:最終)

11.名古屋東別院…名古屋市中区

  1690年光友は織田信長の父信秀の居城だった古渡城の跡地を寄進して建立。

 ※

「東別院」の名勝標札…中区橘2-8-55(№50)

12.徳川園…名古屋市東区

  1695年に光友の隠居所として造られた大曾根屋敷がそのルーツ。

 ※

徳川園にて…門松等をデジカメ

13.矢場地蔵(清浄寺)…名古屋市中区

  年代??。

  初代義直の兵法指南役として仕えた柳生兵庫助の屋敷があった。

  その跡地に光友が清浄寺を建立。

 ※

「小林城」の名勝標札…中区大須4-1-32(№29)

 

※👇文献…書物です

 

 

(22,943歩)