「大森寺」の名勝標札…守山区大森字弁天が丘808(守山区名勝標札 №9) | 「洋ちゃん」のひとりごと

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私「洋ちゃん」、守山区内にある

名古屋市教育委員会設置の名勝標札巡りをしています。

その一環で、

 

先日(20日)に、

「大森寺」名勝標札をデジカメ

設置場所 守山区大森字弁天が丘808

 

↓名勝標札…中門の反対側の場所に設置

デジカメ

↓山門

↓中門前から山門の方向

↓中門…(注)山号の額は光友の筆

↓鐘楼…中門を入ってすぐ右側にあり

↓本堂…2014年に本堂を再建

↓歓喜院の墓…裏山の墓地にあり

 

大森寺について

↓ネットより引用

山号 興旧山
宗派 浄土宗
 創建年 1637年
開山 信誉上人
開基 徳川光友
 正式名 興旧山歓喜院大森寺

・寛永14年(1637年)尾張二代藩主徳川光友が、

 生母乾の方(歓喜院)の菩提を弔うため、江戸小石川の伝通院内に創建。

・寛文元年(1661年)乾の方の出身地である大森に移転した。

 裏山の墓地に歓喜院の墓がある。

・中門に掲げられた山号の額は光友の筆である。

・明治8年の火災で、創建以来の建物は消失したが2014年に本堂を再建した。

(付記)

東海学園(東区)にある明照殿は

大森寺、

二十世住職で東海中学校初代校長でもあった武田芳淳が旧校舎を移築したものである。

   ☟明照殿      ☟明照殿内陣

  明照殿明照殿内陣

 

↓守山区史跡散策路より引用

・本尊は阿弥陀如来。

・二代藩主光友の生母歓喜院乾の方の菩提寺として乾の方の故郷大森に寛文元年(1661)創建。

・中門に掲げられた山号の額は光友の真筆である。

・明治8年の火災で、創建以来の建物は焼失したが、本尊は無事であった。

・乾の方の墓は本堂の真裏手にある。

 

↓下の文献よりスキャン

↓尾張名所図会より

 

(追記)

守山区内に設置の名勝標札について

「守山城跡」の名勝標札…守山区市場4−28(宝勝寺)(守山区名勝標札 №8)

「小幡城跡」の名勝標札…守山区西城二丁目16(守山区名勝標札 №7)

「小幡茶臼山古墳」の名勝標札…守山区緑ヶ丘1001(守山区名勝標札 №6)

「守山白山古墳」の名勝標札…守山区市場16-35(白山神社)(守山区名勝標札 №5)

「牛牧遺跡」の名勝標札…守山区牛牧字中山1632-1(守山区名勝標札 №4)

「守山瓢箪山古墳」の名勝標札…守山区西島町4(守山区名勝標札 №3)

「長慶寺」の名勝標札…守山区小幡中2-24-45(守山区名勝標札 №2)

「小幡長塚古墳」の名勝標札…守山区小幡四丁目12番52号(守山区名勝標札 №1)

 

(参考)

2023年6月9日に付記

☟2024年3月19日に付記

☟2024年4月17日付け中日新聞朝刊よりスキャン