「あゆちの水(伝承地)」の名勝標札…瑞穂区師長町(瑞穂区名勝標札 №3) | 「洋ちゃん」のひとりごと

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私「洋ちゃん」、瑞穂区内にある

名古屋市教育委員会設置の名勝標札巡りをしています…№3

 

その一環で、

先日

「あゆちの水(伝承地)」名勝標札をデジカメ

 

設置場所 瑞穂区師長町(瑞穂陸上競技場北東)

 

名古屋市教育委員会設置の名勝標札

 

「あゆちの水(伝承地)」について

↓瑞穂区史跡散策路より引用

尾張の名水の一つで、万葉集に詠まれた「小治田の年魚道の水」はここであるという説がある。

直径1m、深さ3mほどの井戸で日照りが続いても水が枯れなかったと言われ、多くの人々が利用していた。

戦後は荒れ果てたままになっていたが、昭和52年に地元の有志の人たちの協力により現在の形になった。

 

・江戸時代末期に作られたあ・ゆ・ち・水と刻まれた石の井桁を瑞穂運動場建設現場で地元民が見つけ保管。

・尾張の名水の一つで

 万葉集に詠まれた「小治田の年魚道の水」はここであるという説がある…尾張説

 小治田(おはりだ)=尾張田  年魚道(あゆち)=愛智=あいち

   ★「小治田の年魚道の水」の所在地については、尾張、大和の両説がある

・直径1m、深さ3mほどの井戸で日照りが続いても水が枯れなかったと言われ、多くの人々が利用していた。

・戦後は荒れ果てたままになっていたが、

 昭和52年に地主から土地を借り、地元の有志の人たちの協力により現在地に再現した記念碑が建つ。

 

↓ネットより引用

・あゆち水の記念碑や石製の井桁がある。

・付近は、かつて「琵琶が峰」と呼ばれていた。

 付近の井戸田という場所に流刑にされた平安時代の関白太政大臣藤原師長が

 琵琶の名手だったことに由来するとのこと。

・「あゆち」は、「あゆち潟」に由来する言葉で愛知の語源となっている。


現在は、「あゆち潟」の面影は、現在は全くありません。

・名古屋市内では、

 平安時代以前は、熱田神宮から瑞穂区の新瑞橋、天白区の植田、島田、野並を

 結ぶルートが、あゆち潟の沿岸となっていた。

古代の東海道や鎌倉街道は、このルートを通っていた。
瑞穂区師長町の近くまで、「あゆち潟」が広がっていたことになる。

 

デジカメ 

・「あゆち水」歌碑の下段に

  万葉歌が原文のまま刻み「津賀田神社社司従七位野々山彬」とあり。

・碑は、昭和11年(1936)4月「横江信行建立」と銘が彫られている。

  横江氏はこのあたりの山林所有者であった。

あ・ゆ・ち・水と刻まれた石の井桁

☟赤矢印の石碑に「琵琶峯」と記載あり

 下は拡大

(付記)

☟「あゆちの水(伝承地)」の場所から数メートルの場所にあるお地蔵様

 由緒は、あゆちの水(伝承地)との関係は???

 左:なこ屋 右:いし坂と記載…いし坂は昭和区広路町石坂のことと思われる???

付記)

万葉集巻十三で詠まれた歌
 
★歌の意味。

 こんこんと寸暇も休むことなく湧き出ている小治田の年魚市の水よ、

 その泉のうまさのために旅人は来たりて、絶えずその水を飲んでいく。  

  このように吾妹子に対する自分の恋心はとどまることはない。

 

万葉集に出てくる「小治田(おはりだ)」の場所について

大和説

大和には、飛鳥時代の推古朝の頃、小墾田宮 と呼ばれる宮殿があった。

大和説では、ここが小治田の場所ではないかという説。

尾張説

上記で記載。

 

ひとりごと

瑞穂総合運動場辺りは縄文、弥生時代の遺跡も多い。

 これらの古代人達にも、ここから湧き出ずる水は必要不可欠であった…??

(👇参考に)

 

(追記)

瑞穂区内古墳・遺跡シリーズ(№5)伝承地、あゆちの水…瑞穂総合運動場東

あゆちの水(伝承地)(名古屋市瑞穂区の史跡)

としてブログしました。

 

(追記)

◎瑞穂区内にある名勝標札巡りについて

「浜神明社」の名勝標札…瑞穂区塩入町14(瑞穂区名勝標札 №2)

「津賀田神社」の名勝標札…瑞穂区津賀田町3-4(瑞穂区名勝標札 №1)