先日、数日間程かけて、瑞穂区内の古墳及び遺跡を訪ねてきました。
№5として、
瑞穂総合運動場東…瑞穂区師長町にある伝承地「あゆちの水」です。
「あゆちの水」について、
・江戸時代末期に作られたあ・ゆ・ち・水と刻まれた石の井桁を瑞穂運動場建設現場で
地元民が見つけ保管。
・尾張の名水の一つで、万葉集に詠まれた「小治田の年魚道の水」はここであるという説がある…尾張説
小治田(おはりだ)=尾張田 年魚道(あゆち)=愛智=あいち
・直径1m、深さ3mほどの井戸で日照りが続いても水が枯れなかったと言われ、多くの人々が利用していた。
・戦後は荒れ果てたままになっていたが、昭和52年に地主から土地を借り、地元の有志の人たちの協力により現在地に再現した記念碑が建つ。
(名古屋市瑞穂区史跡散策路より引用)
直径1m、深さ3mほどの井戸です(前・横・斜めからデジカメ)
・「あゆち水」歌碑の下段に
万葉歌が原文のまま刻まれ「津賀田神社社司従七位野々山彬」とあり。
・碑は、昭和11年(1936)4月 「横江信行建立」と銘が彫られている。
・このあたり一帯は八事層という洪積層の西縁で、山崎川も流れており湧水はいっぱい湧出…。
★「小治田の年魚道の水」の所在地については、尾張、大和の両説がある。
(付記)
こんこんと寸暇も休むことなく湧き出ている小治田の年魚市の水よ、その泉のうまさのために旅人は来たりて、絶えずその水を飲んでいく。このように吾妹子に対する自分の恋心はとどまることはない。
万葉集に出てくる「小治田(おはりだ)」の場所について
大和説
大和には、飛鳥時代の推古朝の頃、小墾田宮 と呼ばれる宮殿があった。
大和説では、ここが小治田の場所ではないかという説。
尾張説
上記で記載。
ひとりごと
瑞穂総合運動場辺りは縄文、弥生時代の遺跡も多い。
これらの古代人達にも、ここから湧き出ずる水は必要不可欠であった…??
(参考に)