私「洋ちゃん」、昭和区内にある
名古屋市教育委員会設置の名勝標札巡りをしています…№10
その一環で、
先日
「檀渓跡」の名勝標札をデジカメ。
+の場所
設置場所 昭和区檀渓通3丁目(山崎川檀渓橋下)
↓名古屋市教育委員会設置の名勝標札…№10
「檀渓跡」について…昭和区史跡散策路より引用
山崎川が、檀渓橋あたりで湾曲し、丘陵の裾に沿って南流する付近の渓谷を檀渓と呼んでいた。
江戸末期の「尾張名所図会」には当時の景勝の様子が描かれる。
デジカメ
↓中日新聞ぬ連載されていた「街道を行く」よりスキャン
↓「尾張名所図会」も檀渓の当時の様子が描かれています。
図会の句の詠み
檀渓(だんけい)
士朗
枇杷園句集
露に
おとあり
誰かすみなれて
茶のけふり
《露(ろ)に音(ね)あり 誰住(だれす)みなれて 茶の煙》
・図会の真ん中を「山崎川」が流れ、松並木が続く…現在は桜並木が続く。
・図会の説明書きには、この地は僧侶が庵を結んだり、文人墨客がたびたび訪れる幽玄の地であった。
★山崎川の水、崖、樹木がつくる風景画が幽玄とされた。
・図会にある掛樋は、隼人池から藤成新田(現 藤成通り辺り)への灌漑用水です。
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「檀渓」の呼び名等について
・白林寺(現 中区栄三丁目)住職の檀渓和尚がこの地に庵を結び、自然を楽しんだといわれる。
…地名はこれに由来する。
★白林寺(現 中区栄三丁目)は1625年(寛永2年)、尾張初代藩主義直が、
家老・成瀬正成の菩提を弔うため建立した寺院。
・白林寺五世・檀渓徹(てつ)和尚の時代の寛文年間(1661~73年頃)、
檀渓徹和尚は住職を辞し、この地に庵を構え隠棲した。
☟名古屋の史跡と文化財より
(追記)
「檀渓跡」について
昭和区内の名勝標札巡りについて
「八幡山古墳」の名勝標札…昭和区山脇町一丁目(昭和区名勝標札 №9)
「宝珠院のイヌナシ」の名勝標札…昭和区広路町字隼人22(宝珠院)(昭和区名勝標札 №8)
尾陽神社と御器所西城跡の名勝標札…昭和区御器所2-9-19(昭和区名勝標札 №7)
「塩付街道」の名勝標札…昭和区塩付通6丁目51(神明社)(昭和区名勝標札 №6)
「宮本武蔵碑」の名勝標札…昭和区広路町松風園68(半僧坊新福寺)(昭和区名勝標札 №5)
「伝豊臣秀吉母宅跡」の名勝標札…昭和区御器所3-22(昭和区名勝標札 №4)
「伊勝八幡宮」の名勝標札…昭和区伊勝町2-99(昭和区名勝標札 №3)
宗円寺宝篋印塔の名勝標札…昭和区御器所3-19-18(昭和区名勝標札 №2)
小酒井不木宅跡の名勝標札…昭和区鶴舞4-5-14(昭和区名勝標札 №1)