一昨日、10月11日(日)付け、
中日新聞・朝刊・市民版に「下にスキャン」した記事があり…。
↓
☟紹介されている「武将たちのゆかりの地」についてブログしています。
抜粋しました。
中村公園
園内にある「豊公誕生地之碑」について…中村公園シリーズ №3
豊公誕生地之碑について
(中村公園歴史マップより引用)
・秀吉は天分6年(1537・旧説では同5年)尾張国中村で生まれた。
・江戸時代には一帯が太閤屋敷後と呼ばれていた。
・石碑の後、円形の植え込みになっているところは「木下藪」と呼ばれる。
・明治16年(1883)当時の県令(現在の県知事)国貞廉平はこの地を訪れ、
この地域を史跡として保存するため、「豊公誕生地之碑」の標柱を立てた。
さらに
明治44年(1911)県知事深野一三の筆による石碑に替えられた。
・ここが秀吉の誕生地だったという伝承があるが、可能性は低いと考えられる。
(追記)
太閤素性記、によると、
秀吉は尾張国愛知郡中村郷中中村(現在の名古屋市中村区)で、
足軽と伝えられる木下弥右衛門・なか(のちの大政所)の子として生まれる
(弥右衛門の素性には諸説があり)
1.現在の中村区が定説とされ、
①中村公園内の豊国神社東側の竹藪
②妙行寺の西方…尾張名所図会より
③常泉寺…寛文村々覚書・尾州府志より
④中中村…弥助屋敷・太閤素性記より
2.清須市とも伝わる
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万松寺
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富士権現社
冨士権現天満宮・荒子城跡について(名古屋市史跡散策路より引用)
・創建年は不祥、祭神は木花開耶姫命と菅原道真公である。
・荒子城主前田利家が勧進した社であり、荒子城の鎮守神であった。
・境内には、前田利家が越前へ移る際、荒子に残していった馬道具が保存され
ている。
・荒子城は、天文年間(1532年~1555年)前田利昌の築城、利家も居城し、天
正9年(1581年)廃城となった。
・城の規模は、「尾陽雑記」「尾州古城志」などによると、東西が約68メートル、
南北が約50メートルであったと記載あり。
荒子城について(一部ネットより引用)
荒子城は、
この地の豪族・前田利昌(前田利家の父)が天文十三年(1554)に築城し前田城より移ってきたといわれている。
城主は歴代前田家の出であり、利昌から子の利久・その弟利家・その子利長と続く。
天正三年(1575)に利家が越前北の庄(福井県)に移り、天正九年(1581)に利長も越前に移ったため廃城となる。
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明徳寺
「柴田勝家出生地」の名勝標札…名東区陸前町1310(明徳寺山門前左)
としてブログしました。
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徳川家康幼時幽居地
徳川家康幼時幽居地跡:羽城(はじょう)址に行く…熱田区伝馬二丁目
としてブログしました。
徳川家康幼時幽居地について…熱田区史跡散策路より引用
・天文16年(1547)、家康が竹干代と呼ばれた6歳のとき、岡崎から駿河の今川氏
へ人質に出されたが、戸田康光により織田信秀へ送られた。
・家康は加藤図書助(かとうずしょのすけ)に預けられ、2年程幽居した。
・建物は戦災によってすべて焼失した。
↓ 名古屋市教育委員会設置の標札の下にあり