下社城の石碑(柱)…名東区陸前町1310(明徳寺山門前右) | 「洋ちゃん」のひとりごと

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私「洋ちゃん」、名古屋市内にある

名古屋市教育委員会設置の名勝標札巡りをしています。

その一環で、

先日(24日)、

明徳寺(名東区陸前町1310)を訪ねた際、

山門の前、右側に『下社城の石碑』にあり…。

↓山門前(高台にあり)から南方面

 

『下社城』について…ネットより引用

織田信長に仕えた柴田勝家の生誕地でもある柴田氏の居城。

・下社城は、西方を流れる植田川を天然の堀とし、

 内側を一重堀で囲まれた54m四方の方形のお城であったと云われる。

☟歴史

・築城は勝家の父柴田勝直(伊賀守)、

 築城時期は文明年間~永正年間(1460年~1500年頃)といわれている。

・柴田氏は織田大和守家に仕え、織田信秀亡き後、

 勝家は当初、信長ではなく弟の信勝(信行)に使えていた。

・しかし稲生ヶ原の合戦で、信勝が敗れてからは信長に仕える。

・その後各地を転戦、越前(福井県)北ノ庄城主となるも、

 信長が本能寺で討たれた後羽柴秀吉と対立、遂には秀吉に討たれる。

・廃城は勝家が北ノ庄城に移った天正四年(1576)頃と云われる。

 

(参照)

稲生原古戦場跡(西区にあり)の名勝標札

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(特記)

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