慈善について | 海南島のヨハネの黙示録

海南島のヨハネの黙示録

キリスト教の元宣教師・海南島のヨハネさんの不思議な体験の数々

長く生きていると、他人との関係で助けたり助けられたり、又、裏切ったり裏切られたり、その経験も豊富になってくる。

騙された経験も多くなり、他人に対して用心深くなったりする。

老人になって静かに人生を振り返ると、イスカリオテのユダ位の裏切りは、誰にでもある様に思う。

神様からみれば、人間は殆ど凶悪人に値すると思う。

この様な人間を神様はどうして愛するのであろうか…。


今頃よく思うのであるが、何十回と他人からひどい仕打ちを受けた人が、隣人を愛する事は不可能の様に思われるが、しかし神様はこれを可能にして下さった。

私も子供の頃から記憶に残っている事柄が幾つかある。

一番古いものでは、小学3、4年生の時である。

学校の教室の掃除の為、雑巾を全員持って来る様に先生に言われていた。

クラスの中には、その雑巾すら持参出来ない貧しい子供もいた(戦時中だから)。

私は可哀相に思い、自分の雑巾をその子に貸してやった。

掃除が終わった後、先生が雑巾を持っていなかった子供数人を教室の後ろへ立たせて、残り全員に顔を殴らせた。

私もその時50人以上から殴られたのであるが、私が非常にショックを受けたのは、私が身代わりになったその子からも殴られた事である。

50人に殴られた以上にショックであった。


中学生の時も、弁当が持参出来ない友達に(当時は食料難で何人もいた)、しばらく私の弁当をあげていた。

しかしその友達からも悪口を言われ、これも覚えているショックである。

然し考えてみると、この10倍くらい私も人を裏切った様に思う。

救われた後でも幾らでもある。

仕事上の失敗を他人に押しつけ、謝るどころか、その事故責任を追求する様な凶悪犯並の悪事をやった記憶もある(後で悔い改め弁償金をもって謝りに行った)。

しかし善人の根もあるらしく、色々とボランティアをやったり、他人を助けたりもしている。

隣人を愛する事は、神の第二の戒めであるが、並大抵の事では出来ない。

他人に慈悲深い行いをしたばっかりに、その人の罠に落ちてしまう事も度々である。

その場合、イエス様ならどうされるであろうか…。


貧しい事を売り物にして、生活や金儲けをしている人々も沢山いる。

2、3年前の中国・上海での事であるが、ボロを纏(まと)った小学生位の子が、地面に顔をこすり付ける様にして金をせびるので、小銭を少し渡した。

その途端、その子は私に飛びついて足にかじりつき、大声でわめいた。

数秒の内に、どこにいたのか同類の様な子が何人も私に飛び掛かろうとしたので、私は腕力で彼等をけちらかした。

この子らは、どうも常習的な子供ギャングの様であった(中国では物売りも大勢で小人数の客を取り囲み、脅迫的に売りつける人もいた)。

私の手持ち金の全部をその子達に渡せば、私も暴力を振るわなくても済んだかもしれない。


もう一つ。

これは今年の事である。

エジプトで土産物店に入ったら、その入り口付近に、数人の物売りが貧しい姿で叫んでいた。

バスの出発間際まで一人の物売りは粘っているので、バスの乗客数人が、

「かわいそうだから、少し買って上げよう」

と言いだして、何人かは買った。

バスが発車する時、一台の高級乗用車が先に発車した。

運転していたのは、先の物売りであった。

見ていた私達は唖然とした。

ガイドの牧師さんの話しでは、高級住宅に住み、外車を乗り回している貧しい姿の物売りはこの辺ではいくらもいる、との事であった。

牧師さんはグル-プ全員に質問した。

「この中でBMWに乗っている人はいますか?」

誰もいなかった。

先程、憐れんだ物売りが持っていた乗用車すら持っていない貧しい人々は、我々の方であった。


最近、特に思うのであるが、アフリカ他、難民問題は、世界的な大問題であると思う。

一日に数万人の人が食糧不足の為に死んで行く事は、世界大戦を上回る数字ではないであろうか。

40年以上前から、難民救済のキャンペ-ンが有ったと記憶している。

私の20代の時には、バングラデシュが問題になっていた。

僅かの金で大勢の子供が助かるとの事であった。

これは大変だと思い、私も貯めていた預金、全部を日赤に寄付した事もあった。

その後も関心は持っていたが、20年経っても30年経っても、依然として難民国であるし、その数も少しも減っていない様であった。

2、3年前から難民問題に対し、我々は何をなすべきか、神は何をして居られるのか、又、どう思っておられるのか…。

時々、深く考えさせられた。

出版物で多少調べてみたが、募金の宣伝文句と現実では、かなりの違いがあると思った。

結論から云うと、彼等は、貧しい事を理由にして生活している難民産業のように推定した。

10年位前、郵政省はボランティア貯金を創設した。

私も結構な事だと、多少の協力をした。

何年後かに、その預金の収支報告が新聞に載っていたので私も見たが、宣伝文句であった。

アフリカの子供の救援の為には1円も使われていなかった。

テレビのニュ-スでも、国連の救援はアフリカから手を引く様であった。

善意で協力した多くの人達の為にも、その理由を知らせるべきだと思うが…。

私の知る処では、事実を発表すると、大抵の人は募金しなくなる様である…。

その対応は、現代の先進国が抱える大問題だと思うが。

【管理人のコメント】
たまたまYouTubeで見かけたので、動画を貼り付けておきます。




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