この大きな国、中国を貧困から救うのは誰か? | 海南島のヨハネの黙示録

海南島のヨハネの黙示録

キリスト教の元宣教師・海南島のヨハネさんの不思議な体験の数々

2008年  4月19日

中国に3年以上住んでいるが、貧富の差の大きい事をつくづく感じる。

田舎に行くと、バラックの様な家にわずかな生活道具でその日暮らしをしている人も沢山いる。

日雇い等で収入があれば食事が有るが、ない時は近所を借り歩き又は絶食である。

都市近郊の小学校でも、朝食なしで登校する子供は1割以上いた。

丁度、日本の戦後数年迄と同じ様である。

しかし都会では様相ががらりと変る。バラックはほとんど無い。

貧しい人でも、だいたい日本の公団住宅位の家に住んでいるが、甚だ汚い。

中国では国家の方針で、貧しい人はそのままにして金持ちをどんどん増やしている様に思える。

市内には広大な土地を開発区に指定し、住民を強制的に立ちのかせ、近代的な道路が出来、ビルやマンションが林立する。

私が住んでいる所も数km四方の開発区であるが、非常に近代的である。

郊外であるのに道路は広く、歩道もタイル張りで4~5mの巾がある。

椰子の木は4列に植えられ、手入れは良い。

歩行者等マナーは悪いが、一日中掃除をしている人がいるので、殆んどゴミも無い。

開発区では電柱は見当たらない。地中化方式である。

交通もアメリカ式で信号も少なく、バスは本当に便利である。

私は年に2、3回大阪に帰るが、いつも田舎に帰ったなーと感じている。

開発区は現在市内の2、3割位かなと思っているが、建設のスピードは速く、10年もたつと半分位になるかと思う。

私の住んでいる町は70万都市であるが、10ヶ所以上の大スーパーがある。

いつもレジで並んでいて思うのであるが、中国人の買いっぷりの良さを見て、何でこれが貧しい国なのか?

デパートでは高級ブランド品のみを扱った処もあり、私も何度か行ったが三越の比では無いと思った。

お客も結構あり、金持ちもいるんだな―の感想である。

中国の大部分は田舎であり、平均で見れば日本より遥かに貧しく、現在で日本の戦後10~20年位かなと思っている。

中国共産党は、貧しさの原因は政治態勢だと国民を共産主義に変えたが、貧しさは変わらず、国民の性質を変えるべく数十年の年月と1000万人と云われる犠牲者を出して思想改革を行ったが、ご存知の通りである。

どんな方法でも、強権によっても、中国人の性質は変らなかった。

それで資本主義を取り入れ、金持ちも増えて来た様である。

私も住んでいる海南島だけでも豊かにならないかと、日本企業の誘致や旅行者を増やす等、本を書いたり政府や旅行社と交渉したりしてみたが、大きな障害にぶつかった。

それは中国人自身の性質についてである。

中国人の性質は長い歴史の中で培われた様だが、仲間は非常に愛するが、他人は愛さない。

どの国民でもそんな人はいるであろうが、中国ではその割合が非常に大きい。

だから中国人には本当のボランティアは存在しない様だ。

他人の為に無償の奉仕は彼等の思考の外の様である。

私もボランティアを何度もつぶされた。

彼等の意見は、

「人の為に何かをする事はあり得ない事で、これは詐欺の一種である」

日本でもこの種の人はいるであろうが、殆んどの人がボランティアの存在を信じている様である。

他人を愛さない国民は貧しさからの脱却は出来ないと思っている。

すべての事に効率が悪い。

自分の利益しか考えない人は、社会全体を貧しくしている。

例えばスーパーでも、お客さんを親切に案内しても自分の利益にはつながらない。

だから殆んどの店員は案内しない。

工場でも、なまけて不良品を作っても、発見されなければその人の不利益にはならない。

これでは社会として豊かには絶対ならない様に思う。

色々と話を聞いてみると、成程と思われる節もある。

ある学生は携帯電話を盗まれ一晩中泣き明かし、多分思った事は、

「これからは他人を信用しない事にしよう。人を見たら泥棒と思おう」

であったようだ。

こうして純な若者が段々と他人を愛さない人間に変わって行く様である。

中国政府は市内の至る所に大看板を出して「社会の為に働こう」と云う啓蒙活動をしているが、まるで人間に飛ぶ事を教えている様だと思っている。先ず政府の役人が模範を示すべきだと思っている。

私の家から歩いて20分位の所に海岸がある。

海岸は掃除の区域に入っていないのか、すごく汚かった。もう一面のゴミである。

タクシーで5分も行けば他のきれいな海岸もあったが、毎日の事であるので、ゴミを拾う事にした。

小学校のグランド位の広さがあるので、私や2、3人の学生では埒が開かない。

知り合いのおばさんに話したら直ぐに2-3人来て呉れた。1時間300円払ってである。

一週間もすると、本当にきれいになった。

そこを散歩コースにしている何百人の中国人は、不思議な顔で見ていた。

中には、

「そのゴミで何か儲かるのか?」

と質問した人もいた。

しかしボランティアを理解した人も2、3人はいた様である。

骨を折り、金を出した私は損をしたのであろうか?

私一人の為であっても大変な得をしたのである。

他の海岸へ行く時間とタクシー代を合計すると、ゴミ拾いの方がはるかに安い。

一人の人の他人をも愛する行為は、多くの人を富ませる結果となった。

もし中国人が自分の出来る事で他人の為になる事を行えば、中国は短期間の内に豊かな国に変身すると思っている。

不幸な事に、現在の中国人にこの性質は殆んど無い様である。

人の性質を変える事は人には出来ないという事を、中国共産党は半ば悟ったかと思っている。

中国人の大学教授も同じ事を論文で発表していた。

何千年も続いたであろう中国人の性質も、神は簡単に変える事が出来る。

イエスキリストを信じ、その性質が大変化した人を多数知っている。

中国には現在7千万とも1億ともクリスチャンが存在すると言われているが、その性質がどのように変ったのか私は良くは知らない。

ある牧師の言葉であるが、

「教会員には、ほとんど犯罪が無いでしょう。それに比べ他の人はどうですか?」…と。

中国人が日本人と同じ位に隣人や会社を愛すれば、直ぐにでも豊かな国になりそうな気がするが…。

神様がイエス・キリストを通して中国人の性質を劇的に変えて下されば、中国は世界が目を見張る程の大国になりそうである。


追記

ゴミを拾った海岸はその後、掃除の区域に入ったので非常にきれいになった。

多分、行政もこれはまずい…と思ったのであろうか。

中国人が汚した海岸を、毎日外国人が掃除をしている…この地域では私も有名になった…。