親兄弟の死について | 海南島のヨハネの黙示録

海南島のヨハネの黙示録

キリスト教の元宣教師・海南島のヨハネさんの不思議な体験の数々

私の肉親は、宗教的に見て、一人ずつ全く異なっていたように思われる。


父親は、全く無神論者で、75才で死ぬまで信念を貫いたかに見えたが、晩年、非常に死を恐れていた。


母は、宗教心に厚く、戦前は金光教、戦後は霊友会に熱心であった。


私がイエス・キリストによって救われてから、母と神について話しをした事が何回かあるが、全く平行線であった。


当時、母は村で最初の霊友会の開拓者であったらしく、何十人という信者を作っていた。


霊的にもかなり強く、私が救われて1、2年後、上京して私のアパ-トへ一週間位泊まった事があったが、私は霊的な圧迫を感じて、その間ずっと教会に逃げていた。


牧師さんからは、


「久しぶりでお母さんが息子に逢いに遠い所から上京して来たのだから、一緒にいてやりなさい」


と云って呉れたのだが、母子でありながら、霊的には相容れなかった(感情的には非常に懐かしいのだが)。


私が関西に移った頃、兄が自殺した。


兄は当時、東京に住んでいたが、全く親不孝者で、何か無心をする時以外は、何年も音沙汰無かった。


この兄の葬式の時、心の底から喜びと笑いが込み上げて、皆の手前困った記憶がある。


一日中そうであった。

人間的には全く理由がないのだが、何故そうであったのか、今だに判らない。



母の救いの為、祈っていたのだが、全く受け付ける状況ではなかった。

この母が、ある日、突然記憶を全く喪失し、勿論、霊友会も離れた。

日常的な事は自分で出来るのだが、異常な生活をするので、精神病院に入れられてしまった。

何度か面会に行ったが話しも全く判らず、記憶も回復せず、親兄弟、困っていた。

私は、神様に癒される様、又、どうするつもりですか?と熱心に祈っていた。

ある日、帰りのフェリーの甲板で、夜祈っていると、神様は大声で言われた。

「信ずるならば、神の栄光を見ると言ったではないか!」

これは聖書の一句ではあるが、私はそれ迄、神様から直接聞いた事はなかった。

それなのに、神様は叱責する様に云われた。

これを聞いて、私は母に何か奇蹟が起きる事を信じた。

しかし、数か月後、母は死んだ。

霊友会の人々が大勢で葬式をして呉れたが、その時、死んだ母には何の霊も感じられなかったので、一体どこに行ったのかと、不思議に思った。

葬式が終わって四日目、私は大阪へ帰って来た。

早朝に家に着いたので、仮眠をし、一寸目を覚まして二回目に寝ようとした時、声が聞こえた。

「○○○さん」(私の名前)

まさしく母の声であった。

はっ!とした時、強力な悪霊が来て私を金縛りに掛けた(目は開いたまま)。

次に、母は物凄い語気で私に云った。

「あんた!知ってたんね!」

私が見ていると、真っ暗な所に檻があり、丁度、サメよけの為、水中に吊るされた檻の様であった。

その中に母がいた。

よく見ると、その檻は悪い事をする霊を入れる為のものであり(動物の霊?)、人間を入れる為の物ではなかった。

しかし、母はその悪い霊に結びついて離れようとしなかった為、やむを得ず入れられているようであった。

そこで苦しみもがき、歯噛みして、

「あんたも、ここへ来なさい」

と言っている様であった。

私は心で母に物凄く反論した。

「だから、あれ程言ったではないか」(イエス・キリストの救いについて)

私は金縛りにあっていたので息が苦しくなり、天井はぐるぐる廻り出すし、あの優しい母が、苦しみのあまり私を殺して、地獄へ連れて行こうとするし、それは大変な親子げんかであった。

暫くして金縛りは解けたが、死んだ人と大喧嘩したのは、まあ、私くらいではないかと思う。

葬式の一週間か十日後に、霊友会の人々が大勢集まって法事の様な事をし、私は遺族代表で挨拶する事になったので、次の様に挨拶した。

「私は先日、死んだ母に逢ったが、その憑いていた霊と共に地獄へ落ちていった。あなた方が信仰している霊は動物の霊であって、あなた方も又、地獄へ行きますよ」

法事の席は全くしらけ、親戚はびっくりするのみであった。

母が死んで30日か40日たった頃、不思議な夢を見た。

早朝であったが、朝早く母が乞食の様な恰好で大阪の私の家へ足を引きずる様にしてたどり着いた。

私はびっくりして、家内に大声で云った。

「おふくろが帰って来たで!」

そうすると家内は、

「そんな馬鹿な。私は火葬場でお骨を拾ったのに」

夢はそこで終わった。

この母がもう一度、私に現れた事がある。

その数年後、父が死んだ時、私に電話が掛かってきたが何の急用な電話だろうと夜道を走っていたら、母は私に云った。

「○○○さん…お父さんが…」

これだけであった。

これは地獄に居る者の声ではなかった。



追記

数年後、前記の母にもう一度逢った。

朝、若い娘さんのような人の声で、

「もう起きたらどう」

というのを聞いて目が覚めた。

その時、その人が母である事がすぐに判った。



母が死んで2、3年後、父も病気になり、田舎の病院に入院した。

姉と妹が四国に住んでいたので、そちらの病院に転院して、しばらくたった頃、病院より呼ばれて、父が胃ガンの末期である事を知らされた。

かなり前から胃が悪く、食事もあまり進まなかったので、その時の父の状態を見ても私達兄弟は信じられない思いであった。

医者は曰く、

「胃に大きいガン二つと小さいガン二つがあるが、老体でもあるし、心臓も悪いので、手術は出来ない。結局は餓死する様になるだろう。2、3ヵ月でしょう…」

と云う事であった。

私達兄弟は半ば信じなかったが、医者の云った通り、暫くすると食事は全く受け付けなくなった。

水を飲むのさえ、嘔吐する様になり、私達は事の重大さに気がついた。

私としては、祈るより他に方法はなく、断食祈祷する事にした。

私は、神に祈って云った。

「父親がガンで死ななければ、ならないのなら、私も同様にして下さい。父親が食事が通らないなら、私も同様にして下さい」

悲壮な決意で祈り始めたのだが、1、2時間もしない内、非常な平安で満たされた。

次の日、妹から電話があり、不思議な事に、お父さんが何でも食べる様になり、

「いいかげんにやめておき!」

と云う位食べている…。

私は神様に感謝し、結局、断食祈祷は丸一日位でやめた。

その後レントゲンを取ったが、父親のガンは無くなってはいなかったが、症状は全く停止して、ガンになる前と同じになり、食事も普通に取れる様になった。

この父親も何年か後に死んだが、病名は老衰であった。

父親の入院中、近くの教会に何度も訪問して頂き、私もイエス・キリストを信じる様、度々話をし、祈りの言葉を大きく紙に書いて、読み祈る様に度々勧めたが、最後迄に信じたかどうかは判らない。

しかし教会で葬儀は行った。

父の死後、しばらくして、田舎に墓を作る事になり、多分、村で初めて仏教式でない墓を作った。

墓が建った後、初めて田舎へ帰った次の朝、夢を見た。

私の兄弟の一人が、

「水を掛けてくれ、水を掛けてくれ」

と私に言った。

これは何の事だろうと、私は考えたが、どうも、

「洗礼を授けて呉れ!」

と云っているのに違いないと判断し、朝バケツを持って墓に行き、父と子と聖霊の名によって死んだ家族全員に洗礼を授けた(墓の上から水を掛けた)。

これ迄に起きた私の家族に対する色々な不思議は、それぞれの断片的な出来事であるが、つなぎ合わせて見ると、何か神様の計画であった様な気がする。


【管理人のコメント】
最後の方の文章を読んで、新約聖書の以下の聖句を思い出しました。解釈は色々だと思いますが、一応載せておきます。

そうでないとすれば、死者のためにバプテスマを受ける人々は、なぜそれをするのだろうか。

もし死者が全くよみがえらないとすれば、なぜ人々が死者のためにバプテスマを受けるのか。

(コリント人への第一の手紙15:29)


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