称賛に用心する | 海南島のヨハネの黙示録

海南島のヨハネの黙示録

キリスト教の元宣教師・海南島のヨハネさんの不思議な体験の数々

2020年 8月28日

地球の衛星写真を眺めていて感慨にふける。

今日も1時半に目が覚めて、寝たのは5時頃。

深夜にテレビはイタリアの遺跡を放送していた。

ローマでは、2千年前は新しい遺跡のようである。

教会の建物や彫刻を映していたが、私が見た幻と同じものが幾つもあった。

千年以上も前に天国や神の国を見た人があったようだ。

私は40年前から天地創造の神との会話を本職にしているが、もっと神様に近い人はいるようである。

おそらくは、誰からも相手にされないで気狂い扱いではないだろうか…。

大勢の人に認められたら、生きていけないであろう。

無視されるのが、神様の知恵であろう。

昔、イスラエルに行った時、ガリラヤ湖をぜひ歩きたいと計画した。

当日、神様は、

「しかし、あなたは血みどろになって帰ってくるであろう」

と言われて反対された。

大きな奇跡に対して、人々に揉みくちゃにされる。

聖書にも書いてある。

パンの奇跡の後、民衆はイエスを王様にしようとした。

彼は山に逃れたと書いてある。

−−−−−−−−−−−−−−−−−−
【ヨハネの福音書 第6章】

その後、イエスはガリラヤの湖、すなわち、テベリヤの湖の向こう岸へ行かれた。

大ぜいの人の群れがイエスにつき従っていた。

それはイエスが病人たちになさっていたしるしを見たからである。

イエスは山に登り、弟子たちとともにそこにすわられた。

さて、ユダヤ人の祭りである過越が間近になっていた。

イエスは目を上げて、大ぜいの人の群れがご自分のほうに来るのを見て、ピリポに言われた。

「どこからパンを買って来て、この人々に食べさせようか。」

もっとも、イエスは、ピリポをためしてこう言われたのであった。

イエスは、ご自分では、しようとしていることを知っておられたからである。

ピリポはイエスに答えた。

「めいめいが少しずつ取るにしても、二百デナリのパンでは足りません。」

弟子のひとりシモン・ペテロの兄弟アンデレがイエスに言った。

「ここに少年が大麦のパンを五つと小さい魚を二匹持っています。しかし、こんなに大ぜいの人々では、それが何になりましょう。」

イエスは言われた。

「人々をすわらせなさい。」

その場所には草が多かった。

そこで男たちはすわった。

その数はおよそ五千人であった。

そこで、イエスはパンを取り、感謝をささげてから、すわっている人々に分けてやられた。

また、小さい魚も同じようにして、彼らにほしいだけ分けられた。

そして、彼らが十分食べたとき、弟子たちに言われた。

「余ったパン切れを、一つもむだに捨てないように集めなさい。」

彼らは集めてみた。

すると、大麦のパン五つから出て来たパン切れを、人々が食べたうえ、なお余ったもので十二のかごがいっぱいになった。

人々は、イエスのなさったしるしを見て、

「まことに、この方こそ、世に来られるはずの預言者だ。」

と言った。

そこで、イエスは、人々が自分を王とするために、むりやりに連れて行こうとしているのを知って、ただひとり、また山に退かれた。

−−−−−−−−−−−−−−−−−−

奇跡を行う人が用心しなくてはならないのは、迫害ではなく称賛である。

褒め言葉は当人を駄目にする。

私は褒められる事もないが…。

イエス様が現れる前にバプテスマのヨハネが来て、イエス様の存在を預言したように、私も叫ばずにはおられない。


関連記事


神の忠告の記事をご紹介頂きました。

オニさんがどこに書いてあるか忘れたと言っておられた聖書の言葉(多分ここだと思うのですが)を貼っておきます。

私たちは何一つこの世に持って来なかったし、また何一つ持って出ることもできません。

衣食があれば、それで満足すべきです。


(テモテへの手紙第一 6章)


-------------------------------------------------
このブログはブログランキングというものに参加しています。下のボタンをそれぞれクリックして頂くと、ランキングが上がります。ランキングが上がるとこのブログの読者も増えると思いますので、どうぞご協力をよろしくお願い致します。


スピリチュアル ブログランキングへ


キリスト教 ブログランキングへ