2020年 8月4日(2)
数日前、入院中であるが、朝方、幻を視た。
あとの感じでは、夢の様である。
聖書で、ペトロが、
「うっとりと夢見ごこちになり、幻をみた」(使徒10:10)
と書いてあるが、それと同じである。
その表現に感心する。
見ていると、老齢の夫人が満面の笑顔で現れた。
誰であるか見覚えはない。
しげしげ見ていたがわからない。
あとで気が付いたが、聞けばよかった。
そばで兵隊らしい、これも中年の男がいた。
戦闘帽を被っていた。
この人も見覚えがない。
彼らは、私に天国の様子を伝える為に特別の時間を与えられ、霊で現れた様である。
私とどんな関係があったのだろうか。
昔から、天国の歓迎の幻はたくさん視た。
最初は、イエス・キリストを信じて救われて、教会の帰りがけである。
もう60年以上前であるが、まだ覚えている。
何億もの人が、雲の帯の様に大歓声で迎えてくれた。
その声は竹筒を耳に当てた時の様である。
その後、奇跡が次々と起こった。
その後、天国の大歓迎は何度も見た。
神様は御自身の思いを私にぶちまけられた。
もう人間に対する態度ではない。
これを証すると多くの聖職者は、何という高慢な人だ、気狂いだと思うであろう。
サタンも同じことを言っていた。
「あなたはそんな柄か。現実を見なさい、現実を。」
私は一体、何者か。
私が聞きたい。
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