質問「イエス様への十字架への感情が伴わない」 | 海南島のヨハネの黙示録

海南島のヨハネの黙示録

キリスト教の元宣教師・海南島のヨハネさんの不思議な体験の数々

2010年 9月

【質問】海南島のヨハネさま

先日は質問に回答してくださってありがとうございました。

また質問をさせてください。

私の中に大きな課題があります。

イエスさまを信じたくて、3年程求道し、最終的に牧師先生との学び会の後、イエスさまを信じて歩んでいくことを決心しました。

受洗して1年半経って、以前よりは信じる気持ちが強まっていますが、イエスさまの十字架への感情が伴ってこないのです。

クリスチャンは、イエス様が罪のために死んでくださったという感謝であふれていると思うのですが、そういう気持ちになれません。

もちろん、日々の感謝ではあふれているのですが。

私は自分の罪のおそろしさを、きちんと分かっていないのかもしれません。

それに、旧約聖書に書かれている出来事に、神さまに疑問を持ってしまうのです。

何で、罪をゆるすのにイエスさまが血を流す必要があったのか、頭でしか理解できていません。

頭も心も信じて、主に従って歩みたいです。

私はこれからどうしたら感情も伴って心から真実だと思えるのでしょうか。

アドバイスをいただきたいです。

また許されるなら神さまに聞いてみてはいただけないでしょうか。


【回答】海南島のヨハネです。

質問、感謝します。

神は頭で理解しても、力は無いですね。

信じて行動して、不思議が起こって、経験して、そして神を知るようになります。

この世の勉強とは、違います。

感情は制御が難しいですね。

誰でも理性とは反対の感情があり、戦いですよ。

でも神に対する感情は受け身で良いでしょう。

幼子の様になれれば最高でしょう。

神様に、

「神を愛する感情を与えて下さい」

と祈ってみてはどうでしょう。

イエス様はあなたをどれだけ愛しているか。

それを知った時には、号泣するくらい驚くでしょう。

どうぞ経験して下さい。


【管理人のコメント】
丁度、サンダー・シングの本を読んでいて、次のような文章がありました。

『われは道なり、真理なり、生命なり』とキリストは言われたが、歩かなければ道は分からず、本気になって追求しなければ真理はつかめず、生きることなくして生命はありえない」



こちらの記事をオニさんにご紹介頂きました。ありがとうございます。

サンダー・シングについては日本のクリスチャンでも知らない人が多いので、オニさんがサンダー・シングを好きと聞いて嬉しく思いました。(管理人)




関連記事



-------------------------------------------------
このブログはブログランキングというものに参加しています。下のボタンをそれぞれクリックして頂くと、ランキングが上がります。ランキングが上がるとこのブログの読者も増えると思いますので、どうぞご協力をよろしくお願い致します。


スピリチュアル ブログランキングへ


キリスト教 ブログランキングへ