恐れと確信 | 海南島のヨハネの黙示録

海南島のヨハネの黙示録

キリスト教の元宣教師・海南島のヨハネさんの不思議な体験の数々

恐れと確信1

大阪市内にJR京橋駅がある。

駅の片方の端は寝屋川に接していて、道路を挟んで川の堤防がある。

その堤防は、道路側からは1メ-トル位の高さであるが、反対側は4、5メ-トルもあり、下は川の水面である。

堤防はコンクリ-トで、上部の幅は50センチ位であった。

ある時、その堤防の横を歩いていて、幼児がその堤防の上で無心に遊んでいるのを見た。

何か玩具を持って遊んでいた様であった。

普通の大人であれば到底出来ない事を、幼児は平気でやっている。

その幼児には、もし反対側へ落ちたら…と云う気は全く無い様である。

私はそれを見て非常に驚いた。

親は知っているのであろうか、と。

しかし私は自分の子供の頃を思い出して、そのままにしておいた。

私の子供の頃は、その何倍にもなる危険な事を平気でやっていた。

3、4才の幼児にとって、50センチの幅の遊び場所は安全な所であって、恐れの心を持っている大人にとっては危険な、恐怖の場所なのである。

私の子供の頃は、落ちれば20メ-トルもある断崖の途中の小道を走り回って、雪の日にはそりで滑って遊んでいたものである。

落ちて死んだ話は無い。

大人は皆な顔をしかめていたが、その人達も子供の頃は同じく遊んでいたのである。

今思うのであるが、危険とは多くの場合 状況ではなく、恐怖心から平常心を失うから危険であって、この幼児の様に恐怖心がなければ、初めから危険は無いのである。



恐れと確信2

かなり前の事であるが、ビルの頂上の梁の上にロ-プを固定する仕事があった。

地上約15メ-トルで梁の幅は丁度50センチであった。

コンクリ-ト製で、揺れたり折れたりする事は無かった。

その梁の上を7、8メ-トル歩けば済む事だが、掴まる物は何も無かった。

専門の職人に頼めば簡単にやって呉れる事であるが、一寸思案していた。

教会の壮年部の集まりの時、この話を持ち出し、もし落ちたら天使が支えて呉れるかどうか、皆に相談した。

数人の人は笑い、何人かは、

「危ない事は止めた方が良い」

と言った。

一人の人は、

「これは神を試みる事であるから、やるべきではない」

と言った。

その時、先の幼児のことを思い出した。

そして前の場所へスケ-ルを持って行って見た。

梁の構造や幅は先の堤防の上部と同じ寸法であった。

もし先の幼児を連れて来たら、何のためらいもなく、その梁の上を渡れたと思う。

遊んでいた堤防の上と同じ作りだから。

恐怖心とは、起こるかも知れない悪い事を想定して逃れようとする心の働きであると思う。

もし私達に信仰があり、悪い事は起こらないとの確信があれば、恐怖心は存在しない。

その後、その仕事は必要がなくなった。


【聖書の言葉】

ある日のこと、イエスは弟子たちといっしょに舟に乗り、

「さあ、湖の向こう岸へ渡ろう」

と言われた。

それで弟子たちは舟を出した。

舟で渡っている間にイエスはぐっすり眠ってしまわれた。

ところが突風が湖に吹きおろして来たので、弟子たちは水をかぶって危険になった。

そこで、彼らは近寄って行ってイエスを起こし、

「先生、先生。私たちはおぼれて死にそうです」

と言った。

イエスは、起き上がって、風と荒波とをしかりつけられた。

すると風も波も治まり、なぎになった。

イエスは彼らに、

「どうしてそんなに恐れるのですか。あなたがたの信仰はどこにあるのですか」

と言われた。

弟子たちは驚き恐れて互いに言った。

「風も水も、お命じになれば従うとは、いったいこの方はどういう方なのだろう。」



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