関西に来てから | 海南島のヨハネの黙示録

海南島のヨハネの黙示録

キリスト教の元宣教師・海南島のヨハネさんの不思議な体験の数々

東京の会社を退職後、神戸へ来てアパ-トを借りた。


結婚をする事になり、5ヵ月後、教会で結婚式を挙げた。


相手の女性について、本当にあまり知らなかった。


しかし私にはそれは大して問題ではなかった。

当時、私は神様からかなり訓練されて、自分の結婚ですら頭で考える事をせず神はどう思うかに関心を持っていた。

神様は何も言われなかったが、もし反対されたら止めざるを得なかったので、牧師さんに云った。

「式の途中でも神様が『止めろ!』と言われたら、止めますので」

牧師さんいわく、

「そんな馬鹿な結婚式の司式は、私はようやらん!」

と、えらく怒られたが、無事結婚式はすんだ。

彼女へのプロポ-ズの言葉はこうであった。

「多分、橋の下に住む事になるだろうが、一緒に住めますか?」

彼女は、「住む」と答えた。

その時、私は失業中で(というより就職のメドが全くなかった)、しかも先の見通しも全くなかったのに、結婚を決意した。

彼女の信仰も大したものであった 。

神戸に来てすぐに、牧師さんに勧められて就職した。通信機の会社で、仕事は面白そうであった。

第一日目、仕事を始めて1、2時間もしない内に聖霊は言われた。

「これはあなたのする仕事ではない」

その会社は就職1日で辞めた。

何をなすべきか毎日祈っておったが、神様からは何の返事もなかった。

失業保険があったので生活には困らなかったが、夫婦共遊びも2、3ヵ月も続くと退屈してしまった。

失業保険の残り期間も少なくなり、段々心細くなって来た。

又、毎日なす事もない家内の顔を見るのも忍びなかった。

結婚後、数カ月は頑張ったが、ついに神様にたてついた。私は神様に言った 。

「私は私でやって行きますから、もうこれ以上、干渉しないで下さい」

こうして、私はついに神様に背いた。

たくさんの会社の就職試験を受けたり、出向いたりしたが、どうしてもうまくいかなかった。

もうどんな会社でも 良いと思っていた時、電気工事の会社へ就職があり、そこに決めた。

そこでは、私が東京におった時の立場と全く反対の立場でかなり苦労した。

そこの社長とも度々口論したので、段々苦しい 仕事へ廻され、最後には大阪近郊の田舎で土方の様な仕事迄させられた 。

泥まみれになり、電柱の穴を掘りながら、私は思った。もし私が聖霊に従わずにいたら、東京の銀座で主任技術者として面白い仕事をしていただろうに、何故今こうして穴堀りなどしているのだろうか?

私には神様の意図が全く理解できなかった(もし明白な神様の用事であれば、私は橋の下でも住む覚悟はしていた)

数年後、私は神様に聞いた。

何故、私をあの様な状態にしたのですか?と。

神様は答えて言われた。

「あれよりも低くしなければ、あなたはあれを選んだだろうか?」

私にはこの言葉は理解できた。

初めの「あれ」とは、その会社でも就職しなければならない状態をさし、あとの「あれ」とは、その会社をさしている事を。

そしてその会社に居る間に、私が東京で仕事の立場として、どれ程高慢になっていたかを…。

一つ一つの仕事が、まるで昔の仇を取られたと言う感じであった。

結局、私は6ヵ月でその会社を辞めた。

この6ヵ月間は、涙とため息と、後悔と苦労とをミックスした様な期間であった 。

しかしこの時、結婚していたので、家へ帰れば憩いの場があったし、慰めもあった。

多分、一人では耐えられなかったと思う。

私は神様から裏切られた様に感じ、心は段々と神様から離れ、教会へは集会に出席するだけであった。


生活上やむを得ず、電気部品の製造を始めた。

6畳のアパ-トで電話もなく、幸い電鉄会社へ売り込みに成功し、なんとか生活出来る様になった。

その内、段々と仕事も増え、2年後には大阪の文化住宅(2間位の長屋)へ引っ越した。

その間、神様と私との関係はいつどこで、どう修復したか、どうしても思い出せない。

新しい仕事を始めた時には、祈らざるを得なかった。

しかし霊的状態は、東京の時に比べれば、ぐっと低い状態のままであった。

2、3年で家を建てるだけの資金が出来たが、神様は許されなかった(後記) 。

結局、6年位で大阪市の外れ位の処へ家を建てた。

仕事も順調で、子供も2人でき、かなりのんびり暮らす事が出来た。

子供が幼稚園へ入る迄は、家族全員で度々旅行に出掛けたりした。

関西に移り住んで現在まで、25年近くなるが、神様は私を祝福のない状態まで引き下げて訓練された。

しかし本当に苦労したのは一年位で、数年後には、東京にいた時よりずっと気楽な生活をしていた。

ある時、神様は言われた。

「あなたは失った物の10倍を得たではないか」

私は知っている。

神様は自分の子を引き上げる為、苦しい処を通らせて訓練される事を…。

この20年間、私の信仰も上がったり下がったり、時たま聖霊に満たされたりであるが、東京にいた時に比べれば、かなり低い。

只、幾つかの賜物は失ったかに見えるが、幾つかはまだ残っている。

最近、歳を感じ、生きている内に神様に対してするべき事を早く片付けたいと、しきりに思う様になった。


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