以前の記事は以下を参照してください。
『ゴジラ -1.0』感想(ネタバレなし) | 怪獣玩具に魅せられて (ameblo.jp)
『ゴジラ ー1.0』踏み込み感想(ネタバレ有)① | 怪獣玩具に魅せられて (ameblo.jp)
『ゴジラ -1.0』ネタバレ含感想 良かったところ2
【絵面で見せる容赦のなさ】
ゴジラが銀座を蹂躙するシーンは、後半になればなるほど圧巻、というか凄惨で、ダメ押しとばかりに熱線を吐いてキノコ雲が上がる。ゴジラが原水爆の堕仔であることを示す強烈なシーンです。
個人的には、キノコ雲を見上げながらゴジラが咆哮するところが本作の白眉中の白眉で、これ以上のものはないと思っていました。が、この後に加えられた1要素に、戦慄しながらも不思議な落涙を覚えてしまったわけなんです。
流れ的には、ゴジラが銀座を蹂躙→熱線を吐く前に背びれがゴキゴキ→典子が敷島を突き飛ばす→熱線放射→気が付く敷島→跡形もなくなった銀座の街、遠くにはキノコ雲→咆哮するゴジラ。
この後で、典子を失った敷島が絶叫するのは予告編でもあったシーンなので大体予想が付きました。ここでの神木隆之介さんの絶叫演技もすさまじかったですね。顔が歪んで、叫んでいるのか錯乱しているのか分からない顔……嘘くさくない悲鳴だったと思います。
が、ここで胸を打ったのは敷島の絶叫ではなく、叫び続ける彼に追い打ちをかけるかの如く――
黒い雨が降る。
この容赦のなさに、不思議な涙を感じないではいられませんでした。
井伏鱒二の『黒い雨』で知られた、原爆直後に降るという放射能を含んだ雨。それが敷島に容赦なく降り注ぐ――。
この瞬間に、ああもうこの物語は悲劇でしか終われない、そう思ったんです。
映画を観ていて、キャラクターの「取り返しのつかない瞬間」を観ることがあります。たとえば体のどこかを欠損するとか、どう考えても再起不能の傷を負うとか――。たとえ物語内での宿願なり目的なりを果たしたとしても、その人物の命はもはや長くはないと悟ってしまう瞬間。この『ゴジラ -1.0』の黒い雨も、僕にとってはそういう類のものでした。
実際は、この黒い雨はその後全く言及されない。それっぽい舞台装置的に入れ込んだだけ、という見方もできるかもしれない。もしそうだとしたら、黒い雨の扱いはあまりに浅薄です。
ただこれは僕が穿ち過ぎなのかもしれませんが、あそこで敷島を黒い雨に打たせることで、僕はもう敷島が心身ともに本当の意味で救われる展開を完全放棄し、最後まで悲劇のままで終わらせる覚悟みたいなものを感じたんです。敷島は特攻から逃げ、ゴジラから逃げ、戦争の亡霊から逃げている。そんな自分には生きる資格がないと思っていながら、それでも死なず、ゴジラへの特攻を覚悟して以降も、やはり生きていたいという気持ちを残している。そんな彼が黒い雨に打たれるという、取り返しのつかない展開――これにより、たとえゴジラと闘って勝ったとしても、ゴジラとの死闘の果てに辛くも生き残ったとしても、敷島の体も、長くは持たないんじゃないか――という、非常に苦い予兆として黒い雨のシーンが機能しているんじゃないかと思ったんですね。
素晴らしいのは、黒い雨という容赦ない演出だけで、ラストに長く尾を引く不吉な予兆を仕立て上げたことです。ここにはセリフによる説明は微塵もないし、何なら敷島が黒い雨のために原爆症になるという確定した描写もありません。が、そこまでを見せず語らず、しかしこの話は、最終的にゴジラを攻略できたとしても五体無事に済む物ではないんだという痛烈な印象を植え付けるものとして、確かな力を持っていると思います。まあ欲を言えば、黒い雨の影響をほんの僅かでも敷島が感じるシーンが入っていれば、より暗黒な結末になった上、今回のゴジラの恐ろしさを引き立てる要素にもなったとは思います。何にしても、何でもかんでも語りたがりだった山崎監督の作家性からは考えられない、不吉さのこもった演出で、ここにも感心させられてしまいました。
【エンターテイメント性と音楽】
1954年版のゴジラとか、戦後間もない時代設定のゴジラというと、どうしても悲劇の方がフィーチャーされがちですが、一方で1954年版は都市破壊のカタルシスや、防衛隊との戦闘など、エンタメに富む部分は確かにありました。そこは『シン・ゴジラ』でも継承されていて、最終のシンゴジラ凍結作戦は、非常に血肉沸き踊る展開になっている。今回の『ゴジラー1.0』でも、ゴジラとの最終決戦はエンタメ方向に振り切っていて、楽しめました。
クライマックスが海上戦であるというのは、1954年版の踏襲ですが、オキシジェン・デストロイヤーで片を付けるだけだった54年版とは違って、ここに尺が結構取られている。ここをどう見るかにも賛否が分かれそうですが、個人的には、ここの作戦にこそ、今回のゴジラの「新し所」があると思っていたので、基本的には楽しみました。
もちろん、最大の見どころは銀座破壊のシーンです。でも、それは54年版でもやっていたことで、それを最新のCG技術で作り直したに過ぎない。本作が最後まで伏せていたのは、「いかにしてゴジラを倒すか」その方法です。オキシジェン・デストロイヤーに頼らない、ゴジラの倒し方――今回のそれが、納得できるかどうかは……まあ、僕としては、しっくりは来ていないんですが、それでも頑張って考えた感がある。そして、芹沢博士一人に全てが仮託され、芹沢博士の犠牲を伴う悲劇で終わった54年版に比べても、アクション的、スペクタクル的な見せ場――もっと言うと、エンタメ方向での見せ場として展開する方向性はアリだと思えたし、中盤まではめっちゃ楽しんで観れました。
その時に肝心なのが、音楽ですね。今回は、キンゴジ・モスゴジverのゴジラのテーマが使われている。人によっては、ライトモチーフの使い方的には問題視する声もあるようですが、あくまでも個人的には、あのお馴染みのテーマの後にくる旋律が思いの他、緊迫感というか鬼気迫る感というか、スリルを煽り立てるのに効果的に感じました。あの部分が来るのって確か、ゴジラの体にケーブルを巻き付けるところだったと思うのだけれど、二隻の船がゴジラの周りを、じれったいくらいにゆっくり進む、そのもどかしさ。そこでかかる、あの音楽。けっこうハマっていたように感じました。
海上戦はCG的にはかなりのチャレンジなんですよね。水の表現って、CGにするのがすごく難しいらしい。でも、嘘くささが全然ない。『ゴジラ -1.0』ではゴジラとの海上戦が2回あったけど、そのどちらもが完全に心奪われる見せ場になっていて、これは本当に見事だと思いました。『シン仮面ライダー』は勿論のこと、『シンウルトラマン』『シンゴジラ』でさえ感じた、いかにもCGって感じの画が今回全然目立たなくて、日本映画だって、ちゃんとやればやれるんだっていう感じがして、何か嬉しかったですね。
銀座蹂躙のシーンも、凄惨ではあるけれどやはり破壊によるカタルシスがありました。特に今回は、ゴジラが近いところにいて、飛び散る瓦礫も特別大きいように感じる。これはもうどうにもならんだろうというところまでの破壊を見せてくれるので、そこはやっぱり良かったですね。