昨日11月3日(金)、今年一番待っていた、と言っても過言ではない『ゴジラ -1.0』の公開を迎えました。
もちろん公開初日に駆け付けて、ネタバレなしの鑑賞直後ざっくり感想を書いていたんですが……ひょんなことから消してしまいまして、「もういいよ!」ということで一日寝かせて、鑑賞後の興奮から冷めきった頭で、ややネタバレ含む全体的な感想を書いていこうと思った次第です。
以前、『シン・ウルトラマン』について複数に分けて感想を書いた記憶がありますが、後半は、あれくらいのネタバレ量になるかなと思いますので、未見の方はくれぐれもご注意ください。
『ゴジラ -1.0』ざっくり感想(ネタバレなし)
【鑑賞前の期待と不安について】
今回も、前情報はあまり多くなかったですね。個人的にも鑑賞まではあんまり事前知識を入れないでおこうと思っていたので、予告編と「おもちゃバレ」で分かる程度の情報を以て鑑賞に挑みました。
予告編が初公開された時は、さすがに「おお~っ!」って思いました。どうやっても立ち直れんだろうっていうくらい破壊しつくされた銀座の風景や、逃げ惑う人の後から迫りくる巨大な足、あの鳴き声と共に電車に食らいつく、ものすっごく怖い目をしたゴジラ。一つ一つのシーンが痛々しくも迫真的で、1分ほどしかない特報に惹きつけられました。
ただ、期待と同時に不安も大きくて――監督が山崎貴監督だというところでしたね。
個人的には、この監督の作品であんまり感心したものってなくて……『ALWAYS』も『STAND BY MEドラえもん』も肌に合わんというか。『SPACE BATTLE SHIP 大和』とか『ドラゴンクエスト YOUR STORY』のポンコツっぷりはもう酷いもんだし、唯一劇場で観た『海賊と呼ばれた男』も途中まではまだ見れたけど、ラストとか……ねえ。個人的には、この監督のトゥーマッチな人情ドラマが現れだすと、途端に居心地が悪くなる感じがして、まあ――「苦手」な監督だったわけです。その山崎監督が、ゴジラ――ねえ。アトラクション「ゴジラ ザライド」とか『ALWAYS』の二作目とかで、ゴジラを手掛けてはいるけれど、それが2時間の映画になって、どう物語を描くのか。VFXは白組の凄いのが出てくるのは分かったけれど、お話の部分で、ゴジラを出汁にした「苦手」な人間ドラマになるんじゃないか――と、そんな不安は公開まで拭えなかったですね。
で。鑑賞後なんですが。
買ってきたパンフレットを前に、5分ほど土下座しました。
山崎監督、生意気言ってすみませんでした。と。
思ってた以上に、というか、予想をはるかに超えて、めちゃくちゃゴジラでした。
そしてゴジラ映画というだけでなく、日本映画の底力を見せられたような、凄まじい闘志を感じられる映画でした。
1954年版の『ゴジラ』以来の傑作――とかいう評価は、もはや野暮ですよね。70周年に至るまでに様々な映画が作られ、様々なゴジラが作られた。1954年をマスターピースとするにしても、それを頂点としての作品の順位付けはもはや野暮でしょう。特に『シン・ゴジラ』が、ゴジラ映画の中でも新たな境地を切り開いてくれたことが記憶に新しい現行、ゴジラ映画の新作となると、「今回はどんなゴジラ映画になるんだろう」というところがまず、最大の関心となります。
この『ゴジラー1.0』は、『シン・ゴジラ』とはまた違った枠でゴジラを語る意欲作であり、歴史残る大傑作――とは言えないかもしれないけれど、前述の通り視覚表現的には日本の映像技術の底力を見せてくれる力作であり、ストーリー的にも、非常に見ごたえのある快作となっていました。誕生から70周年を経た現在に作られるべきゴジラ映画であり、そうした作品の公開、登場に生き合わせた自分の人生を、幸運に思える作品だと思います。
絶対、観に行くべきです。これまでの評価や先入観を全て取り払って、山崎監督をはじめとする製作陣、俳優陣の皆様方に最大の感謝を捧げながら、2時間ちょっと、劇場で堪能するに足る作品であることには違いありません。
『ゴジラ -1.0』の個人的な見どころ
【見どころ① ゴジラのデザインと怖さ】
予告編でゴジラのデザインを見た瞬間に、「ライド版のゴジラだよね?」と思った人は数知れず。パンフを見ると、やっぱりザ・ライド版のゴジラが基本にありました。しかし、アトラクションでは敵怪獣としてギドラが登場するわけで、ゴジラは破壊王ではあるけれど、最終的にはより強大な脅威であるギドラと闘うという善玉ポジを与えられている。今回は1954年やシン・ゴジラ同様、ゴジラ単体が最大の脅威として登場してくるわけで、善玉や悪玉などというポジションがそもそもない。
『ゴジラー1.0』を観た後で、「ゴジラ・ザライド」の、一応はギドラの猛威から我々を守ってくれるゴジラ(姿は―1.0と酷似)を、今までと同じような視点で観ることができるだろうか――っていうくらい、今回のゴジラは「怖い」。これが最大の見どころの一つになっていると思います。
1954年版の『ゴジラ』は、日本に「怪獣映画」というジャンルが根付く前の、むしろその先駆的作品であり、怪獣映画という認識の前に、純然たる恐怖映画として作られている部分があります。その特徴の一つが、「ゴジラの足元で死んでいく人々の様子を克明に映す」ことでした。それは戦争の記憶や傷跡が生々しい当時代だからこそ描けたリアルであり、1954年版ゴジラが持つ反戦のメッセージと深く結びついていました。それ以降、ゴジラが対決モノやアイドルものになったことを受けて、ゴジラによる被害は極端に希釈されて描かれることになり、稀に『対ヘドラ』『大怪獣総攻撃』のような、1954年に原点回帰する作風の中で人が死ぬシーンが露骨に描かれると、そこが見どころとなって再評価されたり、ヘドラの場合はカルト化への道筋となると、そういうものになっていましたね。
今となっては「怖いゴジラ」の代表である『シン・ゴジラ』においては、実は上記のような「ゴジラの足元で死んでいく人々」の描写は極端に少ない。もちろん東京の火の海にし、瓦礫の山に変え、たくさんの犠牲者は出ているけれども、「出た」という結果の中でしか語られない(内閣総辞職ビームは除く)。あの作品ではゴジラが戦争の記憶よいうよりも、東日本大震災の記憶と結びついた「災害」的なものにまで拡大して捉えられているので、そういう意味では1954年のゴジラと大きな違いがあります。
今回の『ゴジラ -1・0』は、今まで以上にゴジラによる「殺害」が克明に描かれています。特に序盤、大戸島に出現した時の描写は、これまでにないくらい直接的。ゴジラ、というかハリウッドのモンスター映画っぽい。ここをどう捉えるかには賛否両論であるでしょうが、その後の海上での攻防や銀座襲撃はまがうことなき「ゴジラ被害」の描写であり、その逐一が、本当に、容赦がない。破壊、破壊、破壊の限りを尽くします。何をどうやっても叶うはずがない存在、ということが、海上での重巡洋艦高尾との戦いでも分かるし、銀座進行のシーンは全体の尺の中では思ったよりも長くないのだけれど、その中で、もうお腹いっぱいですと言うくらい、えげつないことが連続して起こる。めちゃめちゃ怖い。そして、痛々しい。
その怖さ、容赦のなさ、えげつなさを際立たせるものが、ゴジラのデザインです。『シン・ゴジラ』のシンゴジは、目に感情を投影させないことで、意思疎通できない存在が街を蹂躙する恐怖を描いていました。それに比べると今回のゴジラは、その瞳に明確な「殺意」がある。そして、野村萬斎さんの所作そのままに神々しかったシンゴジに比べると動きはより「怪獣」っぽく、神の化身とうよりは本当に、強大すぎる「怪獣」なんです。これは、どっちが偉いとかいう話じゃなくて、『ゴジラ -1.0』という作品の世界の中でゴジラをどう描くかという根本にかかわってくる話ですが――
これがね、凄いんですよ。
ゴジラが登場するシーンの全てが、とかく悲惨。
正体も何も分からない。ただ唯一、本気で殺りに来ていることだけは分かる。そういうやつを相手にしている恐怖。
ここまで濃厚に「死」への恐怖を感じたゴジラ映画は、他になかったかもしれない。臨場感という意味では『シンゴジラ』さえ超えて――本当に、怖かったです。そしてこの「怖さ」が、後述するある展開と非常に手堅くつながっているというのも見事だと思いました。
【見どころ② 作家性】
最大の不安要素であった監督の作家性ですが、確かにそれが気になるところはいくつかありました。ただそれについては後述するとして、山崎監督ならではの良さが光っていたのも事実だと思います。
まず、『永遠の0』『AIWAYS』『海賊と呼ばれた男』『アルキメデスの大戦』など一連の作品群の中で培った、「昭和感」の演出、これなくしては今回の『ゴジラ -1.0』は語れなかったと思います。特にゴジラが銀座を蹂躙するシーンは、1954年版のゴジラとは違って日中なんですよね。その陽光の当たり方などが、実に山崎監督による昭和テイスト作品っぽいんですが、今回はその淡い陽光を受けながら、その昭和の街が粉々に破壊しつくされる。
その衝撃ったらないですよ。
そして、ここの映像表現が、本当に凄い。日本映画のVFXで、ここまでできるんだ! って。
ここは山崎監督の得意とするビジュアルや、これまで培ってきた演出が非常に効果的に機能している部分だと思います。
ストーリー的にも、監督の作家性の貢献は大きい。終戦間際から戦後間もなくという、山崎監督がこれまでに世に送り出してきた作品と近い舞台となっていますが、1954年版のゴジラと同じくらいを舞台にしていながら、本多猪四郎監督とは似て非なる物語や世界となっている。これも、どっちがより優れているとかではなくて、山崎監督のゴジラ映画なんだ、という風に考えれば、非常に納得度かつ満足度は高い。ストーリー的には、これが、それこそどう抗いてもハッピー・エンドにはなり得ない作品であるというのも、大きかったかもしれない。山崎監督作品の中でも『アルキメデスの大戦』は評価が高い方ですが、あれって「バッドエンド」な話なんですよね。今回は、戦後復興しかけていた日本をゴジラが蹂躙し、破壊しつくすという、とかく犠牲の多い、手放しのハッピーエンドなんて絶対にありえない作品であって、山崎監督は案外、そういった作風の方が、持ち前の居心地悪い人情テイストを入れにくいから、かえって物語がタイトに、リアルに進んでいくという利点があるんじゃないかなって、思ってしまいました。物語や舞台については、もう少し踏み込んだ内容を書きたいと思います。
【見どころ③ 音楽と音】
今回、THX認定で観ましたが、機会があればぜひIMAXでも観たい。というくらい、今回は音が重要です。
まず、ゴジラの鳴き声ですね。これがスクリーンを震わせる様だけで感動するものがある。また、今回は『シン・ゴジラ』以上にゴジラ足元での破壊シーンが多く、そこを怖くしているのは音ですね。吹き飛ばされる瓦礫と一緒に、破壊「音」に頭をぶん殴られるような衝撃。これも『永遠の0』はじめとして、戦争映画をいくつか撮って来た山崎監督の手腕が、今回は良い方向に働いたのかも知れない。
音楽の使い方、特に伊福部昭氏の名曲の使い方も、個人的には『シン・ゴジラ』より上手いと思った。鳥肌が立ったのは、銀座にゴジラが上陸して、その姿が初めて見えるシーンで流れる、あの曲。あそこは本当に、お世辞抜きに感動しました。とてつもなく高揚し、同時にとてつもなく怖い……。あのシーンをもう一度見に行くためだけでも、劇場に足を運ぶ価値はあると思います。
ゴジラに対して、いよいよ人間側が「抗う」シーンで使われる、お馴染みのあの曲も良かったですね。いわゆる「ゴジラ・ゴジラ・ゴジラがやって来た」って歌詞が付けられるところだけじゃなくて、その後の、「♪トゥートゥルトゥル トゥートゥルトゥル トゥールールー♬」っていうところが、ゴジラに対する人間側の作戦実行の時間的なもどかしさを引き立てていて、ゴジラお馴染みの曲の使い方にも、確かな戦略を感じて頼もしく思いました。←伝わるかな??
ということで、まずはゴジラ・作家性・音楽という、あんまりネタバレに抵触しない範囲での見どころポイントを書きました。今後は、物語を中心に、ネタバレ部分も含めながら、まずは良かったところと、もう少しどうにかならなかったか? と思ったところとを書きます。
鑑賞から一日経って、かなり冷静な頭で振り返っている心算ですが、それでも「おもしろかった」と思っているんだから、今回の『ゴジラ -1.0』は、やっぱり相当に凄いものを観ることができたんだととても嬉しいです。ちょっとこれは、後から配信やBlu-rayで観ても伝わる類の衝撃ではないかもしれない。あと何回か、劇場に足を運んで、巨大なスクリーンと凄まじい音響の中で、ゴジラに本気で殺られそうになる体験を味わいたいと思います。