普通だったら、『思いを人に伝えるため』なんでしょうが。
最近ひらめいた事があります。
だって、動物達、魚達は、何らかの音声や感情は発するにせよ、喋らない。基本的には黙ってる。
私達、人間だって動物。
じゃあ何で言語はあるのか。発達したのか。
あのさ、『人に思いを伝えるため』にしたって、自分で自分の体の思いや望みを知ってないと、正確に伝えようがないでしょ。
そう、つまり『自分の体(物質)の望みを自分の心(精神)で知るため(伝えるため)』に言語は発達したんだと思うんだよ。びっくり!他者との対話は必要ないのか?とかそんな話じゃ、ないよ。他者との対話の前に自分の体(物質)と心(精神)との間 で、さんざん対話して思いを通わせて望みを伝えてないとダメなんだよ。
動物だから基本黙ってるよ。それだから心の愛を自分の体に向けて、自分の体に話しかけて、望みを聞き出さないといけないんだよ。ここの思いをどれだけ正確に言語化できるかそのために言語って発達したと思うんだよ。自分の思い=自分の体の望みを正確に精密に知るため。
=自分から見える世界の解像度を上げるため。
=自分の思いを的確に理解するため。
つまり言語能力や読解力、記述(自由作文)力っていうのは全て自分の望み、思い、体の声を聞き取り読み取りくみ取り理解し言語化し表現し発信しまず自分の心に伝えるためにある。
それで初めて、自分という人間の望み、思いがわかり、自分でわかっててやっと、伝えるなら他の人にも伝えられるんだよ。 そしてその思い(自分の体の声)がわかっていればわかってるほど、解像度が上がっているほど、この世界や外の誰かの思いや望みも理解はしやすくなる。自分の体の望みを叶えるのは本人の心だけど、その自由を理解して尊重しやすくなるという事ね。
これ、世紀の大発見と思うんだけど。
言語は、自分の体の思いを正確に心に伝える、自分の体の望みを心で正確に適切に知るためにある。これってすごい事じゃない?とことん、正確に知りたい、どこまでも自分の思いを正確に厳密に解析して寸分狂わず言語化して知っていきたいよね!