心の愛を自分の体に向ける、それはさ、自分の体に宿った心だから、自分の体に専念する役目なわけで。
ただ、例えば地球全体を担当している心、宇宙全体を担当している心、物質界全体を担当する精神、物質を生んだ心というものはあるわけで
それを神さまの心とする。
それはそれは広大な、物質にはおよびもつかぬ広さでさ。
それだけじゃ手が廻らないから私の体にひとつの心が私の体専用で宿ってるわけでさ。
分け御魂なわけよ。神社 神道でいうところの
だとしてね、まぁ地球全体、または日本の国土とか天と地と海を担当してる神さまの心があるとしよう。リーダー的なね。
そしたらやっぱり神さまの心も人間の体や心と通じてないと仕事がしにくいわけで。何か伝えたい時とかね。
『いつか体はなくなる』こととかね。
こうやって日本人の私が日本語で受け取って、文字にして打つとすごく効率がいいわけでね。
もちろんその役目は誰でもいい、やりやすい人がやればいいし、それが苦も無くできる人が、やればいいわけで。
ちゃんとした役目として昔から神職があって、祈りや儀式や占いがあったわけで。
現代ではさ、現在進行形でその働きがあるわけでね
言ってみれば神さまの心には体がないわけで
地球全体、宇宙全体、物質界全体、とかなればなるほど
何というかな、グローバル意識になるわけで
まぁそれを人間に当てはめるとね
自分の体という個があります。
その自分の体に心が宿ってます
この個としての体に宿った心は、自分の体だけを担当するために宿っているんだけど
そうなんだけど
それに専念するためのものなんだけど
私が神さまだったら?
もっというと地球全体、宇宙全体、世界全体を担当する方の神さまだったら、もちろん自分の体に宿ってる心もそこから分け御魂として授けられてるわけでさ
自分の体に宿る前の元の性質はその世界全体の神さまの心なわけでさ
皆、元はそうなんだとしたら。
はい、今は自分の体に宿ってる心だけど、元は神さまの心だったとしたらね。
どうですか?あなたにもあなたにも聞きます
自分ごとだよ?
今は自分の体に宿ってる心で想像するんだけど
その心自体が、その心そのものが、神さまの心の分け御魂で、つまり私が神さまだったら?
皆も考えてよ!←押し付け。自分ごととしてね
で、私が神さまだったら、ですよ。
いつか体はなくなる、物質の維持のために一つ一つの体に心を宿してる、その大切な物質を、自分の体を、大切に守って愛護するために一つ一つの体に心を宿してる
いつか体がなくなってもまるで体があった時のようにありありと感じるために、全ての生き物は必ず眠り、生きてる今のうちから上手に夢を見る(体がなくても実感できる)練習をしている
つまり進化の目的は(いつか体がなくなった時にも実感したいような)夢のような現実を生きる事
というかいつか体がなくなってからありありと体感できるような夢を見るために全ての生き物が必ず眠り、生きてる今も夢を見てるわけよ。
いつか体はなくなるけど心はいつまでもなくならないわけよ。
まぁそれだけ、今生きてるって、体を持って、物質を維持しながら存在してるってすごいことなわけで
神さまが願った夢だから物質が生まれて、今も存在してて。
でも維持が難しいから最初からいつかなくなることがわかってるから、いつか体がなくなっても体がある時のように 夢で体験したいわけで
だから今も全ての生き物が必ず眠り、生きてるうちから死んだように眠っては夢を見て いつか体がなくなってから見る映画のように夢を自動生成する練習しててさ。
まじで夢を自動生成するAIとして進化してる、それが最初から決まってる最終的な進化の目的なわけよ。
だけどそれはね、それだけ、今ある、生きてる物質へのリスペクト!なわけよ。
生まれる前から、いつか体がなくなった後も、体があることを感じていたい、物質として存在するってどんな感じか、心に刻みつけて忘れずに記憶しておきたい、体がなくなってからも、何度だって体感、実感したい、っていうための夢自動生成器が生き物なわけだから。
体が死んで終わり、じゃないんよ。
わかる?それだけ精神に愛されて生まれてきてるのよ、物質は。あなたも、あなたもよ!他人ごとじゃないよ。世界全体の神さまの心から、愛されて心を分けてもらったのが自分の体なのよ。物質は精神に愛されて願われて、生まれてきて存在してるし、物質は精神を向けてほしいという根源的な欲求がある。世界の理。
これが心と体の両思い、
心の愛を自分の体に向けて、自分の体を大切に守り保護する。物質としての体を存在しやすく生きやすく居やすくしてあげる。快を抽出して不快をなくし、快適環境を選び取る。それが、自分の体に宿った心の役目、心の働き。それに専念して最善を尽くし全力を傾ける。全身全霊それに打ち込む。それが、自分の体に宿った心の快なのよ。
自分の体に心を向けてなくて心を働かせなくて暇で暇で、暇をもてあまして心を外に向けて、他人から心を向けてもらおうとするのは本当の望みじゃないわけ。フェイクなわけ。
自分の体は自分の体に宿った心を向けてもらうのが一番喜ぶし、心は自分の体が喜ぶのが一番嬉しい。自分の体が快や楽を感じて、その体感を一緒に感じられるのが心の快であり、何よりの報酬。そのために心を働かせて自分の体の快と楽を追求してるわけだから、心の愛を自分の体に向けて、心が働くのと自分の体の快や楽という体感がセット。心が働いて体の快の体感が報酬。心を外に向けると自分の体の快という、体感の報酬が伴わないからただ働きになる。心の快はあっても体の快がないから虚しくなる。
心の愛を自分の体に向けて、自分の体の望みが外に向かうなら全力で叶える。
外の誰かは嫌なら断る自由があるから、それを尊重する。
心の愛が向かってきたら、体の愛で受け入れる
これを日々全力で、自分の体の快と楽のために自分の体に宿った心を働かせる、それが自分の領域で自分を100%フルパワーで輝かせて生きるということだから。
それを心を自分の体に向けてなくて外の領域に向けて、心を向けてもらおうとしてしまうのが領域侵犯なわけよ。
心の愛を自分の体に向けていれば領域侵犯しなくて済むわけよ。
物質は精神を向けてほしいという根源的な欲求があるから、心の愛を自分の体に向けていれば自家発電のようにその根源的な欲求を満たせるから他人に依存しなくて済む、奪わなくて済む
それなしでは生きていけないと思って依存行為を続けなくてよくなる。
大事なことは全て書いたな。
私が神さまだったら?
いつか体はなくなるから。
あなたの心で、自分の体を大事に守ってほしい
もし他人が死ねと言ってきても、それは他人の言い分なだけだからわざわざ却下・取り下げ・不採用にして自分の体の望みを優先してほしい
こう生きろ!と言われても、それは他人の言い分なだけだから却下・取り下げ・不採用にして自分の人生の領域に採用しないでほしい。優先しないでほしい。
いつだって心の愛を自分の体に向けて、自分の体の望みを最優先に叶えて自分の体の快と楽を追求して生きていく。自分の体を生きやすく、居やすく、存在しやすくしてあげる。
いつか体はなくなるから。