海のものとも、山のものともつかない波のように漂ってたものが、観測された途端に俺やで!ってポーズ決めて固まる。俺やで!見て見てって


もっというと、物質として存在するって、それだけで不安なのよ。波のように漂ってる間は、『私は誰?ここはどこ?私はここにいていいの?』って不安が渦巻いてる状態で、観測されて初めて『俺やで!』って安心して存在できる


しかも、物質として今は存在していてもいつか体はなくなるわけだから。


精神は物質を創造した責任があるから、自分で望んで存在させたんだから観測する義務を負う


でも義務感からじゃなくて、精神が物質に向ける慈しみの心、それが愛なわけで。それが観測


量子のレベルから、物質は精神に見てほしい、心を向けてほしいという根源的な欲求がある


言葉をかえると、物質は精神に愛してほしい、愛されたいという根源的な欲求があるともいえる


でね、ここからが大事なところ。


私というこの体、物質に授かった心はね、この『物質が精神を向けてほしいという根源的な欲求』を満たすために一人にひとつ授かっているのです。


自分の体という物質を満たすために自分専用の心という精神を割り当てられている。自分の体担当の心。自分の体という物質の『心を向けてほしい、見てほしい、観測してほしい、愛してほしい、じゃないと物質として存在するのは、どうしようもなく不安だから』という根源的な欲求を満たすために心が宿っているのです。


だから、自分の体に授かったこの心は、自分の体に向けていればどんなに働かせても疲れない


ちょっと位疲れたとしても、心の愛を自分の体に向けて、自分の体が『快』や『楽』を感じて喜んだ、その体感や実感を一緒に感じられるのが、心は一番嬉しい。人生最大の報酬。


ところが。この自分の体に宿った心を自分以外の体に向けて働かせた途端に、心は疲れる。心を病む。時には疲労困憊で死に至る。それは、報酬のないただ働きだから。この自分の体専用で授かった心は、自分以外の誰かや何かに向ける用にはできてないから。企画外だから。機能としては心を自分以外の外に向けることはできても、どんなに頑張って働いても自分の体での体感や実感として報酬を得られないから。報酬のない虚しいただ働き。


それと同時に、自分の体に宿った心が自分の体以外によそ見をしている間、自分の体の『物質は精神を向けてほしい』という根源的な欲求はどうしてくれんねん!何してくれてんねん!という状態で。自分の体は無視、放置、無法地帯


だ、か、ら、ダメなんだよ。心を外に向けると自分の体は悲しむの。心は外に向けない。心の愛は自分の体に向ける。


で、心の愛を自分の体に向けて、その上で自分の体の望みが外に向かうならそれを全力で叶える。


それがない段階で、つまり心の愛を自分の体に向けてなくて外の誰かや何かと関わると、それは『こっちに心を向けてよ!』という領域侵犯や、領域侵犯を隠して『親切サービス』としての関わりになる。『してあげたい』と『したい』のは違う。可哀想だから『心を向けてあげたい』それは心を向けてもらえないいつかの自分に、相手を重ねて見てるだけで、埋め合わせしてるような気分と、『親切サービスしてあげるから、心をこっちに向けてね』という詐欺のような、取引がある。詐欺師の過剰な親切サービスは、報酬をだまし取るためだから。


でもね、話を戻すと、『物質は精神を向けてほしい』という根源的な欲求があるわけだから報酬をほしがるのは何も悪いことじゃない。最大の報酬は、心の愛を自分の体に向けて、快を抽出し不快をなくし、快適環境を選び取る。この、自分の体で感じる体感や実感だから。この役目は自分の体に宿った心しかできないし、自分の体に宿った心じゃなきゃだめなの。

君じゃなきゃだめみたい。


で、それをいくら、心の愛を自分の体に向けず領域侵犯して自分以外の誰かに心を向けてもらおうとしたり、親切サービスして詐欺師のように報酬をだまし取ろうとしても、心の快はあるかもしれないけど、体の快という体感の実感は報酬として得られないんだよ。だから誰もが皆心は自分の体に向けていたい。それが一番効率が良い。合理的配慮。世界平和。


自分の体というアプリを攻略する余地まだまだあるのに、他人のアプリのぞいてる暇はないんよ。人生最大の報酬を最大限得るために、一つでも多く自分の体の『快』や『楽』を追求して体感の実感を得る。これが自分の体に宿った心の一番大切なたった一つの仕事。職務専念義務


自分の体に宿った心が本当にしたいことはそれなんだよ。だからつべこべ言わずにやる!心が外に向きやすいのは、目の前で見えたもの、耳で聞いたこと、その刺激に反応しやすいから。


だからって何も見えない聞こえない自分一人の世界に閉じこもるんじゃなくて、どこにいても誰といつ何をしてても、そのままで、それでもなお、心の愛を自分の体に向けるんだよ。外に気を取られても、また何度でも心の愛を自分の体に向け直す。


自分の体は、望みをわかりやすく喋ってくれるわけじゃない。無言の臓器である自分の体に、ひとつひとつ丁寧に心を傾けて、『どうしたい?快不快?何が不快?どうしたら快になる?』と聴いていく。そして自分の体の望みを聴き出す


聴き出したら、『じゃ、休む?食べる?飲む?何する?起きる?どうしたい?』と、自分の体の望みを実践して叶えていく。ここが、愛してるという言葉だけじゃなくて行動が大事って部分ね。自分の体が『寝たい、休みたい』というのなら、それを『 寝る、休む』という行動に移すことが大事だし、自分への愛だから。自分の体以上に外の誰かや何かを優先してると、途端に疲れたり心を病むから。


心の愛は自分の体に向けるのが一番健やか。


自分の体は、自分の体に宿った心の愛を向けてもらえるのが一番喜ぶし健やか。


自分の体に宿った心は体が喜ぶと一番嬉しい。


だからこれからは人生最大の体の快や楽という体感の報酬を最大限に得るために、自分の人生の時間全てをつぎ込んで、そのためだけに全身全霊で人生かけて生きていきましょう。