愛知県美術館
『カンディンスキーと青騎士展』(2011年)



『没後120年 ゴッホ展』(@名古屋市美術館)と同じ日に見てまいりました。

抽象絵画の創始者ワシリー・カンディンスキー(1866-1944)と、彼が結成したドイツ表現主義のグループ「青騎士」。
どちらも詳しく観るのは初めて音符
(全4章、9作家、展示総数65点)


ところで、、、
ドイツ表現主義の画家たちに影響を与えたのはファン・ゴッホなんですよね。
市美と県美、ふたつの展覧会が見事に繋がってますグッ
また、カンディンスキーが師事したフランツ・フォン・シュトゥックはミュンヘン分離派の創始者で、
昨年末の『アール・ヌーヴォーのポスター芸術展』(@松坂屋美術館)でも紹介されてました。
「あっ、ここもこう繋がるのねー」と納得。

そのシュトゥックが、そしてカンディンスキーが反旗を翻した保守的なミュンヘン画壇。
まずは当時の肖像画の大家の作品をどうぞ。


フランツ・フォン・レンバッハ
《自画像》
カードボードに油彩 1903年頃 99×87.5
レンバッハハウス美術館

アカデミックな絵ではあるけれど、
これはこれですごいっポーン

ちなみに、、、
レンバッハの邸宅兼アトリエを改装したのが
レンバッハハウス美術館(ドイツ、ミュンヘン)です。


……さて。
カンディンスキーは肖像画を描かないひとだったそうで、
こちらの作品はとても珍しいのだとか。
というか、彼の写実的な絵を初めて見ました!目


ワシリー・カンディンスキー
《ガブリエーレ・ミュンターの肖像》
キャンバスに油彩 1905年 45.2×45
レンバッハハウス美術館

もともとはカンディンスキーの教え子、
その後パートナーとして彼と行動を共にしたミュンター。
カンディンスキーは妻帯者だったため正式な奥さんではないんですが、
第二次世界大戦中、カンディンスキーと「青騎士」メンバーの多くの作品を戦禍から守ったのはミュンターなのです。
そして彼女は、戦後それらの作品をレンバッハハウス美術館へ寄贈したのでした。


で、、、今回の展示作品はカラフルでキレイ!
これに尽きます。
文字通り「色」の「彩」を楽しみましたよ音符


アウグスト・マッケ
《花の絨毯》
キャンバスに油彩 1913年 60.5×48.5
レンバッハハウス美術館


フランツ・マルクは動物好きの画家さん。
これまでに「猫」と「馬」を見ましたが、
今回は「鹿」と「牛」と「虎」が来てます。


フランツ・マルク
《薄明のなかの鹿》
キャンバスに油彩 1909年 70.8×100.5
レンバッハハウス美術館


フランツ・マルク
《牛、黄-赤-緑》
キャンバスに油彩 1911年 62.5×88.5
レンバッハハウス美術館


フランツ・マルク
《虎》
キャンバスに油彩 1912年 111×101.5
レンバッハハウス美術館


面白かったのは、こちら。
ほぼ同じ時期に同じ人物を描いているのに、まるで別人爆  笑
(よーく見ると、眉の形が同じ!)


ガブリエーレ・ミュンター
《マリアンネ・フォン・ヴェレフキンの肖像》
カードボードに油彩 1909年 81×55
レンバッハハウス美術館


マリアンネ・フォン・ヴェレフキン
《自画像》
紙にテンペラ 1910年頃 51×34
レンバッハハウス美術館


そして再びカンディンスキー。


ワシリー・カンディンスキー
《「ムルナウ」―「塔のある風景」のための習作》
カードボートに油彩、グワッシュ(?)
1908年 33×40.8
レンバッハハウス美術館


ワシリー・カンディンスキー
《室内(私の食堂)》
カードボートに油彩 1909年 50×64.5
レンバッハハウス美術館


ワシリー・カンディンスキー
《オリエント風》
カードボートにオイルテンペラ、水彩(?)
1909年 70×97.5
レンバッハハウス美術館


芸術家集団「ファーランクス」、
「ミュンヘン新芸術家協会」。
同じ志を持った芸術家たちと新しい会を立ち上げても、
やがては内部で保守派と革新派のグループに分かれ対立してしまう。
それはもう致し方ないことなのかもタラー

ただ、その後も新たに「青騎士」を結成したカンディンスキーは、常に「革新」の側に居続けたんですねグッ


『カンディンスキーと青騎士展』
◆2011年2月15日(火)-4月17日(日)
 愛知県美術館
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愛知県美術館 →
(名古屋市東区東桜1-13-2)

レンバッハハウス美術館 →

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