私の欠片 -11ページ目

お詫び

今日・明日は新しい記事を更新できません。

記事をノートにまとめてあるのですが、そのノートが今、手持ちにありません。

あまり詳細を書いてしまうと身元バレ、今現状のネタバレに繋がる為、詳しく書けません。


今日・明日の記事の埋め合わせで土日に臨時で記事を更新します。

すいませんでした。

36

放課中。

廊下に出た私に背の高い男子が勢いよくぶつかって来た。

私は転倒。

男子は一度振り返ってから走って逃げていった。

私は凄く痛くて泣いてしまった。

みんなが集まって来て誰かが村田先生を呼んで来たらしく村田先生が駆け寄って来た。

そのまま村田先生と一緒に保健室へ行った。

私は転倒の際、顎の横を強打し顎の横が腫れていた。

母が迎えに来て、そのまま病院へ行った。

レントゲンを撮ったりなどしたが特には異常なく湿布を貰って帰った。


次の日の朝イチ、村田先生から職員室に呼ばれた。

昨日の詳しい事情を聞かれ私は覚えている限り答えた。

授業前に朝の会というのをやるのだが、私は村田先生に連れられ四年一組から順に上級生の各教室へ行った。

犯人探しだ。

村田先生に
『ぶつかった人を見つけたら正直にいいなさい。』
と言われた。

1クラスずつ順番に男子の顔を一人ずつ見ていった。
六年生のとある教室。

多分この人という男子を見つけた。

その男子は下を向いていてよく顔が見えなかった。

そして私もぶつかった時、振り返った時、まじまじと顔を見たわけでは無かったので確証が持てなかったが、その男子は少し震えていた。

私は結局、村田先生にわからないと告げ犯人探しは終わった。

告発したい気持ちが無かった訳ではなく、もし万が一間違っていたらと思うとやはり告発は出来なかった。

35

私は母に久美はどうしてさくら学級かを聞いた。
母は
『よくわからないけど心の病気だと聞いたことがある』

と教えてくれた。

しかし、まだ小1の私は 逆にもっと分からなくなってしまった。



話は変わり担任の村田先生の話。

この先生はとてつもなく厳しい先生だった。

宿題は他のクラスより多め。

教科書を忘れたら床に正座。

ノートを忘れたら先生からわら半紙を貰いノートに書く内容を三回わら半紙に書いて尚、宿題でノートにも写す。

給食の時マスクを忘れたら手の甲に黒いマジックで『マ』と書かれ廊下に机と椅子を持っていき廊下で給食。

給食の時ナフキン(机の上に敷く布)を忘れたらナフキンの変わりにわら半紙を敷いてマスク同様廊下で給食。

給食当番エプロンを忘れたら、当番を来週もやらなくてはいけなくマスク・ナフキン同様廊下で給食。

体操服を忘れたら下着シャツ又は裸で授業。

体操ズボン又はブルマを忘れたらパンツで授業。

給食は食べれるまでずっと居残り。
決して残す事を許さない。

今の時代では勿論、ほぼありえない事だと思う。

私の時代でもこんなに厳しい先生は他で聞いた事がない。

私が今まで出会った先生の中でダントツの一位。

こんな先生が担任という事もあり小1の頃は学校が大好きではなかった。