第百六十八社・前鳥神社 | 百社詣で・百寺詣で

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 最寄りの駅を強いて挙げるなら、やはりJR東海道線平塚駅ということになるだろう。北口を出て、駅正面の道をまっすぐに北へ行く。30分ほども歩くと国道129号線と合流する。合流してすぐに県道44号線を湘南銀河大橋方面へと右折し、10分弱で左側奥のほうに前鳥神社の鳥居が見える。私は寒川駅から相模川を渡り、田村十字路を折れて南下してきた。そのため、南側にある「正面口」ではなく、西側にある小さな鳥居から境内へ入っていった。

 

 

 このあたりの住所は「四之宮」という。相模國の四番目の神社というところからのものだ。相模國の一之宮は言わずもがなの「寒川神社」。では二之宮は? というとこれは「川匂神社」である。場所は二宮町。つまり二宮町という町名はこの川匂神社があるからなのだった。三之宮は伊勢原市の「比々多神社」。そしてこの前鳥神社が四之宮ということになる。ちなみに五之宮はこのあと参詣する「平塚八幡宮」だ。

 前鳥神社は相模國四之宮であるから、延喜式内社である。歴史は古い。祭神は菟道稚郎子命(うぢのわきいらつこのみこと)と大山咋命、日本武尊。このうち菟道稚郎子命を知ることで、この社の独自性を理解することができる。

 

菟道稚郎子命と大鷦鷯命(前鳥神社HPより)

 

 菟道稚郎子命は第十五代・応神天皇の皇太子である。当時の百済から日本にやってきていた渡来人・阿直岐(あちき)から帝王学を学び、同じく渡来人の博士・王仁を師として学んだ。論語や千字文を学んだ最初の日本人であるということから、修学、学問、就職の神として尊崇されるようになった。

 菟道稚郎子命の兄は大鷦鷯命であり、二人は皇位をお互いに譲りあったという逸話もある。結果的には菟道稚郎子命が皇位を兄に譲った。大鷦鷯命は仁徳天皇となる。そのようなことから、菟道稚郎子命の行動は「謙譲の美徳」として長く伝えられるようになった。

 ちなみに菟道は京都の「宇治」に転訛したとも考えられている。

 鎌倉幕府や徳川幕府にも厚い崇敬を受けており、北条政子の安産祈願のために神馬が奉献されている。

 社殿は大きな千鳥破風の下に庇状の張り出し屋根が付いている形式。その下に富士と龍と天女、そして松の絵が掲げられている。三保の松原を描いたものか。この日はまだ初詣の参拝をする人も多く、新年を祝った絵なのだろうか。

 

 

 社殿の右前に大きな松の木がある。これは「幸せの松」と呼ばれており、稀に四本の葉を付けた松葉が見られることから幸せを招くとのことだ。

 

 

 右奥には二つの境内社が並んでいる。ひとつは神戸神社で、天照大神を祀る神明神社と須佐之男命を祀る八坂神社の二社を祀っている。

 

 

 もうひとつは奨学神社。先に説明した百済の阿直岐と王仁、そして菅原道真を祭神とする学問の神社である。

 

 

 

[神奈川県平塚市四之宮4-14-26]