第百八十三寺・堰の元不動尊 | 百社詣で・百寺詣で

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 横浜市営地下鉄ブルーライン、センター北駅とセンター南駅を繋ぐ高架沿いの道を「みなきたウォーク」という。その間に流れるのが早渕川。両駅からほぼ同じくらいの距離。その右岸、道沿いにある堰の元不動尊。別名・子育地蔵。地下鉄の高架(不思議な言い方だが事実)と早渕川が交わるところ。

 

 

 大理石様の由緒書きによれば、昔は「堰のお地蔵さん」と呼ばれていたという。早渕川から取水する堰が近くにあったためにそう呼ばれていた。おそらく少し上流の左岸にある水神様のあたりの大棚堰のことであろう。

 毎月二十四日は地蔵縁日で、花や果物を供えて祀られた。また七五三やお宮参りの際にも家族で参詣された地蔵様だった。高さは2.07メートルで、享保八年(1723)の銘がある。路傍のお地蔵様としては大きなものだ。その表情は大陸的でもある。300年ほど前の仏様とは思えないほど、造形がよく維持されていると感じる。

 

 

 地蔵様に向かって右側にある庚申塔は、まだ細部が十分に確認できる。上に日月、宝具を持つ手が六本、踏まれる邪鬼、三猿。青面金剛の表情も怒れる様子がまだわかる。この庚申塔は元々、近くの正覚寺の裏にあったもので、寛政十二年庚申歳と刻まれている。

 

 

 今風に生まれ変わったニュータウンの一隅に、綺麗に建て替えられた社に納まっている地蔵様から考えることは多い。200年以上もこの土地を見てきており、今尚土地の人は地蔵様のお手入れを怠らない。新しい住民のほとんどの人は地蔵様を顧みることはないのだが。

[横浜市都筑区茅ヶ崎中央56]