團十郎、無心の舞台『星合世十三團』〈成田千本櫻〉、今後に望むことなど | ふうせんのブログ

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小林蕗子のブログです。2013年5月に始めたときはプロフィールに本名を明示していましたが、消えてしまいましたので、ここに表示します。。
主に歌舞伎や本のことなどを、自分のメモ的に発信したいなあって思っています。よろしく!!

7月20日土曜日、旧暦では6月15日の満月の日。
7月21日日曜日、麻央さんの誕生日
連日の酷暑の中、團十郎は今日も、『義経千本櫻』の13役を早替わりで、4時間半かけて演じ切る【通し狂言『星合世十三團』】に挑んでいます。
「この舞台もあと4日」とブログに記していました。そして、

じつは私は、7月歌舞伎座、『通し狂言『星合世十三團』〈成田千本櫻〉を観るまでは、ここに書ききれないほど色々な想いで、とても心配でした。
ところが、観てからは〈2022年11月の團十郎襲名公演の開始以来、團十郎に覆いかぶさっている得体のしれない重石みたいなものから、やっと解放された。良かった〉と、晴れやかな気持ちになりました。

團十郎自身が、私と同じ想いだったかどうかわかりませんが、〈舞台以外のことを吹っ切って、舞台のみに命がけで立ち向かう、無心に、無我夢中になれる、難易度の高い芝居に挑みたかったのだ。〉と私なりに納得しました。
無心だったからこそ、「『義経千本櫻』の13役を、すっかり自分のものにできた。役それぞれの人物を、慈しむように、……」そういう芝居が誕生したのだと思います。
〈ああ、やっぱり無心の演技だったのだ〉と、納得したのは、
7月10日、日本テレビ・everyで放映された、このインタビュー

この中での、次の部分です。
一部抜粋――――――
團十郎:やっぱり敵と味方を演じるって大変なんですよ。怨念・情念を1人で演じさせていただくことは苦しかったりするときもあるんです。
刈川:それは気持ちの切り替えが苦しいんですか?
團十郎:というか家に帰ってからが苦しいです。
刈川:演じるときよりも?
團十郎:演じる時はもう演じきってるんであんまりなんですけど。
――――――
この「演じる時はもう演じ切っている」と、きっぱり言える團十郎が凄いです。
九代目團十郎の言葉に「おまえが演るのじゃない。その人物が演るのだ」があります。
これは「役作りをする」とか、「役になりきる」とか、あるいは「役に憑依する」とかでもない、独特の役者術だと思うのですが、…、
基本は「無心」からの出発ではないかと、私は思うのです。

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團十郎の無心の舞台は、登場人物の心がストレートに観客に伝わり、共鳴振動を呼び起こしたのではないか


めくるめくような早替わりが展開される舞台、私の心配のひとつは、『義経千本櫻』という芝居の味わいが伝わるか、どうか!? でした。
ところがそれは杞憂で、観客の反応が、きめ細かく即応していることに驚かされました。


【「渡海屋」・「大物浦」】の場面、渡海屋銀平として花道に登場する團十郎、粋な風情に合わせ持つ風格に、観客ははっと意気をのむ。
〈銀平実は知盛〉となり、白装束の武将・知盛の典雅な姿に魅入られる。
その姿が血染めになるまでは、いつもの「千本櫻」よりあっけないが、名場面「碇知盛」の壮絶な最期では、「悲惨」を超えて、武将として潔く生き抜いた知盛の生きざまであることを観客は感知している。

さらに舞台は安徳天皇を伴う義経一行が花道から引き揚げて、山伏姿の弁慶(團十郎)が早替わりで現れ、法螺貝の響きで知盛の魂を鎮める。

ここで私は〈ここは弁慶ではなく、「碇知盛」の姿を深く印象づけて、終わるほうがいいな〉と思ったのですが、……、

さらに続きがありました。
客席が真っ暗になり、通路には黒衣のお弟子さんたちがの「差し金」の先につけた明かりで、ゆらゆら揺れる蛍の火を演出しています。
舞台では、特殊映像で星空が映し出され、ほのかな明かりのもとで天上の舞がゆらゆらと舞われています。ややしばらく、観客はこの静謐な空間を楽しみ、……
ぱっと明るくなると、花道のスッポンから、白装束の武将・知盛(團十郎)の美しい姿が現れ、……
御簾の奥から、観世流と喜多流の方々による謡がしめやかに聞こえてきます。

私は〈うーん〉と胸の奥でうなりました。
〈テンポ早く進行する舞台だからこそ、この演出が、古典芸能の極み、『義経千本櫻』の真髄をしっかり伝え、歌舞伎座の観客と空間まるごとを包みこんでいる〉と、納得しました。

【「木の実・小金吾討死」「すし屋」】でも、團十郎は〈主馬小金吾/いがみの権太/鮨屋弥左衛門/弥助実は三位中将維盛〉の4役を勤め、ともかく忙しいのですが、……
主たる役〈いがみの権太〉の心模様の早替わりがくっきりと観客に伝わりました。
登場の「木の実」では〈ワル〉そのものの権太、騙しの手口も上手いね。
「すし屋」では母に甘える〈可愛い〉権太で、客席を笑いに包ませた後で、
〈悔悛の情深く、親孝行のための一世一代の芝居をうつ〉権太の姿に、観客は心を寄せていくのが、伝わります。


私が観劇したのは、初日から3日目だったのにもかかわらず、歌舞伎座をこれほど熱く包み込んだのは、単に「早替わり」の妙に沸き立っただけではないと思います。
團十郎の無心の舞台は、登場人物の心がストレートに観客に伝わり、共鳴振動を呼び起こしたのではないかしら……!?
無心の舞台とは、九代目さんの「おまえが演るのじゃない。その人物が演るのだ」という言葉に近づいていると考えると、
團十郎を襲名して、こういう舞台が誕生したことは、ほんとに嬉しい。

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そんなふうに思う一方で、私は、『義経千本櫻』については特別の想いがありますので、これで満足しているわけではないのです。
その私の気持ちの経緯を、さらに綴ってみます。
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7月歌舞伎座で、この演目が再演されるニュースが出たのは、3月28日でした。

1枚物のチラシでしたので、私は〈やっと昼の部・夜の部通しての公演になるのか〉と、「早合点」してしまいました。

初演は2019(令和元)年7月歌舞伎座の夜の部で、休憩を含めて5時間かかっていました。
しかも当時の海老蔵は、昼の部も『素襖落(すおうおとし)』と『外郎売(ういろううり)』に出ていましたから、やはり厳しかったでしょうね。
7月15日から17日まで、体調不良で休演になってしまいました。

そういうことがありましたので今回は「昼・夜の通し」と早合点して、【團十郎ブログ】に下記のコメントをいれてしまいました。
―――――
「7月歌舞伎座、楽しみです。
しかも、2019年7月の時のように、夜の部だけでこの13役を演じるという無謀な計画ではなく、昼・夜一日かけて【通し狂言『星合世十三團』】を演じる企画のようで、安心しています。
2010年9月南座の【九月大歌舞伎 訪欧凱旋公演 『通し狂言 義経千本桜』〈市川海老蔵 忠信・知盛・権太三役相勤め申し候〉
この三役の時でさえ、〈昼の部〉が【「鳥居前」「渡海屋・大物浦」「道行初音旅」】、〈夜の部〉が【「木の実・小金吾討死」「すし屋」「川連法眼館・蔵王堂」】だったのです。あの時は静御前が坂東玉三郎さんで、ほんとに素晴らしいハーモニーの舞台でした。

『星合世十三團』は「鳥居前」以前の話も加えて、〈十三役早替り宙乗り相勤め申し候〉なのです。
芝居としてじっくり魅せる場面も配置し、また團十郎さんの疲労が限界を超えることがないよう配慮して、プログラムを考慮されますよう、期待しています。
なんといっても基本になる『通し狂言 義経千本桜』が素晴らしいお芝居なのですから、その味わいが十分に活かされるお芝居になることを期待しています」と。―――――
なお、南座の時の公演は


でも今回は、昼夜の通しではなかったので、【團十郎ブログ】のコメント欄に採用されることはありませんでした。

その後、7月歌舞伎座の夜の部は『裏表太閤記(うらおもてたいこうき)』と発表され、ちょっと残念とは思いましたが…、歌舞伎座で昼・夜の通し(しかも主役は一人)というのは、ほとんどありえないことだと、納得しました。
これまでにそれを実現したのは、三代目市川猿之助だけではないかしら。

1980年、1988年、1998年7月歌舞伎座『通し狂言 義経千本櫻』で、3代目市川猿之助が〈佐藤四郎兵衛忠信実は源九郎狐・渡海屋銀平実は新中納言知盛・いがみの権太〉の三役を勤めた、その時ぐらいしか、私が調べたかぎり、前例はないです。
それが出来たのは、前回のブログに書いたように、1974年から2003年までは猿之助の責任興行として7月歌舞伎座を確立し、その揺るぎない実力と人気を誇っていたからでしょう。
ただし、「揺るぎない実力と人気」があったからといっても、猿之助が優遇されていたわけではなく、歌舞伎座に出演できるのは、7月以外は数カ月でした。
また、仁左衛門と玉三郎にしても、「孝・玉」時代から大きな話題を呼びながらも、共演回数はほんとに少なかったし、勘九郎時代から人気のあった18代目中村勘三郎も歌舞伎座出演は少なかった。團十郎もしかり。それが歌舞伎界の現実ということを踏まえてなお、團十郎に期待したいです。

今後、当代團十郎が、「昼・夜の通し」で演じてくれることを願いつつ、今年の『通し狂言 星合世十三團〉の成功を祈ることにしました。
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そんなふうに、思う中、
7月歌舞伎座の演目が発表されてから今日まで、初演の2019年7月歌舞伎座公演まえの、私のブログのアクセス数が増えていくのが分かりました。
①2019-06-06

②2019-06-27 

③2019-07-04 

その中から、今回の舞台に欠けていたことを拾うと、2010年9月の『通し狂言 義経千本櫻』にあった「道行初音旅」が今回の舞台になかったのです。
②【『義経千本桜』の思い出に書いたことですが、
一部抜粋――――――――――
静御前(玉三郎)が語る「弓の名手、能登守教経が義経めがけて矢を放ったその時、佐藤継信が矢面に立ち、命を落とした」というくだり。ここが強調されました。
継信は忠信の兄です。この継信の功績があるからこそ、義経は忠信に自らの着背長(=鎧)を与えたわけです。
この時の通し狂言では、四の切「川連法眼館」に大詰「蔵王堂」までが入り、忠信の兄・継信の仇、能登守平教経が登場しますから、特にこの話は重要でした。

一部抜粋――――終わり
今回は大詰「蔵王堂」ではなく、「奥庭の場」ですが、佐藤忠信の兄・継信の仇、能登守平教経が登場しますから、「道行」のこの部分はあったほうが良かったと思います。

さらに今回の大詰めについては、私の好みとしては、「蔵王堂」のように、忠信と教経の戦いの途中で義経が登場し、教経に「安徳天皇を母・建礼門院の大原・寂光院まで届ける」ことを託し、
佐藤忠信、源義経、亀井六郎、駿河次郎、静御前、武蔵坊弁慶、能登守教経が勢揃いしてお開きにする。
さらに今回のように「早替わり」の場合は、忠信、弁慶、教経は替え玉の役者が堂々と並んで、そこに裃姿の團十郎が登場して、舞台には桜の花がドカンと舞い散って、お開き!!
私はこういうほうが好きです。

『義経千本桜』のもう一つの流れに、〈義経は幼少期に平清盛に命を救われた恩がある。だから安徳天皇を守った〉というストーリーがあります。
今、世界で戦争がおこっている時代、〈憎しみの連鎖を断ち切る〉こういう大詰めでも良いのではないかと、思いました。
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いつも長いブログで、恐縮です。
今体調のこともあって、あまり出かけることが出来ません。
様々な想いを巡らしながら、ブログを書くことが、私の道楽になってきました。

特に私がこんなにこだわるのは、『義経千本櫻』が、大好きな芝居だからです。
今後、「昼・夜通し」で團十郎の『義経千本櫻』、あるいは『星合世十三團』が再演されますことを祈って、今日のブログをお開きにします。

※ なお、敬称についてですが、プロの芸術家や文筆家の方は広い意味での公人ですので、舞台そのものや作品について記す時は、私は敬称を付けません。昔からの慣例です。プライベートな内容と思われる時は「さん」の敬称を付けます。よろしくご了承ください。