不思議かな、この2年で一番難しくなったことです。

職場にしても、プライベートにしても、こんなことはなかったんだけどなぁ。。。
笑い話一つにしても、ホント1から説明しなきゃいけなかったり、
これを説明していたら、当然あれが理解るはずのことがまったく伝わらなかったり。
「一を聞いて十を知れ」ってんじゃないです。「一を話して、1が伝わらない」んです。

こういった所にストレスを感じてるのが自分でもすっごいよく分かる。
1人で抱え込むなとは手を差し伸べられるもの、アンタその手、油まみれじゃね??といった具合。
人としてとはまた別の次元で、迂闊に信がおけない環境が続いてます。

そのくせ、社会に一歩出てみれば、いたってスムーズなことのが多い。
昨日だって、久々に電話した先の人間の対応の円滑さと言えば、もう。
おそらく、その本人すら意識しないレベルの本当に当たり前のことが、
いまの僕には驚きなんすよ。

もう、なんかいろんな根本的な原因がひとつのところに集約されているようにも思えてきたな。

そんなところの面倒を見るのが「優しさ」や「献身」だとはまず考えられないので、
保身のためにも、このままをキープすることがまず第一と、引き締めてはいるものの、
気ばかり張ってるのはやっぱ疲れるんだ。。。

苦言を呈するのは「ぬるさ」ではなく「冷徹さ」であるくらいが、
多分、バランスのいい環境なんですよね。

早いとこ仲間探ししないと。。。


なーんかresolution的なことでも書こうかなと思いつつも、
あんまり気乗りしないので止めておきます。

正月ボケってこともないんですけどね。
お風呂で事業プランもたてちゃったし、
あとは資料に興すだけ~と、早くも頭の中では人選に取りかかる始末。

まだ今日はお休みなので、明日にそれはまわそうかなと。

去年一年がもっそい長かったように感じているので、
今年はなんとか充実した一年を迎えられるといいな~とね。
やっぱ楽しいことしてないと、時間が長く感じるもんなんですよね。
ケツタタキは疲れました。

そこらへんは放置プレイも致し方なしってことで、
2011はゆる~くもギラギラに歩きます。

あ、健康第一ね。
いろいろと思うところはあるんですね。
やっぱり都会のそれは予算があるなぁとか、この撮り方はどういうセットをくんだんだろうとか。

んでも、やっぱり一番感心というか、関心させられるのは、
制作チームは「どうイメージを共有し、納得を得ているのか」ってことなんですよね。

かなり大きなクライアントのCMにしても、まるで論点がない映像(※暗意があったとしても伝
わらない以上は広告として論外)、金を無駄に投じているとしか思えないキャスティング、撮影。
予算の無い地方のCMを、提案し、制作する業務にある立場にいる以上、ただのCMなんて見方を
することはひとつもなくて、そんなところばかりを身に置き換えては比較ばかりをしてるんですね。

そのCMがいいだの悪いだのは置いておいて、
質よりも何よりも、まだまだ手前の部分で足りていないなと感じるのが、「共有」という部分。


CMばかりではないけれど、社会における制作ってまず1人じゃないんです。
いろんな技術をもった人間を集めて、集合体でモノを生む。
学園祭なんかの準備にもにたところはあるんだろうけれど、
お金が投じられてる以上は、ものすごくシビア。映画なんかは最たるものなのかもしれない。

そんな中で、そのモノの善し悪しを決めるあらゆる要素。
映像ならば、音、カメラワーク、タイミング、色使い、言葉、人、
細かく言えばキリがないくらいに、ひとつ飛び抜けてしまったり、
ひとつ解れたところで台無しになるような。
そんな繊細なクリエイティブの上にコンセプトがドカンと載る。
大概の社会に置ける制作にはこういった条件がついてくるんです。

それ故に必要なのが、チームにおける「共有」だと思うんです。
もちろん、経験あって「言わずもがな」で最上のソリューションを示すのがプロの条件では
あるんだけれど、それだけのプロが全員勢揃いすることなんてほとんどない。
ましてや地方~なんて言い訳がましいことは言わないんですが、
それでも最終的な目的地を「共有」していくことは船をこぎだす上では必要なんですよね。

大体の方向を見てこぎだして、更に先の目的地を見つけられるというのは理想の船出なんですが、
ほうきしか握ったことの無い人間がオールを持っていてはどうにも辿り着かない。
予算という名の食料源に問題を当てつけては、目的地にたどり着かないことを理由付けしていた
ら、見込みなんてないんですよね。
そんな時に限って、同じ条件で目的地に辿り着いてるチームがあったりね。

だから、最低でも「共有」することは条件としてあると思うんです。

CD、AD、D、PL、Pと、ひとつのモノに対して様々な見方、様々なポジションで扱うそれが、
集まれば必ず一致するなんてことはまずあり得ないと思うんです。
いろんな結果が電波で発信される中で、その「共有」する方法がはたして絵コンテ1枚だったり
するのかが、いつも気になるところなんですよね。

段階ごとに何が優先され、どのポジションが決定権をもつのかが煩雑なままモノ作りをしなくて
はいけない状況、そんなきらいが現在にはあるので、最低でもそのレベルを脱するための施策を
考えないことには進む先すらも定まらない。
なんだか書いてて来年の豊富みたくなっちゃったけれど、これが一つ目の「共有」。


二つ目がクライアントに対しての「納得」。
映像化するまでもない、金を投じるまでもないCMが結構あると思うんだけど、
それもこれも、制作と流すための予算は間違いなくクライアント企業からきているわけです。
すなわち、「出資」に見合う「対価」を映像に見出してるわけなんですが、これにも段階がある。

お金をかけて、すべて編集を終えてから「こんな映像流すんで、制作と電波のお金ください」
なんて提案はまずないんです。
間違いなく、通常の企業と一緒、提案と見積があって、合意の上で制作にかかるのは現在は当た
り前の話なんですが、つまり、提案の段階で「納得」を得られないことには何もはじまらないん
ですよね。

でも、「しょうもないCMが流れている=提案に納得をもらっている。」ということなんです。

結構予算をかけてしょうもない映像になってることもあるけれど、
相応の予算は大概にして1人の了承で動いていると思えないんですよね。
相応の人の「納得」が必要で、相応の提案が必要。

関わる人全員がしょうもなければそれで終わりなんですが、
額面として考えても、しょうもない人間が集まっている可能性こそが少ないと思うんですよね。

そもそもの抑えの部分、ここをたたかないことにはなにも始まらない「納得」をおこす力、
僕はそれを「実現力」と呼んでいるんですが、妙な脚光を浴びるクリエイティブ以上に
「実現力」を携えることの方が、世の中としても大切なんでしょうね。

結果、面白いものも間違いなく「実現力」はもっているし、
面白くなくとも「実現力」があれば、カタチにはなる。
クリエイティブに関わる以上、多分、これも最低限携えなくてはいけない条件なんだろうな。

と、もうかれこれ5年ほど前から考えていることを連々と文章におこしてみましたが、
ホント、進歩が無いなぁと猛省。

来年こそはもう少し大きく一歩を踏み出せるよう、精進していきます。



僕は「あえてカチンとさせる」表現を結構使います。

嫌らしいんですけどね。
馴れ合いこそは僕が一番不得手としているところなので、
下手に澱んだままのそこにいるよりも、
一石を投じて前進するほうがよほど無駄が無いと思っているので。

自分一人が矢面に立つ、標的となる役は、結構買って出る人間です。
裏返してみればの本意に気付かれなくても、どっちでもいい。

悲劇のヒーローなんて感覚もさらさらないですし、
だからといってその行動に正当性があるとも思ってないんですが、
やはり最終的に建設的でないことが一番嫌いなだけ。そんな性分なんです。

それだから、周りの人間にも非建設的なことはあまりやってほしくない。
これもエゴなんでしょうが、上っ面だったり、将来的な部分がまるで描けなかったりするのは、
どこぞの国の建築と同じで、やっぱり見ていて滑稽でしかないので。

すっごい基礎的なところを丁寧に構築していこうとする行動はとても賛同するし、尊敬もする。
研究なんかはその最たるもので、建設的である以上は否定のしようがないんですよね。

そういった対応の使い分けをしてきているからか、
感覚で片手間な箇所を抽出することに長けている様に思います。

どんな言葉のベールに隠されていても、実際の意気というか誠意と言うか。
揚げ足取りでなく、何か足りなさを見つけ出してしまうクセもあるんですよね。


そうやって、これまでに居づらさを覚える人は周りにたくさんいたんだろうなぁと思いながらも、
それでも残ってくれた人が多いことにはとても感謝しています。
ありがとう。

これからもよろしくとは言いませんが、
代わりになんかおっきいことしたいですねー。
いや~、面白かった。
もっともっと見たいものがたくさんあったけれど、
評価の基準がどうも適正で無くなりつつあるところはおいておいて、
個人的にツボったものを3作。

備忘録です。