僕は「あえてカチンとさせる」表現を結構使います。

嫌らしいんですけどね。
馴れ合いこそは僕が一番不得手としているところなので、
下手に澱んだままのそこにいるよりも、
一石を投じて前進するほうがよほど無駄が無いと思っているので。

自分一人が矢面に立つ、標的となる役は、結構買って出る人間です。
裏返してみればの本意に気付かれなくても、どっちでもいい。

悲劇のヒーローなんて感覚もさらさらないですし、
だからといってその行動に正当性があるとも思ってないんですが、
やはり最終的に建設的でないことが一番嫌いなだけ。そんな性分なんです。

それだから、周りの人間にも非建設的なことはあまりやってほしくない。
これもエゴなんでしょうが、上っ面だったり、将来的な部分がまるで描けなかったりするのは、
どこぞの国の建築と同じで、やっぱり見ていて滑稽でしかないので。

すっごい基礎的なところを丁寧に構築していこうとする行動はとても賛同するし、尊敬もする。
研究なんかはその最たるもので、建設的である以上は否定のしようがないんですよね。

そういった対応の使い分けをしてきているからか、
感覚で片手間な箇所を抽出することに長けている様に思います。

どんな言葉のベールに隠されていても、実際の意気というか誠意と言うか。
揚げ足取りでなく、何か足りなさを見つけ出してしまうクセもあるんですよね。


そうやって、これまでに居づらさを覚える人は周りにたくさんいたんだろうなぁと思いながらも、
それでも残ってくれた人が多いことにはとても感謝しています。
ありがとう。

これからもよろしくとは言いませんが、
代わりになんかおっきいことしたいですねー。