「空」 | こうのの日々

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漫画家こうの史代です。
夫とキエリボウシインコのTさんと、福知山市で暮らしています。

こんにちは! こうの史代です。

15分番組「比叡の光」 

おかげ様で無事2回とも放映されました。
ご覧くださったあなた、ありがとうございます!

実をいうとわたし、この日の司会の遠藤奈美えんどうなみアナウンサーがもともと大好きでして…、つい、せかせか落ち着きなく喋ってしまいました…。
実物の遠藤ちゃんは、色白で朗らかでなんかキラキラしていて、本当に真面目で親切な方でした。
一緒に写真も撮ってもらっちゃいましたよ。
無駄なおしゃべりも多かったのですが、本当〰にうまく編集して頂いていました。

事前に質問を頂いていたこともあり、うまく話せそうにないところを簡単に絵に描いて行く事ができました。
主に「空」についての解釈の部分です。
忘れないように、あらためてここでおさらいさせてくださいね。

わたしは「般若心経」の解説本を初めて読んだ頃、こんなふうに思っていました。
「色即是空」とはいったい何だ?
たとえば、あなたとわたしが居る。
このあなたとわたしの実体は「色」だということは分かる。
で、「空」はふたりをここに在らしめている(けれど今ここには存在しないもの)のこと、でしょうか。
たとえば我々のご先祖様や家族、食べた物や着ている物、椅子や畳の来し方など…。
と2年半前、わたしは延暦寺のお坊さんに訊いてみました。
すると、お坊さんは
「それらはすべて『色』です。
『空』とは、ゼロのことです」
と仰いました。
※ここまでのことは↓こちらに書いています。
で、数ヶ月後、再び伺う機会に恵まれました。
※ちなみにそれはこの時↓です。
そこでまた、そのお坊さんに
「すみません、もう少し詳しく教えてください」
と言ってみました。
すると、そこに掛けられていた額の字を指さして仰いました。
『無音之音』これに近い感じかと思うんですよ」
それは…。
漫画でいう「シ〜ン」というのことか…。
なるほど。
我々が在るところ=色
それ以外=空 ということか。
もっと単純に考えるべきだったのか。

考えてみれば、お経だってもともとは誰かに意味を伝えるために記されたものなのです。
最初から意味がわからないように書く筈がないのですね。

という話をしていたら、
休憩時間に、今回の担当のお坊さん(前回とは別の方)が仰いました。
「つまり『空』とはドーナツの穴ですよ」。

激しく納得して帰ってきました。
「空色心経」でも、空や無をうまく表現出来るといいなあ…。

ではまたね!