こんにちは! こうの史代です。
ちょっと前ですが、ある映画関係者さんからお誘いいただきました。
「舞台はフセイン政権時代のイラク。
貧しい少女が、大統領の誕生日ケーキ作りを命じられ、材料集めに奔走するお話です。
よかったらご覧になりませんか」
へえ…。面白そうだな。
と見せていただきました。
先月から公開中です!
可愛い題やあらすじとは裏腹の、重厚な社会派映画でした。
とはいえ極端な残酷描写は無く、そのおかげで、美しい川辺の風景と共に折々に思い出し、いつまでも考え続けられるように出来ている傑作でした。
そのひと月後のことです。
別の映画関係者さんからお誘いいただきました。
「舞台は第二次世界大戦末期のドイツ。
小さな島に住む少年が、ヒトラーの信奉者だった母のために、白パンの材料を調達しようと奔走するお話です。
よかったらご覧になりませんか」
ん…?
なんか最近聞いたような…?
…でも面白そうだな。
と見せていただきました。
8/7より公開です!
ネタバレかも知れないけどね。
エンディングにこんな1文が流れます。
「本作の撮影中、動物に危害は加えていません」
これ大事!
最後まで気になっていた!!
ふたつの映画は、公開時期もあらすじも似ていますが、不思議なほど全く違う余韻の作品でした。
しかもどちらも傑作でした。
戦争ものを描いてからというもの、わたしは、この題材ではどういう嘘なら許されるか、をつねづね考えるようになりました。
そしてそれは、経た時間によって変化するのではないかと今は思っています。
「大統領のケーキ」は30年ほど前、「白パンと独裁者」は81年前が舞台です。
多くの人がその時代の記憶を共有しているなら、少しの夢(嘘)を盛り込むことが救いになる。
少女ラミアが、鶏を抱えながら幾多の危機をくぐり抜けるように。
もう共有出来る人が少なくなってしまったなら、現実から乖離しないように作ることで、新たな共有への糸口となりうる。
少年ナニングの最後の微笑みが、小さくとも誰にでも訪れる希望であるように。
ついていい嘘の範囲は、時間だけではなく空間的な距離によっても変化するし、これは戦争に限らず、天災や事故にも当てはまるのではないかと思います。
あなたも、どちらかでも両方でも、機会があったらご覧くださいね!
ではまたね!


