↑左サンデーサイレンス、右イージーゴア



イージーゴアはあのサンデーサイレンスと覇を競いあったライバルでサンデーサイレンスの三冠を阻止した馬としても知られています。

ケンタッキーダービーではサンタアニタダービーを11馬身でぶっちぎったサンデーサイレンスが2番人気になってしまう程にこのイージーゴアも強かったのです。もし違う時代に産まれたら両馬とも三冠馬だったと思われます。

この2頭が三冠を全て1-2フィニッシュをしているのですから❗


2歳の夏にデビュー。デビュー戦は2着に敗れるが、その後4連勝。迎えたブリーダーズカップ・ジュヴェナイルでは単勝1.3倍の圧倒的1番人気に支持され、「セクレタリアトの再来」とまで言われる高評価を得ていたが、スタートで後手を踏んだことが影響してか、以前に負かしていたイズイットトゥルーの2着に敗れる。強烈な追い込みに見られるように実力は相当なものであったが、この出遅れ癖は、後々まで本馬の競走成績に影響を与えることとなる。

2歳時の成績は6戦4勝2着2回で、BCジュヴェナイル勝ちなど6戦2勝のイズイットトゥルーを抑えてエクリプス賞最優秀2歳牡馬に選ばれた


3歳時は3月にガルフストリームパーク競馬場で行われたスウェイルS(D7F)から始動して、2着トリオンに8馬身3/4差をつけて圧勝。

次走のゴーサムS(GⅡ・D8F)では、2着ダイヤモンドドニーに13馬身差をつけて大圧勝した。

いつもどおりの走りをすれば1分33秒程度で走れるだろうと事前に言われていたが、実際に計時された勝ちタイム1分32秒4は、1973年にセクレタリアトが計時したレースレコード1分33秒4を1秒、1974年にフォレージが計時したコースレコード1分33秒2を0秒8更新するものでセクレタリアトの再来という名声を不動のものとした。

2週間後のウッドメモリアルS(GⅠ・D9F)も、フェデリコテシオSを勝ってきたロックポイントを3馬身差の2着に、ナシュアSとファウンテンオブユースSでいずれも3着だったトリプルバックを3着に破って完勝した。

セクレタリアトはこのレースを落としていたため、これを勝った本馬はもはや三冠確実と評された。


そして、ケンタッキーダービーに臨み、やはり1番人気に支持される。しかしここで立ちはだかったのが、終生のライバルとなるサンデーサイレンスだった。

初めての顔合わせでは2馬身半差の2着に敗れた。続いてプリークネスステークスでも最後の直線コースで激しい叩き合いを演じるが、サンデーサイレンスの前に再びハナ差で敗れた。


次走のベルモントS(GⅠ・D12F)では、1978年のアファームド以来11年ぶり史上12頭目の米国三冠馬が懸かったサンデーサイレンスが単勝オッズ1.9倍の1番人気に支持され、そのアファームドの前に米国三冠競走全てで屈した父アリダーに次ぐ史上2頭目の米国三冠競走全て2着という屈辱にリーチがかかってしまった本馬は単勝オッズ2.6倍で生涯唯一の2番人気(オウインスパイアリングとのカップリング)、米国三冠競走最初の2戦に不参戦だったピーターパンS勝ち馬インバイブが単勝オッズ7.1倍の3番人気、前走3着のロックポイントが単勝オッズ23.2倍の4番人気と続いた。

スタートが切られると、名牝ダヴォナデイルの息子ルヴォワジュールが逃げて、それを見る形でサンデーサイレンスが2番手を追走、イージーゴアもすぐ後方の外側でサンデーサイレンスをマークするように3番手を追走した。

先に仕掛けたのはサンデーサイレンスで、三角から四角にかけてルヴォワジュールに並びかけていった。

しかしサンデーサイレンスを追って仕掛けた本馬が四角途中で外側から一気にサンデーサイレンスを抜き去り、先頭で直線に入るとサンデーサイレンスとルヴォワジュールの2頭をどんどん引き離し、最後は2着サンデーサイレンスに8馬身差をつけて圧勝。



サンデーサイレンスに唯一勝ったレースイージーゴアの圧勝
↑タッチして動画



勝ちタイム2分26秒0は1973年にセクレタリアトが計時した2分24秒0には及ばないものの、2015年現在でも同競走史上2位という優秀なものだった。



その後4連勝して、ブリーダーズカップ・クラシックで4度目のサンデーサイレンスとの対戦となる。イージーゴアは3度1番人気に支持されるが、結果はサンデーサイレンスにクビ差敗れ、エクリプス賞年度代表馬の座もサンデーサイレンスに譲ることとなった。


古馬時代

4歳は3戦2勝。メトロポリタンハンデキャップでは生涯唯一、連対を逃している。このときの優勝馬クリミナルタイプは次走でサンデーサイレンスを破っている。その後脚部不安の発症により引退した。また、ほぼ同じ時期にライバルであるサンデーサイレンスも脚部を痛めて引退している。



1994年5月、本馬は初年度産駒のデビューを目前にして8歳の若さで急死してしまった。直前までパドック内で元気に走り回っていたのに、突然倒れてそのまま息を引き取ったという。死因は治療用薬物投与によるアナフィラキシーショックに伴う心臓発作だった。なお、イージーゴアは多臓器の癌を患っていた事が判明している。これについては、癌の進行は遅かったためアナフィラキシーショックさえなければ長生きしたとする意見と、いずれにしても長くは無かったとする意見の両方が存在しているが、あまり意味がある論争ではないだろう。遺体はクレイボーンファームに埋葬された。


イージーゴアの最期は満足したものではありませんでしたが、日本に来て種牡馬の産駒を勝負するのも悪く無かったんじゃないかと時々思います。地方ダートで活躍馬を多数産み出したかも知れませんね




下の動画はサンデーサイレンスとイージーゴアの一騎討ちの動画です