給食の食べ残しを減らしたい。
今のままでは毎日「食べられるもの」がゴミになっている。
知人に話しをしてみると
「給食センターの人はよくやってくれているよ」
とか
「昔は食べられるだけでありがたかった。残すなんてぜいたく」
とか
「好き嫌いが多いのは家庭の問題じゃない?」
とか
何だろう?残す子どもたちが悪いの?
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食べ残しを減らしたいと話しても、「給食センターを責めている」
っぽく聞こえてしまうみたいでうまく伝わらない。
そんな事をしたいわけではないの。
ただただ「食べられるものがゴミになる」のを減らしたいだけ。
給食センターを責めるわけではなく
残す子どもたちが悪い、というわけではなく
先生たちの指導が悪いのでは?というわけではなく
誰かのせいにして、だから問題が解決しないんだって事にしたくない。
やりたい事が「悪者探し」と思われたら、解決策を見つけたいだけなのに、それすら聞いてもらえなくなる。
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豚肉と茄子の味噌炒めを食べた時
正直、「給食センター、こんなの作ってんのかよ?」とイラついた。
これを「残さず食べましょう」なんてよく言えたもんだ!と思った。
でも、それを言って給食センターを責めているように聞こえたら
聞く耳を持ってもらえない。
結局、クレーマーになるだけで問題解決は全くしない。
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そこで視点を変えてみようと思った。
子どもたちは、「食べられるもの」がゴミになると知ってるのだろうか?
聞いた話では、給食の残りは「豚の餌」になると思っていて
餌になるなら悪くないんじゃない?って思う人もいるみたい。
家畜のえさにしたり、土に戻したり堆肥(肥料)にしたり
自治体によってそうした循環をしているところもある。
でもここは「ゴミ業者にお金を払って引き取ってもらっている」。
お金を払ってゴミとして処分している。
この事実をきちんと子どもたちに伝えているのかな?
この事実を知ったら、子どもたちはどう感じるのだろう?
まず、それを知りたい。
学校では授業で「SDGs」の取り組みも習うみたい。
だからみんな、言葉は知っている。
言葉が流行っているだけでなく、これらを身近な「給食」から
考えてみるのはどうだろう?
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ゴミになる事を伝えたら、次は子どもたちと給食調べをしたい。
用意するのは記入用紙。
ごはん、大きなおかず、小さなおかず について・・・
①給食を配る前に、量を確認して記入する。
ふたを開けて「多い感じがした」「足りない感じがした」など、見た目で感じたことを書く。
②いただきますをする前に「戻した人」がどのくらいいたか書く。
クラスの全員が戻したのか、一部の人だったか、詳しい人数のカウントは必要なく「こんな感じだった」で書く。
③食べ終わった時の残りを確認して記入する。
たくさん残った とか残りゼロだった とか
何キロとかでなく、見た目で感じたことを書く。
これを1ヶ月やってみる。
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続けてやってみる事で、
①と③を見て、最初から多い感じがするものはやっぱり残るとか
②と③を見て、戻す人が少ないと残りも少ないとか
ごはんはいつも残る、とか
こういう系統のおかずは残らない とか
見えてくることがあるはず。
この記録をもとに、みんなで「何が見えてくるか」を話す。
この日のおかずはたくさん残った…どうしてだろう?
「このメニューは食べづらい」とか「もっと野菜が小さく切ってあれば食べやすくなりそう」とか意見を出し合ってみたらどうだろう?
「この組み合わせは嫌だ」があってもいい。
多く残る日と、ほとんど残らなかった日を、記録をもとに比べてみるのもいろいろ意見が出ると思う。
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こうして給食調べをして、どうすれば食べ残しを減らせるか?を児童・生徒の当事者が考えてみるのはどうだろう?
給食から、「現状を調べて知る」「起きている問題を知る」
「問題点を見つける」「解決の「どうすれば?」を考える」
意見を出し合って、問題点を見つけたりどうするかを見つけたり
意外と総合的な学習じゃない???
自分達では解決できない部分は大人に相談する。
食材やメニューの事を給食センターに相談として出す。
小さなことでも、少しの事でも、何かが変われば
「声を出す」ことの大切さも体感できるかもしれない。
みんなで意見を出し合う事や解決策を探していくことの
大切さを体感できるかもしれない。
こんなことできたらいいな。