Kオジサンの東海道旅日記 第29日 令和4年4月6日(晴)  大森海岸駅から日本橋まで | Kオジサンの東海道旅日記・中山道旅日記

Kオジサンの東海道旅日記・中山道旅日記

2018年2月から2019年3月にかけて、中山道を踏破しました。
2020年1月18日から東海道を歩いています。

令和4年4月6日(晴)  大森海岸駅から日本橋まで

東京を歩く。その2日目です。
旧東海道の街道歩き、日本橋に向っています。それが大詰めとなりました。

昨夜泊った東急ステイ蒲田を出て京急蒲田駅に向かいました。昨日、街道歩きを終えた大森海岸駅へ普通列車で向かいました。大森海岸駅から歩きだし、最初に寄った所が鈴ヶ森刑場跡です。その後は品川宿に向って旧東海道を歩きました。ところどころに寺院や神社が有り旧街道の雰囲気が有りました。品川宿を過ぎて八ツ山橋を越えると品川駅の駅前でした。
品川宿は南品川と北品川。長い宿場街でした。御油宿の街道松とか藤沢宿の兄弟松を見かけました。「旧東海道品川宿まちづくり委員会」が宿場同士の交流で松の苗を提供されて育てている松。そんなのを見かけました。
街道を歩くので、この機会にと泉岳寺へ寄ってみました。本懐を遂げた後、松平家や水野家などにお預かりとなった四十七士。歴史に触れてみた機会でした。
第一京浜国道の歩道を歩いているとキロポストの数字が減って行きました。東新橋のJR高架橋を抜けると銀座八丁目となります。これまでの風景からガラッと景色が変わりました。さすが、銀座と言う感じがしました。並んでいるブランドの店を目にしました。

京急大森海岸駅 ― 鈴ヶ森刑場跡 ― しながわ区民公園 ― 天祖諏訪神社 ― 泪橋 ― 花街道入口 ― 嶺雲寺 ― 北浜川 ― 鮫州商店街 ― 鮫州八幡神社 ― 青物横丁  ― 海雲寺・千躰荒神 ― 品川寺 ― 天妙国寺 ― 城南小学校 ― 三島宿の街道松 ― 浜松宿の街道松 ― 脇本陣跡 ― 品川橋 ― 御油宿の街道松 ― 品川宿交流館 ― 
枚方宿の街道松 ― 品川宿本陣跡 ― 土山宿の街道松 ― 竹屋横丁 ― 一心寺 ― 
虚空蔵横丁 ― 法禅寺 ― 品川宿の街道松 ― 品川宿道標 ― 袋井宿の街道松 ― 
善福寺 ― 藤沢宿の兄弟松 ― 土蔵相撲跡 ― 問答河岸跡 ― 東海道八ツ山口 ― 
京急本線踏切 ― 八ツ山橋 ― 高山稲荷神社 ― 高輪海岸の石垣石 ― 高輪神社 ― 泉岳寺 ― 高輪大木戸跡 ― なか卯三田店 ― 御田八幡神社 ― 札の辻 ― 
芝五丁目 ― 芝四丁目 ― 金杉橋 ― 浜松町二丁目 ― 大門 ― 浜松町一丁目 
― 源助橋架道橋 ― 新橋 ― 銀座八丁目 ― 和光時計台 ― 銀座役所跡碑 ― 
銀座煉瓦之碑 ― 警察博物館 ― 京橋 ― 日本橋




大田区 品川区発行 東海道エリアガイドから引用しました。





泊ったホテル。
東急ステイ蒲田です。





蒲田八幡神社の前を通りました。
立派な鳥居です。



(07:56)
京急蒲田駅へ向かっています。
前方は京急本線の2階と3階の高架です。



京急蒲田駅へ来ました。
ここから品川行の普通列車に乗ります。
ここは1階で、2階が品川新橋方面。3階が横浜三浦海岸方面となっています。




(08:01)
2階に上がってきました。
京急蒲田駅は3階が横浜や羽田方面行となっていて1番2番3番ホームです。
品川方面行は2階で4番5番6番ホームです。
普通列車の品川行は5番ホームとなっています。5番ホームの場所が分からなかったので駅員に聞きましたら横浜寄りに有ると教えてくれました。




5番ホームに電車が見えます。
品川行の普通列車です。既に停まっています。

8時05分の普通列車の位置が分からなかったのです。
田舎から出て来た私とカミさん。
それこそ弥次喜多道中そのものでした。
気転を聞かせ、判らなかったら駅員に聞けとばかりに、駅員に尋ねました。
乗れなかったら後の列車にすれば良いのですが、聞いて対応して良かったです。




普通列車の先頭車両に乗りました。
5番ホームは待避線となっていて優等列車の合間を縫って走ります。
もう、ポイントは切替わっていて何時でも発車できます。



(08:17)
大森海岸駅に着きました。
蒲田駅から大森海岸駅。10分余りの乗車でした。この区間の運賃は160円です。でも、ICカードで乗りましたら157円でした。この料金、安いと思います。
京浜急行に乗って見て、安いと思う事。これも発見です。

現役時代、徒歩通勤していてラッシュアワーの経験は有りません。
都会のラッシュの電車。考えように寄っては貴重な体験と言えます。



大森海岸駅の駅前に設置して有った地図です。
これから歩き始めます。





第一京浜。
日本橋まで12㎞ポストです。




(08:33)
最初に寄ったのが鈴ヶ森刑場遺跡です。




鈴ヶ森遺跡の解説です。

白井権八が処刑されたと記されています。
2019年3月18日に中山道を深谷宿から鴻巣宿、桶川宿へと歩きました。
<span style="color:#7cd300;">kオジサンの中山道旅日記 その26 秩父鉄道石原駅からJR北上尾駅 まで | Kオジサンの東海道旅日記・中山道旅日記 (ameblo.jp)</span>
その途中、埼玉県鴻巣市。荒川堤防の下に権八延命地蔵と言うお地蔵さんが有りました。
歌舞伎の世界では白井権八の物語として取上げられていますが、説明板には鳥取藩士の平井権八と紹介されています。同僚を殺害し江戸へ逃れる。その途中、久下の長土手で絹商人を殺害し大金を奪ったと有ります。
先年、中山道を歩いた時見かけた権八地蔵です。その中で権八は捕えられて鈴ヶ森で処刑されたと有りました。

以前、目にした事柄が結びつく事が面白いです。



右の火炙台と左の磔台です。
火炙台は丸い石で,真中に鉄柱を立て足元に薪を積み処刑。八百屋お七を始めとして、生きたまま焼き殺されたと有ります。
磔台は四角い石で、角柱を立てる穴が開いています。丸橋忠弥を初め罪人がこの上で処刑されたと有ります。
処刑の日。竹の切口を斜めに切り、それをさらに斜めに組み込んで水平の押し縁で止めた形の矢来垣。その外から遠巻きに眺める見物人。罪人を柱に縛り付け、その柱を四角い石に立てる。そんなシーンが想像できます。



頭上の桜。
満開となり花びらが落ちています。




(08:45)
前方に橋が見えすが、泪橋です。




泪橋の解説板です。
裸馬に乗せられてと有りますが、縄で後ろ手に縛られた罪人が馬に乗せられてやって来る。
伸びたさかやき、そしてひげ面をした罪人。
そんな姿を想像できます。




品川宿の石柱。
左は二十番。花海道入口となっています。その下には勝島運河 花街道と描かれています。
右は十九番で北浜川となっています。
品川を歩いて見て、このような石柱を何本も見かけました。
進むにつれて数字が減って行きました。



(08:31)
鮫州商店街を歩いています。
旧街道らしく曲がりくねっています。



鮫州八幡神社です。
路地の奥に有りました。



(09:04)
こちらは海雲寺の山門です。
石柱には千體荒神王霊場と彫られているのが読めます。
この先に平蔵地蔵が有りました。
鈴ヶ森刑場の番人をしながら交代で町に出て施しを受けて暮らしていた三人連れの乞食がいた。そのひとり平蔵はある日多額の金を拾ったが落とし主を探し、当然のこととして金を返し、お礼の金を断った。そのことを知った仲間の者は金を山分けにすれば三人とも乞食をやめて暮らせたのにと腹を立てて、正直者の平蔵を自分たちの小屋から追い出し、凍死させてしまった。これを聞いた金の落とし主である、仙台屋敷の若侍は平蔵の遺体を引き取り手厚く葬り、そして地蔵尊を立てて供養したそうです。



江戸の頃を偲ばせる古い石塀です。
石塀には、落語家、芸者、料理屋などの名が刻まれており、荒神様が江戸中から信仰を集めていたことがわかります。
寄進者名が刻名されていますが、今の時代。広告的な役目を持たせたのではなかろうか。



(09:07)
品川寺に来ました。
境内には葉の落ちた大銀杏が立っていました。
門の手前に大きな銅造地蔵菩薩が有りました。



今が盛り。
ヤマブキが境内に咲いていました。




十三番の青物横丁と十一番の天妙国寺門前の石柱です。




(09:16)
私たちが歩いて来ると、沢山の子供たちが出てきました。
ここは小学校でした。
それに令和四年度入学式のたて看板が有ります。
まだ、9時を過ぎたばかりの時間です。もう、下校してきています。




入学式のたて看板と品川区立上南小学校の看板です。看板には開校明治七年と記されています。
入学式のたて看板に「入学式の方は通行の妨げになるので、ここで撮影しないように」と書かれています。でも、入学式のたて看板の横で記念写真を撮影してくなるのではなかろうか。



ここは街道松の広場です。
形の良い松ですが、浜松から贈られた「浜松宿の街道松」です。

この他に三島宿とか土山宿と他の宿場から贈られた松が何箇所か有りました。




東海道 品川宿の解説板です。
城南信用金庫品川支店の一隅に有りました。
城南信用金庫は目黒川の南に位置しています。是より南 南品川宿となっています。



(09:34)
目黒川に架かる品川橋へ来ました。




橋の上から上流方面を眺めています。
鳥居が見えますが、荏原神社の鳥居です。




品川宿交流館へ来ました。



(09:38)
係の女性が開ける準備をやっていました。
交流館は10時にオープンとなっていました。
品川宿と北馬場界隈。写真集「セピア色の品川」から抜粋したものなのでしょう。



品川宿本陣跡の案内看板です。
この案内板は東海道沿いに有りましたが、本陣跡は聖蹟公園で街道から奥の方に入った位置に有りました。



北品川商店街を歩いています。



壁に貼って有った不動産会社のチラシです。
品川宿の浮世絵が載っていますが、当時は東海道のすぐ横が海でした。
今のこの辺りの状況からは海が直ぐ近くだったとは想像できません。



門に浄土宗法禅寺の表札が掛かっています。
その横には品川小学校発祥之地の石柱が立っています。
私塾だったものが、この寺の場所で引き継ぐ形で開かれたようです。




(09:54)
家尾福青果店の前を歩きます。
旬のたけのこが並んでいます。
東京の野菜の物価はどんなものだろう。
ダイコンは1本130円でした。



問答河岸跡の石碑です。
3代将軍家光が東海寺に入るとき、沢庵和尚が出迎えて問答した故事に由来します。将軍が「海近くして東(遠)海寺とはこれ如何に」、和尚が「大軍を率いても将(小)軍と言うが如し」と問答したとかと言う古事が有ります。




(09:58)
京急本線の品川第2踏切です。




踏切を渡ったら警報機が鳴りだしました。
電車が通過した後、撮影しました。
行先表示が急行成田空港となっています。好奇心旺盛なKオジサン。検索して見て両空港を結ぶ急行列車を知ることが出来ました。この列車、羽田空港と成田空港を結んでいるAP急行でした。相互乗り入れなのだろうか。京浜急行、都営地下鉄、京成電鉄の線路が結ばれています。
鉄道会社のレール幅が標準軌同志(新幹線と同じレール幅。JR線はそれよりも狭いので狭軌です。)だから実現したのでしょう。地上から地下へ、そして地下から地上へ。地下鉄の漫才ではないですが、この列車が地下に入って行くのはどのようにして入って行くのだろうか。

恐らく九州とか北海道等から国内線で羽田に来たらこの列車を使って成田に向かうのでしょう。

それにしても2つの空港を結ぶ。凄い事だ。




踏切を渡った所の小広場。
品川宿のまち歩きマップが有りました。



京急本線の踏切を渡ったら、これから向かって行く第一京浜方面の地図が有りました。



横断歩道を渡り右に歩きます。
四角い石柱。
これ等には東海道53次の宿場名が描かれていました。
石柱が草に埋もれて可哀そうです。



(10:07)
八ツ山橋を渡り、京急本線の横を歩きます。
第一京浜の歩道を歩きますが、今までの街道の雰囲気とはガラッと変わりました。
並木道ですが、まだ葉が出ていません。



案内地図その1。
品川プリンス前の案内地図です。





案内地図その2。
品川駅前の方へ来たら、案内地図が有りました。



歩道橋の距離程表示板は7㎞を表しています。



品川駅を正面から眺めました。



歩道橋の距離程表示板は6㎞を表していますが、距離標は7㎞を表しています。
距離標は日本橋を起点にした数字なので実距離であるが、距離程表示板は歩道橋に取り付けるので半端な数字となるのではなかろうか。それを繰上か、四捨五入か。
㎞ポストの表示。上りが「日本橋まで to Nihonbashi」となっていて、下りのは「日本橋から
 from Nihonbashi」となっています。
toとfrom。今まで何度も見ましたが、違いに気が付きませんでした。



高輪海岸の石垣石。
左は実物の石で右は解説東海道高輪風景と有ります。
この絵から、海岸線がすぐ横だっのが分かります。



石垣石の横に有った港区旧町名由来板が有りました。
旧町名から高輪1丁目とか三田2丁目や芝3丁目と言う住居表示に変わりました。
かつての町名を紹介しています。
下は昭和の地図と現代の地図です。



昭和の地図です。
品川駅前や清正公前の電停が有ります。都電が走っていた頃を表しています。



現代の地図です。
住居表示が高輪とか白金台となっています。
対比させて比べるのが面白いです。




こちらは広重の浮世絵です。




高輪神社の前を通過しました。



(10:37)
泉岳寺に寄ってみました。
中門から入ります。



泉岳寺の額が上がっている山門です。



赤穂義士の墓地に行きました。




義士墓解説です。
細川家や水野家にお預かりになった事が分かります。




(11:34)
お昼の時間には少し早かったのですが、なか卯三田店に入りました。
まだ、混雑する前で良かったです。



札の辻から眺めた東京タワーです。




札の辻の交差点を渡った所に旧町名由来板が有りました。
旧町名由来板めぐりの⑳です。
大正10年の地図では田町(一)から(九)へと続いています。
鉄道が用地を取得しやすい海岸寄りを取得したのでしょう。
当時は単線か複線だったのか。
それが今では山手線、京浜東北線、東海道線、東海道新幹線と何本もの線路が連なっています。



(11:49)
芝5丁目を歩いています。



旧町名由来板めぐりの⑭です。
金杉橋を渡ったところに設置して有りました。
古い町名から芝公園や芝大門と言う住居表示に変わっていました。
何箇所か旧町名由来板が設置して有ります。
「めぐり」と有る様に設置場所を巡ってみるのも面白いでしょう。
検索しましたら、こんなサイトが有りました。
港区ホームページ/芝地区の旧町名 (city.minato.tokyo.jp)



(12:36)
JRの高架をくぐりました。
ここから銀座となります。




中央区銀座7丁目を歩いています。
日本橋まで2キロとなりました。



中央区銀座6丁目のFENDIです。




中央区銀座5丁目のPRADAです。



銀座4丁目の交差点の角に有る和光時計台です。
建物の近くを歩くので無く、反対側を歩いたので建物の全体を眺めることが出来ました。




中央区銀座2丁目のBVLGARI銀座タワーです。



ウインドウの中にネックレスが見えました。

銀座を歩いていて、気が付いたのは、ほんの一部でした。
ヴァレンティノ 。ミキモト。CHANEL。ディオール。ルイ・ヴィトン。ティファニー。
そしてダンヒル。
銀座の通りには著名な店が沢山揃っていました。



中央区京橋3丁目の警察博物館に寄ってみました。
親子がパトカーの前で記念撮影していました。



館内に入ってみました。
最初にエレベーターで5階まで上がりました。
5Fは「時代とともに」と言う事で警察の歴史が紹介して有りました。
4Fは「首都を守る」と言う事で、先のオリンピックの際の警備状況などを紹介していました。
左は3Fです。「事件・事故を解決する力」模擬交番が設けて有り、交番の仕事を体験できるようになっています。
右は2Fです。「人と街をともにまもる」ジオラマで街の防犯を見れるようになっています。





(13:28)
日本橋が見えてきました。



東京市章を獅子のブロンズ像。
その前で通行している人にシャッターを押して貰いました。



こちらは日本橋麒麟像です。
左の像は口を開き、右の像は口を閉じています。



歩き始めと歩き終わってからの歩行数の比較です。
2万2千歩余りの歩数で16キロ余りを歩きました。
大森海岸駅で下車して歩き始めた時のキロポストは12㎞を示していました。
京浜国道の数字は直線で示しているのでこの数字となっていますが、品川辺りの旧街道を歩いたので大きな数字となっています。



(13:46)
東京駅の日本橋口に来ました。



18番新幹線ホームです。
これから乗車する列車が入線してきました。
この後、車内整備が済んだ後に乗車しました。



こだまの発車時刻を表しています。



こだまの車内です。
掛川辺りを走行しています。



ぷらっとこだまのこだま乗車券です。
新幹線のいわゆる各駅停車です。
1枚が8,600円となっています。
のぞみを使って東京から名古屋まで移動すると11,300円で、2,700円安くなっています。
それに、このぷらっとこだまの乗車券は飲み物券が付いています。
私は缶ビール、カミさんはジュースを戴きました。



左は名古屋から乗車する、17時15分発の新快速大垣行きです。
右は高山線の岐阜駅。18時45分発の普通列車の多治見行です。



岐阜駅の中の「おらが蕎麦」です。
ここで最後の締めです。
そばが出てくる前です。私だけがビールを戴きました。


東海道を完歩しました。
29回の回数を重ね、東海道を完歩できました。
コロナ禍で出かけるのを躊躇ったり、費用を倹約するため18きっぷが使える時期となるまで控えたりしました。街道を踏破中に色々の人と出会いました。
初期の頃は足の裏が痛くなったりしました。
それが、今では大丈夫となりました。

カミさんに感謝。
長かった東海道の街道歩きでした。その最後。28回目と29回目で、4月5日と6日の二日間に川崎から日本橋まで歩きました。東海道歩きの最後で、カミさんが一緒に歩いてくれました。
長い距離を良く歩きました。
普段、山登りには付き合ってくれないカミさんです。1人で歩いていたら、味気ないものでしたが、カミさんと一緒に歩いたのは弥次喜多道中でした。一緒に歩いてくれたカミさんに感謝です。
妻と東海道を歩いたこと。生涯の思い出となることでしよう。

街道歩きは色々の発見が有ります。
品川を歩いていて、品川寺や海雲寺が有りました。この辺りは空襲を受けなかったのだろうかと思いました。
3階建てとなっていた京急蒲田駅。今のような状態に漕ぎ付けるのは大変な工事だったのではなかろうかと思いました。
北品川を過ぎて京浜急行の踏切が有りました。たまたま通り掛かった「急行成田空港行き」を見かけました。検索したら羽田と成田を結ぶ列車でした。あの時、急行電車を見たから検索しましたが、見なかったらこんな列車が有る事を気づかなかったでしょう。
東新橋のJR高架を過ぎて銀座に入りました。銀座と言うところ独特の雰囲気です。今までの道とは異なった景色でした。銀座の通りはPRADAやBVLGARI等色々のブランドの店が並んでいました。こんなにブランド店が並んでいるとは思っていませんでした。
街道を歩いて見て、このようなことを知ることが出来たのは街道歩きの面白い所です。

季節の花を愛でる
歩いていてアチコチで満開に近いソメイヨシノを見かけました。品川寺の境内ではヤマブキを目にしました。泉岳寺では青い花のアブラナ。住友不動産の三田ツインビルでは斜面が芝桜に覆われているのを目にしました。良い季節の時に歩いたと思います。

旅行の企画
川崎まで達した後、川崎から日本橋まで歩くのを企画しました。今回の旅行。旅行の企画をし、実行に移して見て、上手く行って来ることが出来ました。旅行を企画する事が面白いのです。
往路は青春18きっぷを使い、帰路はぷらっとこだま。上手く行って来ることが出来て満足です。




今日の経費 (2人分)
ペットボトル         200円
京急蒲田から大森海岸駅    314円          
なか卯三田店       1,140円
お土産                             2,487円
ぷらっとこだま      17,200円
名古屋駅から岐阜駅     940円
おらが蕎麦                  2,250円
いちご大福                          528円
どら焼き                561円     
岐阜駅~那加駅           420円
合計            26,038円