モスクに戻る前のカーリエ博物館に行く | 女郎蜘蛛のトルコ生活@イスタンブル

アヤソフィアに続き、まさかのニュース第二弾😱

 

カーリエ博物館までモスクに戻るポーンことが、官報で発表されました。

 

 

 

カーリエ博物館Kariye Müzesiは、アヤソフィアと同じように、ビザンツ時代の礼拝堂✝️だったものが、オスマン帝国時代にモスク☪️に変えられ、トルコ共和国になってから博物館🏢になったという経緯があります。

 

素晴らしいモザイクで知られてますが、ちょっと行きにくい場所にあるので今まで行ったことがなく、やっと去年の冬に見てきたのを、このタイミングで書いておきます。

 

 

 

外観は本来トップの写真のような感じですが、行った時も今も修復作業の真っ最中のため、こんな感じに覆われており、何がなにやら状態。

 

 

 

アヤソフィアより随分と小ぶりですが、入ってすぐの横に長い回廊のような場所も、壁といい天井といい、入り口の上といい、見事なフレスコ画とモザイクです。

 

 

お土産売り場コーナーの上だってすごい!

 

 

さらにもう一部屋なかに入ると、金を使ったキラキラのモザイクで作られた、精巧な宗教画がびっしり!

 

 

外側に聖母マリアの生涯、内側にイエス・キリストの生涯が描かれています。

 

 

たしかに、ここまでモザイクで埋め尽くされてて現存する教会・礼拝堂って、なかなか無いかもしれません!!

 

 

漆喰で塗り隠されたために逆に綺麗な保存状態で残ったんでしょうね…

 

 

内陣は、他の部屋よりもモザイクは少なく、アヤソフィアやカレンデルハーネ・ジャーミーなどと同じく、色の違う大理石のパネルを組み合わせた壁が残っています。

 

 

 

このカーリエ博物館、もともとは6〜7世紀にコーラ修道院に併設の礼拝堂、「コーラ修道院付属 救世主聖堂」として建てられたのが始まり。

 

修道院は残っていません

 

 

すぐに地震で崩れ、11世紀に再建されたものが今のベースですが、これも13世紀に十字軍に破壊びっくりされ、14世紀に修復&増築されたのが今残っている建物です。

十字軍ってひどい奴らで、同じキリスト教国で乱暴狼藉を働きまくるギャング集団でビザンティンで嫌われていた。アヤソフィアも、ブルーモスク横の競技場も破壊・略奪している

 

 

なので、いま残っているモザイクやフレスコ画も、この年代の末期ビザンティン美術に分類されるもの。ルネサンスの影響が見られるそうです。

 

いたしかに人間の表情の描き方がリアルですよね

 

 

オスマン帝国によるコンスタティノープル陥落から58年後の1511年、ベヤジッド2世の宰相アティク・アリ・パシャによってモスクとなり、アティク・アリ・パシャ・ジャーミーまたはカーリエ・ジャーミーと呼ばれるようになりました。

 

「カーリエ」は古いトルコ語で「村」「郊外」の意味ですが、これは元々の名前「コーラ」がギリシャ語で田舎や郊外を意味するそうなので、それを直訳したんでしょうかね。

行きにくい場所にあるわけですねぇ〜

 

 

 

 

モスクにするにあたり、モザイクやフレスコ画は漆喰で塗り込められ、祭壇のアプス部分にメッカの方向を示すミフラーブが作られ、外にミナレットが1本つけられた🕌ほかは、建物はそのままの形で利用されました。

 

 

お堂部分の右手にミフラーブが作られてます。

 

 

オスマン帝国が終焉を迎え、トルコ共和国になった1945年に内閣によりアヤソフィアなどと同じく無宗教の博物館となることが決定。

→当時、トルコ国内には需要以上にモスクが林立しており、政府は使えないモスクの解体や土地の売却などを行なってます

 

カーリエでは、1948〜58年にかけて、アメリカのビザンティン研究所によって、漆喰を取り除いてモザイクとフレスコ画を出す作業と、度重なる地震で傷んだ建物の修復が行われました。

 

博物館になることが決定された閣議決定。当時の大統領イノニュのサインが入っています

 

 

が、しかぁし!!

 

2019年に、トルコ国家評議会(最高行政裁判所)が、この1945年の「博物館と資料室」とした閣議決定を無効に。

 

根拠は、カーリエがまだワクフ(宗教的慈善として寄進された財産を管理する基金)の財産として登記されており、これら慈善財産はワクフが決めた以外の使用目的に使用してはいけないという点でした。

 

つまり、モスクを博物館として使用するのはダメってことですね。

この登録先のワクフは消滅しているらしいけどね…真顔


 

 

大統領府に送られた判決は、先日の8月21日にモスクに戻して宗務庁の管理下に入るという大統領令となったわけです…。

アヤソフィアも同じロジック経緯をたどってモスクになりました。

 

先週の官報発表で「えええ!」と驚いたけど、実は去年からそれに向けた動きがあったんですね…。

 

 

 

アヤソフィア以上に偶像だらけのここをモスクに適した環境にしつつ、観光客も来られるようにするって、一体どうやるんでしょうね…?

 

単純にこれだけ見事なモザイクを覆うって勿体なすぎる…。

16世紀初頭と3000以上のモスクがある今とは状況が全然違うし

 

 

こんな多様な文明と文化と人種と宗教が共存しているっていう多様性こそ、この都市の最大の魅力であり、この都市を我がものとした人たちの誇りではなかったの…?

って私なんかは思っちゃうんですけどね〜。